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ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【死にたいけど トッポッキは食べたい】自分を愛することは難しい

2021-10-10 21:10:12 | Weblog

 

韓国料理の「トッポッキ」(お餅を使った煮込み料理)について、つい最近まで「トッポッギ」だと思いこんでいて、「最後のキは濁らないんだぁ…」と知った。
そんな矢先、今度は、同じく韓国料理の「プルコギ」(お肉と春雨、野菜などの甘辛い味のお料理)の「コ」の発音は「ゴ」のほうがネイティブの発音だと教えていただいた。ただ、こちらの表記は、「プルコギ」「プルゴギ」両方使われているようだ。カタカナ、難しいね。

トッポッキも、プルゴギも、大スキ(^^♪ なのだが、自分では作ったことがない。コロナで韓国料理のお店にも食べにいけていないから、恋しくなってきた。あぁ、食べたい。

韓国料理について考え始めたきっかけは、1冊の本だった。
「死にたいけど トッポッキは食べたい」
(ペク・セヒ著、光文社)

タイトルの「トッポッキ」に目が留まり、「あ、私も食べたい」と思ったのだ。でも「死にたくはないけどね」と心の中でつぶやきながら、古書店の棚の前で手にした。
タイトルの捻りと、この表紙から、どんな本なのだろう?と興味が沸いた。そして、パラパラとめくりながら、タイトルと表紙から想像していたものよりも、ちょっと深そうだと感じて購入した。

この本は、軽度のうつ病を患った著者が、医師とやりとりした内容をまとめたものだ。著者と医師とのやりとりは、いわゆるカウンセリングを傍らで聞いているような感じがする。

友だちとの関係性や距離感
自分のことを好きになれない
コンプレックスがある
自分を責めてばかりいる
自分に自信が持てない

著者が抱えている悩みは、心の病を患っていない人も大なり小なり、悩んだことがあるものだと思う。著者ほど深く苦しんだりはしていないけれど、似たようなこと考えたことがある。

自分のことを愛する。
自分のことを大切にする。

これは、他人との関係を構築するうえで基盤になるものだと思う。
でも、自分のことって、自分自身ではよく分からないことも多い。

心の中で「こうしたい」「こうありたい」と思っていることと、実際の言動が食い違ったり、逆のことをしてしまったりすることもある。
自分自身を縛っていて、息苦しくしている価値観、規範がどのようなものなのか。もやもやするばかりで、はっきりつかめないこともある。

私は、コーチングを学んで資格も取得したけれど、
クライアントさんとコーチングしていて、いつも思うのは、心の中にあるものを「言葉」にして外に出す作業は有意義だということだ。
誰にも話せないと思うような出来事の場合、自分の胸のうちを日記などに文字で書き出して、しばらく時間が経ってから読み返すと、気が付くことがある。頭の中だけでなく、文字にして外に出すので、有効な方法の一つだと思う。
ただ、自分一人でこの作業をすると、同じことを繰り返し考え続けて、マイナス感情にとらわれ続けることにもなりやすい。

信頼して話せる、聞いてもらえる他人がいるなら、話すほうがより効果的だと思う。

病気になるような悩みの場合は、臨床心理の専門家に話す。
自分自身の今後のビジョンや目標を明確にすることができなかったり、
頑張っているつもりだけど前に進んでいる気がしないなど、目標や行動の整理や明確化が必要な場合は、コーチングのコーチに話すのが良いだろう。

著者は、医師とのやりとりを録音し、自分の発言を書き出した。
カウンセリングの内容を改めて振り返ることは、自分自身と向き合う作業になったのだろう。

「自分のことが好きじゃない」「自分のことを愛するのは難しい」と思っている人に、お勧めの1冊。

 


【海をあげる】つらく悲しい経験を書くこと

2021-09-21 21:03:58 | Weblog

夫に、女がいた。

しかも、その相手は、自分が親しくしていた友達であり、 自宅の近所に住んでいた。
自宅に招いて、一緒に食事をしたこともあった。
夫との関係は4年続いていたという。

「海をあげる」の著者が、冒頭の一節で書いている出来事は、衝撃的だ。

もしも私が同様の出来事の出会ったら、 感情的になって、文章に書くことはできないだろう。
辛い、悲しい、と書き連ねることはできるかもしれないが、 おそらく文章が混乱して、第三者に読んでもらいたいものにはならない。

この著者は、自分に起きた事実を事実として受けとめて、 自分自身がどんな状態なったのか。 どんな気持ちになったのか。 周囲の誰が、どのように自分に接してくれたのか。
当事者でありながら、どこか冷静に 観察することができていて、それを文章にできている。

