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ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【思いがけず利他】与えるだけでなく、受け取ることで発動する「利他」

2022-02-13 21:47:32 | Weblog

 

道に迷っている人を案内する

電車内でお年寄りに席を譲る

大雨で浸水した家に、泥をかきにいく

被災地の復興支援のための寄付をする

 

「利他」という言葉で、

頭に思い浮かべるのは、そんな行動だ。

 

「利他」は、「利己」の反対。

利他的な行動は、自分の利益ではなく、

自分以外の誰か、他人の利益のために行動することを指す。

つまり、誰かに「与える」ことが前提になる行動だと思っていた。

 

「おもいがけず利他」(中島岳志・著、ミシマ社)を読んで、

最も新鮮だったのは、

「利他」とは「与える」だけではなく、「受け取る」ことで発動するという指摘だ。

 

私たちは他者の行為や言葉を受け取ることで、相手を利他の主体に押し上げることができる。

私たちは与えることで利他を生み出すのではなく、受け取ることで利他を生み出します。

利他となる種は、すでに過去に発信されています。私たちはそのことに気づいていません。

しかし、何かをきっかけに「あのときの一言」「あのときの行為」の利他性に気づくことがあります。

私たちは、ここで発信されていたものを受信します。その時こそ、利他が起動する瞬間です。

 

著者は、中学生の時の先生の言葉、行為を例に挙げている。

中学生の頃は、それほど深く考えておらず、先生の言葉や行為について「ありがたさ」を感じていたわけではないという。

しかし、大人になり、現在の自分の仕事の礎は、中学生の時の先生の言葉や行為によって築かれたと気がついた。

著者が、先生の言葉や行為の「ありたがさ」に気づいた時に初めて、

先生は、著者にとって利他の主体として認識された。

 

つまり、誰かの言葉・行為を「受け取る」ことが前提となる

「利他」もある。

 

誰かが自分に向けて発した言葉

誰かが自分のためにしてくれた行為に目を向け、

その「ありがたさ」を受け取ることも価値があるということだ。

 

どんな立場の人でも、人生を振り返ると、

今の自分にとって財産となっているような

「あのときの一言」「あのときの行為」はあるのではないか。

 

それらに気がついて「利他」を発動させると、その主体となった誰かと自分の繋がりがこれまで以上に深く感じられる気がする。

そして、その気づきはまた、これからの人生を支えるものにもなりそうだ。

思いがけず利他


【わたしに無害なひと】一番近い けれども他人という関係

2022-02-07 01:17:46 | Weblog

「お姉ちゃんばかり、ずるい」

「妹だからといって、甘やかされている」

姉に対して、

妹に対して、こんなことを思った経験がある人は、少なくないのでないか。

姉妹とは、どのような関係性なのか?と考えると、

親の前では「同志」のようなものかと思う。

家族の中で、同性の子どもという立場なので、

親に対して求めるもの、要求するものが重なる時には、互いに協力する。

 

ただ、一緒に遊んだり、学んだりする時間には、「同志」というより、一番近くにいる「友達」かもしれない。

同じ家庭で育っているので、価値観など共有しているものが多く、互いに相手を理解できる部分も多いだろう。

 

一方で、姉と妹それぞれ得意・不得意が違い、趣味や嗜好は異なる。

一番近くにいるがゆえに、相手を自分を比べて、

自分と似たところを見つけた時は、

相手が自分を映した鏡のように見えるかもしれない。

自分と異なるところを見つけた時は、

一番近くにいるけれど、他人の面を見ていると思う。

 

韓国の作家チェ・ウニョンさんの短編集「わたしに無害なひと」に収められている

「過ぎゆく夜」という作品は、

姉と妹が5年ぶりに再会し、

一晩を一緒に過ごす物語だ。

 

母子家庭で、母を早く亡くした姉妹。

5年前、姉のユンヒは、米国に留学する前の晩、妹のジュヒと喧嘩して別れてしまう。

ユンヒが留学中、ジュヒは結婚して子どもを産んでいる。

姉のユンヒはFacebookの投稿を通じて、ジュヒのそうした近況を知っていたが、

喧嘩別れしてしまったことからコメントは残さないままでいた。

 

就職の面接のために米国から韓国に一時帰国することになったユンヒに、

妹のジュヒが自分の家で最後の一晩を過ごすように連絡してくる。

ジュヒは離婚し、子どもは夫の家族が育てており会えなくなっていた。

 

姉と妹、一緒に過ごす一晩に、交わす会話の中から、

互いにどんなふうに思っていたかが浮き彫りになってくる。

疎遠になっていた2人が、これから先、どうなるのか?

