中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

「男気」もしくは「人の道」って何ですか?

2023-09-10 15:16:53 | 日記
おとこぎ「男気」もしくは「人の道」って何ですか?
― 堅実な生活をして来て、人生後半に見せ場を作ろうと陥る“己自身の罠” ―
2023/9/10記
 私は中国人との再婚のゆえ、結婚して20年も経つのに、未だに何らかをきっかけにして幾度も、何故に彼女の義理息子をこれ迄に「養子」として戸籍に入れなかったと、”アーデモ、コーデモ無い“と二人とも熱くなる。
 もちろん周りの他人様には少しは私の言い分も理解されるかもしれないが、彼女の前にはバリヤーがあり寸分も私の話は説得力をもたないのだが。

(一番いけないのは、自分の家族や親族、もしくは自分の属する集団で、いわゆる「男気:カッコ良い人間」のある人物像を自ら演じてしまう事・・・)
 人は年を重ねると、自ら“断捨離”して生活空間を片づけたり。
 また誰しも死ぬ前に子供や家族の将来や経済の不安を払しょくし、また助けたい親心を普通に持つ。 例え、自分なりに頑張っても家族や親族に尽くしても、それを受け取る側の評価もまちまちの事もあるだろう。 最後は差し出し手である本人が、「あれは失敗した」という顛末がなく、生涯満足していれば、それでいい事なのだが。

(家内の中国系友人からのSNS、何か意味不明の一筆献上の写メも添付?・・・)
 家内のグループ・アプリ(WeChat)には日本国内・上海から、友人のうるさい位の投稿がある。 そら国内旅行中だ、今友達と美味しいごちそうを食べている、新しく買ったマンションの内覧動画、かと言えば離婚した友人から美しい風景の中、女優ごとく振る舞う動画(前より幸せアピール?)。

 その中に、数カ月前、家内の友人の娘で数年前に高給取りの日本人と結婚し、孫になる子の二歳の誕生祝の写真が数枚、グループ投稿されている。 結婚した旦那様も安定した上場企業努めだが、実家も立派で並べられている料理も普通の家ではやらないだろうレベルで、“どうだ凄いだろう感”が伝わって来る。。

 そしてその投稿写真の一枚、半紙に筆書き何故か意味深? 読めば息子のお嫁さん(中国出生で、既に居住権はあるが、帰化しているか不明)を、義理のお父さんが○○日に養女とし名実とも彼女は日本人となったという宣誓書もどき。


 
(義理のお父さんの意図した「養子縁組(入籍)」の目的は何だったの?・・・)
確か、成年養子には帰化や在留資格に関する特段の優遇措置は与えられない【参考:成年養子に関する注意点として記されている】。
残るは、養子になれば当然に相続権が発生する。 法定相続であれば実の息子とおなじ割合となる、どうしてこんな面倒な、しかも大事な事を、まだまだ先のある(若い)お父様は決断したのだろう。 

 察するに、息子たちは国際結婚なので当初は心配もあったが、孫も生まれ日増しに可愛くなっていくのは分かる、そこで将来を見据えて少しでも中国籍の印象を弱めたかったのか? ご本人のみ分かる事なのだが。

(50代~60代前半は若く経験不足で、ここまでの蓄財を散財したり、他人の目にはカッコ良い「男気」のある振舞に陥りやすい。)
 人間いくつになっても、5年あるいは10年で考え方がガラッと変わることも有る。
自分の場合50代前半、体調が悪くこれは還暦に届かなく行くかなと思った時期があった。 当時中国語を勉強していたので、それなら仮にでも自分が行くとき多少のお金と、日本に興味があるなら国際結婚でその人に託したいと思っていたのは確か。

 しかし今なら、独身で姉弟の近くに住み、月数回食事したら、万一お互いの調子が悪かったら訪ねるも良かったな!など妄想を・・・。

 人間、年をとっても、考え方・状況は変化して行く。
それ故、良い意味で誰にも拘束されない「自己財産の管理の自由」「意思決定の自由」は大事。 ましてや自ら積み上げた蓄財や特益を主導的に付与するには熟考を要します。
 自分がサービス業時代、先の短そうなお客様数人は良く言葉にしている「人間、死ぬまで自分の糧を放しちゃダメ」(つまり子供や孫からの多額な懇願)。 ただただ、多分多くの高齢者は根負けしているに違いありません
 
(今回はここまでです)
 

