中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成サラリーマン上海へ行く (その8)激風と共に・・・

2018-06-06 14:14:05 | 小説

(ここまで)主人公、松尾次郎は前回、上海にて中国女性と結婚の手続きをすませました、今回はその後になります。

一般に、中国人は日本人と比べ人生の舵を切るのは、人並みではありません。
特にお金が絡むことには庶民から富裕層まで。

ただ日本人が注意をしなければいけないのは、彼らの台本”シナリオ”の中に知らず知らずの内に友人、知り合い、時には警察官もプロットの登場人物にさせられる事も
付き合いもそれ程でない日本人を呼び出し彼らの側に置き、異国の日本でも人脈が厚い演出をしたり。
事件性の場合には、自己の正当性を印象付けるため日本人を道具に使ったりと、概して登場人物に織り交ぜる事も時にはあります。

その台本や言い訳も松本清張のような”練りに練った”と言うよりは、わずか2~3ページの。
時間が経てば、”ア―、そう言うことだったのか!”というような。







(その 8)( 激風と共に・・・ )

(彼女がいよいよ日本に)
次郎は中国女性、劉さんとの結婚手続を上海で済ませ、日本の入国管理局で所定を終らせ、彼女のビザが3月後の9月には下りた。
いよいよ、彼女が来る事になったのだ。
次郎は成田に迎いに行き、そして上海発の中国東方航空で午後2時ごろ、第2ターミナルの送迎口に劉さんは、やや大き目の旅行ケースとともに顔をだした。
再会である。

別に長い交際の末の結婚ではないが、まさかと思っていた、次郎のやり直し人生。
彼女を日本の地で見て、改めて次郎は新しい生活がはじまる実感がする。
次郎は、これからが全てと想う。 別に彼女に、多くの注文もない、タダ次郎が一人でいるよりは楽しい人生をと願う。

次郎たち二人は成田空港から次郎の家へと。
彼女が日本に来るにあたって、畳は張り替えておいたが、そのほかとりわけ彼女を迎えるために、色々物を買ったりはしなかった。 必要な時に二人で買えば好いと、次郎は決めた。
背伸びしても、平凡なサラリーマン、そのあとが無いのだ。
あるがままの次郎を、劉さんに好きになってもらいたい。 例え、いまは分らなくても、十年後でもいい、少なくとも彼女に日本に来た事がマアマアだった、と思ってもらえれば良いというのが次郎の考え方だった。

(我が家に到着)
家に入った劉さんは、持ってきた旅行ケースをほどき始め、間もなくやって来る、冬に着るためのオーバーコートをシワにならないようにハンガーに吊るした。
何か、次郎の目がそのコートに止まった
それは、もう日本では着ている人は殆ど居ない、ウールでラクダ色のシワになりやすい、やや時代遅れの素材のシロモノだった。 次郎は、寒くなったら、新しいコートを買ってやろうと思った、日本では、何でも物は安いのだからと。

その日の晩は、次郎が食事をつくった。そして、食事後あれこれと、上海の事や、何かしらを話しているうちだった。



↑(写真は本文と関係ありません)



(突然の黒雲

次郎がビックリする事が、起りはじめた。
劉さんが、突然話があるという。 次郎は何かと思う。
彼女いわく、少しほど前であるが、副業を始めたと言う。 服の販売という。
次郎は、電話でも手紙でも、ただの一度もその話は聞いてない。
ふだん、それほどイラダツ事もない次郎も、急に腹立たしさを覚えた。 例え、国際結婚であるといっても、日本に来る事を考えたら、中国での生活を徐々に整理するのが常識なのに、日本にくる間際に、選りにもよって新たに商売を始めたと言う。
しかも、近い将来一緒になることがわかっているのに、次郎にも相談無しで。

彼女の話は更に続いた、“実は、商売が思うようにいってない、今は中国の友人に商売を引き継いでもらったが、結局中国元にして40万元の借金をつくってしまった。”
次郎はその金額の大きさにも驚いた、40万元といえば日本のお金にして600万円は超える。
(***2000年少し前の中国であれば、庶民の住む家であれば手に入る金額***)