読者に想像させて、読後に余韻を残す作品だった。

 

姉妹がいる人、姉妹を育てている人に、お勧めの1冊。

 

Amazon

「わたしに無害なひと」

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【差別はたいてい悪意のない人がする】「女の敵は、女」にモヤモヤしたら

2022-01-30 20:04:58 | Weblog

「女の敵は、女だよね」

「男の嫉妬は、女のより、やっかい」

友達や知人とのおしゃべりで、こんな言葉を口にしたことがある。
この世の中にいる女性すべてについて、互いに「敵」同士であると思っているわけではない。
敵ではなく、味方の女性もいると思っている。
同じように、すべての男性に対して、女性と比べて、嫉妬がやっかいだと思っているわけでもない。
嫉妬はそもそもやっかいで、その程度を性別で比較するものではないとも思う。

それなのに、なぜ、こうした言葉を口にしたのだろう?

これらの言葉は、自分が経験したこと、見聞きしたことを基にして出てきたものだ。
特定の個人を頭の中に置いて、その人が女性だったから、その人が男性だったからと、性別に結び付けて、一括りにしている。
その特定個人に対して面と向かって、これらの言葉を口にしたわけではなく、他の友人・知人との会話の中で口にしたもので、特定個人を批判することを考えていたわけではない。
だから、特に問題がある言葉だとは思っていなかった。

これらの言葉について「一体、何が問題なのか?」改めて、考える機会があった。

サンリオのキャラクター「マイメロディ」のお母さんのグッズが、発売中止になったというニュースがあった。
インターネットのニュースによると、マイメロディのお母さんには「女の敵は、女」などの格言を持っているキャラで、これをグッズにして発売しようとしたところ、ジェンダーバイアス(性別に基づく偏見)を助長するという批判があがった。
これを受けて、サンリオは発売中止に至ったという。

私自身、「女の敵は、女」だと思ったことも、口にしたこともあるので、このニュースに引っかかった。
ジェンダーバイアスと言われたら、たしかにそう受け取られるかもしれないと思う。
一方で、発売中止という企業の判断について、公にこうした言葉を口にすることは問題になるのだと考え、少し窮屈に感じる面もあった。

一体、何が問題なのか。分かるようで、よく分からず、もやもやした。

「差別はたいてい悪意のない人がする」は、私が感じたもやもやを解消してくれた1冊だ。

正社員と契約社員との間で、社員証のストラップの色を変えている。
大学の理工系学部には、女性が少ない。
それらが、なぜ、そうなっているのか。
なぜ、「差別」の助長になるのか。
社会的・文化的背景、人々の価値観などから説明している。

差別は、意識的に行うものばかりではなく、むしろ無意識に行われてしまうものがたくさんあること。
無意識なので、差別した人は気がつかない。
差別されている人も気がつかず、そういうものだと受け入れて過ごしてしまう。
結果として、不平等な環境が維持されてしまう。
また、どこに問題があるのか説明するのは、かなり難しいものだということも分かってくる。

マイメロディのお母さんのグッズが発売中止になったニュースを読んで、もやもやした人には特に、お勧めの1冊。

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【心の深みへ 「うつ社会」脱出のために】 「原因と結果」を直線的に結びつけても解けない問題

2022-01-24 00:30:30 | Weblog

 

「親が変わらなければ、子どもは変わらない」

「指導者が変わらなければ、選手は変わらない」

「トップが変わらなければ、組織は変わらない」

なるほど、そうかもしれないな。

そういう側面もあるかもしれないと思う。

 

しかし、この考え方には注意をする必要がありそうだ。

 