ある程度の時間が経ち、新しい家族、新しい生活を構築することができたことで 、過去の出来事として書くことができたのかもしれないが、 経験したことを「汚点」とか「黒歴史」と捉えていたら、心の中に仕舞い、 蓋をしておくものだろう。

この著者、すごい。
と思った。

しかし、なぜ、著者は、こうした自分自身の経験をエッセイに書いたのか。

元・夫や、不倫相手となった友達に対して復讐や、恨みつらみを表明するものでないことは、文章から伝わってくる。

文章に書くことで、自分の中で区切りをつけ、前に進もうとしたのかもしれない。

もしかしたら、深く傷ついた経験は
著者自身が今、沖縄で取り組んでいるという虐待やネグレクトなどで傷ついた若者に向き合う活動の源になっているのかもしれないとも思う。

本書で紹介されている、著者が出会った少年、少女のエピソードも、家族関係や現代の社会の一端について深く考えさせられる。

2021年上半期(4~9月)に、私が読んだエッセイの中では、ベスト1になりそうな1冊。

 

 


【オリンピック 反対する側の論理】反対の理由をより深く知ることができる1冊

2021-06-20 21:39:05 | Weblog

パラスポーツが好きだ。
より多くの人に知ってほしいし、観てほしい。

そう思って、障害者スポーツ情報サイト「パラスポ!」をつくってきた。

パラリンピックは、パラスポーツが注目を集める大きなチャンスだ。

ただ、新型コロナウイルス感染症の問題が続いている中での開催は、どうなのか?

開催中止を求める声が大きく聞こえてくる中で、競技の模様を伝えることは、

コロナ禍での開催を全面的に支持している姿勢を示すことになるのではないか?

この1年ほど、本当に、ずっと悩んでいる。
問いの答えは、出ないままだ。

最近、「オリンピック 反対する側の論理 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動」

(ジュールス・ボイコフ、作品社)を手に取った。

反対活動、反対意見を前に、目をふせてはいけないと思ったからだ。

反対する側から、オリンピック・パラリンピックがどう見えているのか。

スポーツについて、どう捉えられているのか知りたかった。

オリンピック・パラリンピックが開催都市や社会にどのような影響を与えているのか。

反対運動が国際的な連携をつくって展開されるようにもなっていること、

アスリートや元アスリートの中にも積極的に政治的な発言をする人がいることなど。

本書を読んで、初めて知ったことが少なくない。

私は、パラスポーツの面白さ、パフォーマンスの素晴らしさにばかり注目していて、

パラリンピックという大会そのものについて、深く考えていなかったのかもしれない。

本書の補章「反対運動からスポーツの非オリンピック化へ」(小笠原博毅氏)の中に、

「スポーツとオリンピックが相容れないという認識は、日本ではなかなか理解されないまま現在に至っている」

という指摘があった。

この一言に、私は「パラスポーツが好きだ」という思いが救われた気がした。

オリンピック・パラリンピックの反対意見、反対運動について、あまり良く知らない人、馴染みがない人は、

この本の一番、最後に収められている「補章」に目を通したうえで、 最初から読み始めるといいかもしれない。

今、お勧めの1冊。 

オリンピック 反対する側の論理: 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動


【おいしいものでできている】読むと、お腹が空く1冊

2021-05-24 21:45:35 | Weblog

 

稲田俊輔さんの著書「おいしいものでできている」は、読むとお腹が空いてくる1冊だ。

目の前に、一皿、出されているように感じながら、読むことになる。

稲田さんの「こだわり」には、「美味しいものが好き」という気持ちが溢れている。

子どもの頃に、食べたもの。
学生時代に食べたもの。
大人になって、自分なりにこだわりを持って食べているもの。

人それぞれ、大なり小なり、食べ物へのこだわりはあると思う。

料理への「こだわり」を他人から聞くと、ちょっと、うんざりしてしまったり、 「この人と一緒に食べにいったら、めんどくさいだろうな」と思ってしまう場合があるが、稲田さんの「こだわり」の着眼点は面白かった。

本書の中に収められている「遠足のおやつ」の話を読んで、
そういうの、あったなーと似たような経験を思い出した。

クラスメイトたちが、どんなおやつを持ってきていたか。
お菓子の交換の背景に見える、子ども同士の人間関係。
本格的な料理として紹介されるのは、南インドのカレーだ。
稲田さんのお店のカレーが気になり、食べてみたくなった。