今日もしかして彼女ができたかも?・・・でもでも

2022-02-04 16:10:31 | 日記
今日もしかして彼女ができたかも?・・・でもでも
2022/2/4 記
 
 今日2月3日、私がその気なら彼女ができたかもしれないとか。
3回目のコロナワクチン接種へ偶然に私もその人も、住まいより遠方のクリニック会場に申し込んだのが、きっかけでした。
ただ、このブログを読んでいる皆さんは笑うかもしれないが、私はとうに定年を過ぎた高齢者、彼女ももちろん私より若いが“アラ還”といったところではないか。 できれば笑わないでください。

ひと様によっては、こんな話題をブログにUPすること自体、正気の沙汰でないと感じるでしょう、お許しください。 しかし人の生きるための摂理というか、そして哀愁のようなものも感じ書いています

(ワクチン接種会場へ路線バスに乗り出向く)
 会場は同じ区内とはいえ少し遠方の、土地勘もないしバスかタクシーに乗る、多少不便なクリニック。 正直、知らぬ場所に申し込みをして失敗したかなの思いもあったが、3回目の接種にはモデルナ製のワクチンを考えていました。 報道によるとファイザーの後にモデルナ製を接種すると抗体の値が高いと推奨していたので、会場が遠方でもチャレンジしてみました。
 バスが遅れ集合時間をやや過ぎて会場のクリニックに到着すると、やや広めの玄関アプローチには、簡易の椅子に座り込むやら、立っている接種希望者の集団。 案の定、待ち順は最後方、そこで”ウロウロ“していると、一人の女性が声をかけて来ました

“あなた、○○駅から私と同じバスに乗ってきたでしょう? 赤い受診票みたいの見てたから同じ所へ行くのかな――― て”
”あっ、そうですか“と私。
“私、外国人なんで、帰りのバスもどこから乗って良いか、分からないから、一緒に帰りましょうよ?”
という事になりました。

受付では彼女に、保険証と外国人登録証の名前が違うと・・・
“あっこれは、亡くなった主人が問題ないと言っていて・・・(係員とゴニャゴニャ)。”
ハイ分かりましたという事に。



(ワクチン接種そして帰路)
 接種会場(診療所も含め)の接種環境それぞれ微妙に違うと感じた。 そこでは機関銃の玉の装填よろしく、“ハイ次”、“ハイ次”と結構な人もあっという間に終わっていく。 すなわち、このコロナワクチン接種も”国が用意した神聖な医療行為“と思っていた。 しかしどうやら、私の勘違いで、診療所の午前と午後の合間の営業なのかもしれない、はっきりとは分かりませんが。

15分の体に異常が起こらなかったかの待機時間を過ぎ、クリニックの外に出ました。
彼女は“(私の)どっか、体調がオカシイところある?
そんなこと聞くの、当たり前といえばそうだが、優しいなと思いました
(歩きながら・・・)
“これ(コロナによる感染症の嵐)いつまで続くんだろう?”と彼女。
私“直ぐには終わらないでしょう”と私。
“もう3年目だもんね!”と彼女。
“(私)飲食関係の人たちは大変だよ!やってられないでしょう”
彼女“実は私、焼き肉屋を17年やっていて、去年店を閉めました。 働いていた女の子は韓国へ帰るし、お客さんも減っちゃうし・・・。
“お店はどこだったの?”
“篠崎、毎日車で通っていた、もう車も要らないネ、廃車にしなければ”と彼女。
私は心の中で、毎日車で通い、店を一人で回し長い年月、偉いなと思いました。

(40分のバス乗車だが、長いのか短いのか、複雑な思いが走馬灯のように・・・
 また少し遅れた帰路のバスが来ました。
ここまで、もちろん彼女と電話交換もしていない、接種待ちの時、彼女にどの辺に住んで居るの?とも聞かれている彼女は西○○との事、私は詳しくは言わなかった、西○○じゃないけどと。 多分二人の家は、わずか1キロ前後しか離れていない、これ以上知るのはお互いのためにならないと思いました。

バスの中では、彼女は終点での別れ方を、腹に決めていたようだった
私も長く生きてきている、それ位の空気を読めなくては。
私は此れまで家内がいる事は口にしていないが、逆に独身と嘘もついていない。
彼女と間違って例え友達でも、付き合うことは難しいだろう。