河合隼雄さんと柳田邦男さんの対談集『心の深みへ「うつ社会」脱出のために』(新潮文庫)を手に取った。

この本の中に、「悪者探しをするな」という項がある。

 

青少年犯罪、家庭内暴力などについて、河合氏は、因果的には説明できないと言っている。

 

因果的説明というのは、ともすると直線的な論理になります。

父親がこういう悪いことをしたから子どもが悪くなったとか、

子供が父親を殴るからには父親にどこか悪いところがあったからだろうとか。

そういうふうに直線的論理で結びつけるから説明できないのであって、

全体を見ていけば、私はだいたい説明できると思っています。

 

その全体の中には、父親と母親の関係もあるし、おじいさんとおばあさんの関係もある。

それから社会的状況もあるでしょう。アメリカの文化が入ってきたということもある。

そういうことを全部入れていくと、全体の絡み合いとしての構図が見えてくる。何か一つの原因を究明するのとは違います。

 

おのおのの人間は可能性をもっていますが、ものごとを原因・結果で考える人は、可能性のほうを忘れてしまいがちなんですね。

原因・結果を考えて、その場ですぐ過去にもっていくから。

そこから未来まで見ていった場合、父親や母親が変わらなくても、子どもが変わっていけばいいわけでしょう。

原因・結果で過去ばかり見ていると、未来をよりよくするために問題が起こってきているケースがとても多いのに、それが分からない。
たとえば、息子の不登校をステップに夫婦の関係が変わるなんてことがあります。

つまり、不登校は、両親の夫婦関係を改革するために息子が努力した結果かもしれない。

こうすると、見方がまったく違ってくる。悪者なんて誰もいないし。

(同書・第1話「はじめて門をたたく」「悪者探しをするな」より)

 

「親が変わらなければ、子どもは変わらない」

「指導者が変わらなければ、選手は変わらない」

「トップが変わらなければ、組織は変わらない」

などと言う時、親、指導者、経営者など誰かを「悪者」にすることで安心し、

他にあるかもしれない原因を考えずに済ませている気がする。

 

そもそも、子ども、選手、組織が変わらない(それぞれ抱えている問題が解決しない)原因は1つだけでないだろう。

子ども、選手、組織を取り巻く全体の構図から、現状を捉えることが大事だ。

そして、より良い未来に向けて、全体の構図の中で、自分の役割やできることを考えていく必要がありそうだ。

 

心の深みへ―「うつ社会」脱出のために (新潮文庫)


【わすれられない おくりもの】生きていくということは、「おくりもの」をつくること

2022-01-19 23:45:32 | Weblog

子どもはもちろん、大人にお勧めしたい1冊。

スーザン・バークイの「わすれられないおくりもの」は、「死」をテーマにしている。

年老いたアナグマさんが亡くなる。アナグマさんが、どんなふうに亡くなるのか。

アナグマさんを慕っていた皆が、彼の死をどう受けとめるのかを描いている。

身近な人の死について考えると「喪失」という言葉が頭に浮かぶ。

亡くなった人に再び会ったり、話をすることは叶わなくなるからだ。

しかし、亡くなった人が遺していった「おくりもの」に気づくと、悲しさや寂しさだけでなく、少し異なる気持ちが沸いてきそうだ。

一方、自分自身の死について考える時、それを迎える瞬間まで、どう生きてるかが課題になる。
生きていくということは、自分に関わりのある人に「おくりもの」をつくっていくことなのかもしれない。
その「おくりもの」が、誰かにとっては「忘れられない」ものになることもあるだろう。

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)


【柚木沙弥郎のことば】こういことも、あるよ。と思える心

2022-01-17 23:42:26 | Weblog



「なかなか先が見えないなぁ」
手指衛生、マスクの着用、密を避ける。日頃の感染対策を続けることでしかないけれど、一体、いつまで続けたらいいのか。とつい、思ってしまう。しかし、「柚木沙弥郎のことば」(グラフィック社、柚木沙弥郎、熱田千鶴・著)を読んでいて、「いやぁ、そんなこと言ってちゃダメだわ」と思い直しました。

 

もともと人間というのは、生まれて死ぬという定めがある。誰もが時代は移り変わるということはわかっていることだから、世の中は変わるものだという前提でどっしり構えること。