 

おいしいもので できている

【マイノリティデザイン】「できない」「苦手」「弱さ」を生かす。捉え方を変えて、創造する。

2021-05-18 23:39:51 | Weblog

「見えない。そんだけ。」

2014年に開催されたIBSAブラインドサッカー世界選手権

ポスターに掲げられたこのキャッチコピーは、印象に残っていた。

 

 

この広告を手掛けたのが、『マイノリティデザイン 「弱さ」を活かせる社会をつくろう』の著者・澤田智洋さんだったということを、本書を読んで初めて知った。

 

澤田さんは、広告会社に勤務し、コピーライターとして活躍されていたが、

生後3か月の長男に視覚障害があることが分かったそうだ。

 

そのことをきっかけに、さまざまな「障害」のある人に会い、話を聞き始める。

日常生活をどのように過ごしているのか。

仕事はどうしているのか。

障害があるがゆえの、ちょっとした失敗などなど。

 

様々な障害者の話を聞く中で、著者は、「できない」「苦手」というものを「克服するもの」ではなく、「生かすもの」と捉えると、新たな価値を創造することにつながることに気がつく。

 

この気づきが、著者の広告関連の仕事の内容や着眼点に反映される。

できないこと、苦手なことを起点に、社会を良くすることを考える。

「マイノリティデザイン」のコンセプトが浮かびあがってくる。

 

本書では、著者自身の経験や実感、広告の実例を交えて、「マイノリティデザイン」の例が紹介される。

 

スポーツに関しては、

もともと運動音痴で苦手な著者が、視覚に障害がある息子と一緒に楽しめるスポーツはないのか。新しいスポーツをつくれないかと考え始め、「ゆるスポーツ」の考案につながる。

パラリンピックで実施される競技や種目とは違う点もあるが、着眼点が面白い。

 

コロナ禍で生活の仕方が変わったことにより、人それぞれ、これまで気が付かなかった「できない」「難しい」「苦手」な事柄、場面に気づいたのではないか。その気づきを、何か新しい発想や創造につなげることができるのかもしれないと、本書を読みながら考えている。


【福島モノローグ】「自分ごと」と「他人ごと」の間に

2021-05-04 10:32:58 | Weblog

 

東日本大震災から10年が経過した。

3月11日に、自分がどこにいて、何をしていたか。それはまだ、思い出せる。

東京・千代田区、神保町の交差点に立ち、ちょうど信号が変わるのを待っていた。

徒歩で4時間かけて、当時住んでいた都内北区の自宅に戻り、テレビで見た津波の映像、原子力発電所の映像もぼんやり覚えている。

ただ、記憶は時が経つにつれて、しだいに薄れるものであることは経験している。

阪神淡路大震災の時、テレビの映像で見た光景を思い出せるか? と問われると、私は明確に答えられない。

自分の身に降りかかった出来事や、その時、どんなことを考えていたかは「自分ごと」だから記憶にも残り、似たような記憶を持つ人の話を聞いて、共感しやすい。

しかし、自分が経験したことのない出来事は「他人ごと」で、それを経験した人から、その出来事や、その時の気持ちを語られても、「自分ごと」と比べると「距離」がある。

「もしも、自分だったら」という想像をしてみても、それはやはり想像に過ぎない気がする。

「福島モノローグ」は、東日本大震災で被災した福島の人の語りをまとめた1冊だ。

本書に登場する人の中には、どこの、誰なのか。氏名が表されない人もいる。

ただ、あの時、どこに居て、どうしたか。住まいや、日々の暮らし、仕事、家族、周囲の人との関わりについて、ページをめくるにつれ、その人の語り「モノローグ」に、直接、耳を傾けているような気持ちになる。

「自分」と「他人」の間には、「自分の身近にいる人々」「自分に関わりがある人々」が居る。

語りを聞くということは、本書の登場人物たちを、自分と他人の間に位置付けることになる。

彼らが経験したことは、私にとって「自分ごと」ではないが、「他人ごと」でもなく、少し身近な人々のこととして、受けとめることができるような気がしてくる。

著者である、いとうせいこうは、本書ではその気配を消している。

語る人の前に居ることは間違いないのだが、本書の中で、著者は声を発しない。

被災地の人々、彼らを、読者に近い存在にしようとしている。彼らの声がよりリアルに読者に届くことを願ってつくられた1冊だと思う。

福島モノローグ


【文芸ピープル】日本人女性作家の作品が英語圏で相次ぎ出版「なぜ」?