一昔まえの中国ならいざ知らず、もう中国経済は車でいえばローからセコンドないしサードの段階に入っていて、素人が小金で商売できる時代はとうの昔に去っているのにと、次郎は呆れ返った
国営会社をクビになり、小さな食堂を開いたら大当たりして、街の有名人なったという話しは、もう中国ではおとぎ話になりつつある。
そして彼女は、ついに切り出してきた“全部と言わないが、少しでもいいから、お金の都合をつけてほしい”と。

劉さんの予想外の金策の申し出に、次郎はアメリカ留学経験で理にかなわない時の条件反射の如く、迷うことなく“NO!”と発していた
彼女は日本語も英語も理解できずとも、次郎の毅然とした態度で相手には十分であった。

その返事を聞き劉さんは即座にそれでは……、少しでいいから貸してはくれない”とたたみ掛ける
次郎はそれも考慮に値しないと“それも、断る”とはっきりとした口調で。
それを聞き“もう、この話は無しにしよう”と劉さんのほうで話を切り上げた。

次郎は、彼女が中国でいくらの借金をしようがしまいが、この件に関しては関係の無い事と、割り切るほかなく、突っぱねるしかない。
しかし、次郎は彼女が日本にきた早々から、彼女との生活には何か問題含みを予感した。
それにしても、夫となった次郎の、想像を超えた金銭感覚の持ち主だと言う事を、初めて実感して何か末恐ろしさを彼女に感じた。
これが、二十歳そこそこの次郎だったら、発狂ものだが、辛うじて長くいろいろ経験した次郎だから、そこに対峙する事ができた
それでも次郎は2,3日彼女のために会社から休暇をとり、東京見学をしたり、紹介者でもあるイタコ商会の山下の家を訪ね、二人そろってお礼もかね訪問したりした。
そして、休暇があけて次郎は平常通り出勤となる。

嵐去りぬ、そして・・・
その夜、会社を引けて、次郎が家にたどり着くと、何か異常を感じた。
家の中が暗い、人気を感じないのだ
次郎は一瞬、劉さんは買い物か、外出かとも思ったが、よく見ると彼女が上海から持ってきた旅行カバンがない、当然あの冬場に着るだろう例のラクダ色のオーバーコートもない、辺りには彼女が中国から持ってきただろう中国文字で書かれたビニール袋の手提げと、土産物の包装紙を除き何も残されていなかった。
次郎は、状況からして、彼女はどこかへ姿を隠した、つまり“逃げた”と確信した
そう逃げたのだ。

あたかも、ハリケーンのように彼女は次郎の家のなかを吹きぬけて行った。

(それは真にパニック)
次郎の頭の中はえぐり取られるように空白状態に陥った。
一種のパニック状態に陥った。

何か・・・何か・・・?
不思議と次郎は若い十代の時の自損の交通事故を思い出した。
そして、その時は次郎は瀕死の重傷を負った。 壁に激突してハンドルに顔を激突して失神状態。 しかし、大事故にも拘わらず、その直後、不思議な事に自分の怪我や痛みには注意が向けられない。
事故の大きさは?、どうして起った、大事な車はどうなった?事故を防げなかったか?の問いかけが休むことなく頭の中を駆け巡る。 あたかも、コンピューターが答えを求めようとするが、答えが捜せず、しかも前にも戻れず、先にも行けず、永久にそれを繰返すにも似ている
自分の怪我の重大性に気が着くのは、暫らくしてからであった。
痛みを感じるのは、それからである。
その時は、事の全貌が見えない、そして、どうして好いか分らない。

襲ってきた災難と、容易にその答えの出ない興奮状態がその夜、次郎を包みつづけた。
高熱が去るのをじっと床に伏せ待つ子供のように、次郎はその夜、耐えるしかなかった




(つづく)



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