今の時代は特に変化するエネルギーがある社会だと思うんだ。それは毎日の生活、日常の中にもたくさん満ちている。普通に平和に暮らしている人たちの周りにも、今回のウイルスのようなものがやってきた。でも、これまでどの時代でもそういうことはたくさんあった。
もっと日常に目を向けて、暮らしの中で何を大切にしていくか、自分で考えなければいけない。表面的な豊かさに溺れず、個人個人がエポックを画する時代と、楽しみながらきちんと向き合わなければいけないと思いますよ。

1922年生まれの型染めの染色家。
アートや民藝に詳しい方は、ご存じの方かもしれないが、
私が柚木さんについて知ったのは、つい最近だ。
同書に写真掲載されている型染めの作品がオシャレで、実物を見てみたいと思っている。

自分を取り巻く環境、社会は、変化する。
長く生きていると、様々な変化と遭遇する。
新型コロナウイルス感染症も、その一つ。
そう思いながら、受けとめていく姿勢を持つこと。
「こういうことも、あるよね」と思える心でいることが、大切かもしれない。


【読書のちから】自分らしさ、生きる意味、心に刺さる言葉

2022-01-05 20:37:23 | Weblog


新年早々、心に刺さる言葉と出会う本だった。

「読書のちから」は、「言葉のちから」と言い換えてもよいだろう。

著者、作者の言葉の「ちから」を、人は、その言葉を読むことによって手に入れることができる。

皆が同じように、そのちからを手に入れるわけではない。

同じ言葉を読んでも、スルーしてしまうことがあるだろうし。 何度も読み返して、その度に、新しい気づきを得ることもあるだろう。 その人にとって必要な時に、その言葉、その本と出会えると、それは「ちから」になるのだと思う。

本書は、著者・若松英輔さんが出会った本・言葉から思考したことを書いている。

今回、私の心に響いてきた箇所を書き出してみた。

世の中が押し付けてくる「自分らしさ」から離れ、傷ついた自分の手を、己れの心中でにぎりしめること。 それが自由である。 そして、自由とは、文字通り、「自らに由る」ことにほかならない。

「どう生きるか」を考えるのは悪いことではない。 しかし、それがゆえに自分が「生かされている」ことを感じにくくなるのも事実だ。 それだけではなく、自分という存在が、他者とのかかわりなしには存在し得ないことを見過ごしがちになる。

人生に「答え」などない。 このことは誰もがどこかで感じている。 しかし、その一方で「答え」がないという不安に耐えることができない。 私たちに必要なのは、ありもしない「答え」めいたものではなく、 たしかな「人生」の「手応え」なのではないか。 「答え」ではなく、「応え」を求めよ。 考えるとは謎を解き明かすことではない。 謎を愛することを重んじよ。

新しい1年をどう過ごそうか考える時期のためか、 「自分らしさ」「生き方」などが、私にとってキーワードになっていたようだ。 本書で取り上げられている 茨木のり子さん、池田晶子さんの著作など、もう一度、読み直してみたくなった。

 

 


【目の見えない白鳥さんとアートを見にいく】自分自身の見方、捉え方を問いなおす

2021-10-30 14:42:05 | Weblog

目の見えない人と一緒に、美術館に行って、作品を見る。

目が見えないのに、どうやって見るのか?