2021-04-26 21:21:23 | Weblog



「文芸ピープル」(著者・辛島ディヴィッド)は、最近、日本の作家、特に女性作家の作品が英語圏で相次いで翻訳され、出版されている状況について、

アメリカやイギリスの翻訳者や編集者に話を聞いて、まとめたものだ。

「村上春樹は、海外でも人気」ということは知っていたが、それ以外の作家の作品の動向はあまり気にしていなかったので、興味が沸いた。

若手の翻訳家が出てきたこと、

新しい作品、作風が求められており、韓国や日本の女性作家の作品も注目されていること

大手の出版社ではなく、独立系の出版社から出されていること

などなど、イギリス、アメリカの出版業界の状況を断片的に知ることができて、面白かった。

当然だが、原作をそのまま、日本語⇒英語にすれば済むというものではない。

登場人物の名前が、英語では読みにくい・覚えにくい場合、別の名前に変えたり、

「姑」を、どう表記するか、検討したりしている。

作品のタイトルをどう訳すか、表紙をどうするかは、

書店で手に取ってもらえるか、目をとめてもらえるかに関わることで、当然、重視されている。

村上沙耶香さんの作品「コンビニ人間」

英語翻訳版のタイトルは、「Convenience Store Woman」

本書によると、出版社は、あえて「Human」ではなく、「Woman」を採用したという。

表紙の雰囲気も、日本の書籍とはかなり違う点が面白い。

小山田浩子の「穴」、タイトルはそのまま「Hole」だけど、表紙の雰囲気はやはり異なる。

新型コロナウイルス感染症が終息して、海外に旅行できるようになったら、

英語圏の書店の棚を覗いてみたい。

文芸ピープル 「好き」を仕事にする人々

<責任>の生成 中動態と当事者研究

2021-04-15 19:52:05 | Weblog



 


「責任」という言葉は、重い。



自分の発した言葉、自分がとった行動が、
特に誰かを傷つけたり、何かを損なったりする結果につながった時、「あなたの責任だ」と言われる。「責任をとってください」と言われる。
謝罪の言葉を述べたり、金銭を渡すことが発生するかもしれない。

でも、そもそも「責任」って何なのか?


なぜ、自分の発した言葉、自分のとった行動に「責任」が求められるのか?

この本は、「責任」の基盤となっている「意思」について解説する。


「自己責任」と言われる時、なぜ、「責任」と「自己」が結びつけられるのかを示してくれる。


「自己責任」を言われていることも、よくよく考えてみると、


そこに「責任」はないのかもしれない。


結果について、その原因を「自己」に結びつけることが適切でないこともありそうだ。

哲学の話だが、著者の対談でまとめられているため、比較的読みやすい。


能動態、受動態、中動態の話、当事者研究に関心がある人には特にお勧めの1冊。




<責任>の生成ー中動態と当事者研究

【そして、バトンは渡された】血のつながりか、戸籍か、それとも一緒に暮らす人か?「家族」の定義を考えさせる1冊

2021-03-24 00:37:21 | Weblog

 

「家族」とは、何か?

血がつながっている人が、家族なのか。

戸籍が同じ人が、家族か。

それとも生活を共にしている人が、家族と言えるのか。

「家族」の定義、在り方を考えさせる1冊。

主人公を取り巻く「家族」の人間関係は、小説だから成り立つもので、リアルさはない。

非現実的だと思うけれど、こういう「家族」関係があってもいいかなと感じさせる。

読了後は、爽やか。



そして、バトンは渡された (文春文庫)

【推し、燃ゆ】そういう感じ、分かる

2021-03-01 21:56:08 | Weblog


芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」

まず、タイトルから魅かれて「面白そう」だなと思っていた。

「推し」とは、アイドルや俳優などで、自分が一番応援している対象人物を指す。

「燃ゆ」とは、燃える。つまり、インターネット上で「炎上する」(批判などが殺到して、収拾がつかなくなる)ことだ。

自分の推しが炎上するという出来事は、小説の世界だけでなく、現実に起こるかもしれないと思わせる。

そして、読者の私と、主人公のあかりとは、10代の時の社会背景も、家庭環境も異なるのだけど、

あかりが感じているものを自分も10代の頃に感じたことがあったような気がしてくる。 主人公と「そういう感じ、分かる」と共有する感覚を持った。

文章を書くとき、 「テーマ」は大事だけど、そのテーマを伝えるうえで、いかにディティール(detail)を描くかが大切だと思わされた1冊。

推し、燃ゆ