それが最初の問いだ。

著者は、「どうやって」を知り、目が見える自分自身の鑑賞方法では気がつかなかったことに気がつく。

本書の前半は、アート作品の新しい見方を提案する内容になっていると思う。

ただ、単にそれだけではないという点が、この本のミソだ。

著者は、白鳥さんと一緒に、様々な美術館を巡るうち、そしてコロナ禍により互いに直接会えない期間も経て、思考を深める。

障害者に対する見方、 自分の中にある偏見も見つめなおす。

本書の後半は、著者が自分自身の考え方や価値観を問い直す過程が綴られていて、 混沌としているように感じられる。 その混沌さに、私自身は引っ張られて読み進めた。

見る対象は、アートじゃなくてもいいということが分かってくる。
行く場所は、美術館でなくてもいいことも分かる。

ある場所に、私がいる。 そして一緒に、誰かがいる。

私と誰かの間に、何かが共有されている。

ただ、単に同じ場所にいるというだけになるかもしれないし、 互いに言葉を交わすかもしれない。

共有されることは様々であっていいのだと思う。

障害がある、なし、関わらず。

一緒の時空にいることから、何かが生まれるということを感じさせられた1冊だった。

余談になるが、15年ほど前、エイブルアートジャパンを通じて、白鳥さんの美術鑑賞の取り組みを知り、 NPO法人OurPlanetTVで、「見えないあなたと美術館へ」という映像作品を制作した。

本書の前半で触れられている内容は、その制作の際に私が感じたことと重なっていたが、 私自身は、目が見えない人との鑑賞について「言葉で説明する」という点に囚われすぎてしまって いたように思う。

本書を読んで、改めて、障害のある人と共にある、共にする、ことの意義について、考えさせられた。

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく


【その女、ジルバ】それでも「生きていく」

2021-10-24 21:00:05 | Weblog



「ドラマ、見ました?」 お会計をしてくれた店員さんが、話かけてきた。

そのお店にはよく、足を運んでいるが、店員さんから話しかけられたのは初めて。
マスクで顔が半分隠れていることもあって、最初は、自分に話しかけられたことが分からなかった。

私が購入したのは、「その女、ジルバ」という漫画。全5巻の漫画の大人買い。
NHKのラジオで、作家の高橋源一郎さんが紹介していて、気になっていたのだが、偶然、古本屋さんにセットで出ているのを見つけたのだった。

店員さんは、店頭に出したばかりだった漫画を、私がすぐに購入したので、「ドラマを見た人かな?」と思って話しかけてきたようだ。
質問されたことが分かり、私はNHKでドラマ化されたことは知っていたが見ていないこと。
ラジオ番組で紹介されて、ずっと読みたいと思っていたこと。
古本屋さんで、かなりリーズナブルに全巻セットを購入できてラッキーと思っていることを店員さんに伝えて、そのお店を後にした。

「その女、ジルバ」は、40代に突入した主人公が、高齢のホステスのみがいるお店に飛び込むところから物語が始まる。
お店に飾られている、初代ママのジルバが、どんな人だったか。
ブラジル移民、戦後、彼らにどのようなことが起こったか。 日本に引きあげてきた人、引きあげなかった人。
私が知らない歴史の一端が描かれている。

一方で、主人公の故郷・福島、東日本大震災の後の今を生きる人々も描かれる。

主人公は、デパートの売り場から倉庫へ担当が変わり、独身で彼氏もいない。
40歳、これからどう生きていったいいか。不安や悩みを抱えているのだが、ジルバのお店で高齢のホステスやマスターの話を聞くうちに、変わっていく。 ブラジル移民や終戦後の混乱時に起きた出来事など、知らない歴史がたくさんあることも知った。

「生きていく」ということについて、しみじみ考えさせられる漫画。

その女、ジルバ(1) (ビッグコミックス)


【小さな声、光る棚】その人が垣間見えるエッセイ

2021-10-19 21:20:35 | Weblog

エッセイを読んでいて、私が面白いなと思うのは、著者がどんな人かイメージが沸いてくる時、著者の人柄が滲み出ている文に出会った時である。

エッセイは、著者がどのような物事に注目しているか。どのような視点でそれを捉えているか。また、テーマについてどのように論理展開をしているかなど、その人の視点や考え、価値観が反映されるものだと思う。
ただ、同じ著者が書いているものエッセイでも、これは面白かったなぁと記憶にしばらく残っているものと、読んですぐに忘れてしまうものがある。

荻窪の書店「Title」(タイトル)の店主、辻山良雄さんの著書「小さな声、光る棚」の中で、私が一番面白いなぁと思ったのは、『父と「少年ジャンプ」』だ。

著者が父親に対して、どう思っていたか。
その見方に、変化がある。

著者と、父との間に、漫画雑誌「少年ジャンプ」が存在する。
「少年ジャンプ」が、器用とはいえない2人の関係を繋いでいたことが感じられて、じーんときた。

小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常