例え月一度の食事でも、いつかバレる。
好きになった分だけ、回数が増え、携帯の着信音にも”ビクビク“するようになるだろう。

時計を見ると2時を回っている、お腹も空いている、ジャせめて最初で最後の1回限りの食事は、どうだろう?。
いやダメだ、これ以上相手の良いところを見たら、例え付き合わずとも、何かが起こった時、どちらかが頼りたい、もしくは話相手になってほしいと心から離れないだろう。

バスは終着の駅に・・・
ここは、やはり、さらりと挨拶して別れよう・・・
”今日は、どうもお世話様でした“。

そして終わりました・・・

(また、新しい投稿で・・・)


お金の話です、定年を迎えて救われている、小野田少尉の一言・・・

2021-10-14 18:54:10 | 日記
お金の話です、定年を迎えて救われている、小野田少尉の一言・・・
2021/10/14 記

 最近のテレビの告知で、この秋にルバング島で終戦後も孤軍奮闘していた小野田少尉の映画が上映されるらしい。 
私としては、彼の軍人としてのすばらしさは別とし、あるテレビのインタビュー番組に出演した際、80年両親バット殺人についての小野田少尉の応えが私の脳裏に焼き付いた話です。
結果、定年後の今、自分自身の経済(金銭的やりくり)が助けられている話です。

(私の人生は少し凸凹道)
私は✖2、そして現在は3人目の中国人の女性と生活しています。
お互い再婚同士です。
私が現奥さんと婚活していた当時の中国の再婚対象者は、何故か?女性達は大体多くは30代半ばから40代前半で子供一人を養育しているのが相場でした。
上海の一般的女性達の多く当時は25才前後で結婚そして出産し離婚、しかしこんな人達ばかり不思議だな? 私も何人か紹介されましたが、真にこの通り。
 
そして我が家の子供は上海生まれの男です、私のブログにも何回かそれとなく登場させていますが、愛想の無い無口なオス猫のイメージです。 勉強が嫌いで、自分の部屋に入ったら静か過ぎて、手製爆弾でも作っているのではないか(冗談です)ぐらい、何をしているのか分からない印象がありました。 分からないはずの日本語を、教えてほしいと言われたこともありません、不思議だ。 
彼も最近は年を重ね、少し丸くなりましたが。

彼が日本に来たのは中学三年の頃、
私が彼に対して、自慢して良い事は、
1) 食事の時、当時の中国人は”ペチャペチャ”音を出す人が多かったが、私は彼をこのまま大人にするわけがいかないと”日本人は食事の時(麺類を除き)音は出さないから”と直させた事。
2) また彼は、食事のテーブルの下で、”貧乏ゆすり”、私(これも放っておけない)、”男は殺される直前までバタバタしてはダメだよ、男は小刻みに動かないと。
この二つは後々,彼自身も直して良かったと思ってほしい。

(小野田少尉の”両親バット殺人”の語りから・・・)
 日本に帰国して久しくした小野田さんがテレビの番組のインタビューで当時の日本の世相に応える形で”両親バット殺人”について、話されていた。
有名大卒のお父さんと、親の期待に応えられない息子の葛藤の末の事件。
小野田さん”非常に残念な事件だ、何故もっと前に距離をおいてお互いが生活をできなかったのか? 
この話は私達家族にも関係する事で、肝に銘じなければと私も。
この距離を置くとは、とっさに当時高校一年生の義理の中国の息子とは時機を見て離れて生活する必要性を感じました。 もちろんわが家で同じことが起こるとは、思いませんが。 
彼も上海の学校では舎弟二人位ひきつれて、トイレに行っていた生徒、先の事を楽観的に考えるは良くない。 

人は自分と同じ生活空間での身内の所作は気になるものだ、仮にも高校生の子供が深夜遅くの帰宅、また喫煙・飲酒・勉強を含め成り行きとしては注意したくなる。 家内もその状況に可愛い子供ゆえ、どっち付かずで家の空気も重くなる。 どっちにしても控えめに注意しても、息子は私の事を”うるさくて、うざったいオヤジ”に思う訳ですから。

(要らぬ衝突と、自立のために単身者用マンションを・・・)
息子が自身で家から出るのを待っていては、話が遠回りになる。
そこで電車を多少乗る距離でも単身者用のマンションの一室を彼の高校卒業まで二年あるが、物件探しを始め、無難な物件で手を打ちました。
 彼が住むまでの2年間は他人に貸して部屋を汚されたくなく空部屋にし、固定資産税と管理費をムダ払いしていました(当時は、素人でしたので)。



(小さな大家さんの始まり・・・)
 結局、息子は高卒後3年間会社勤めで部屋に居住した後、中国上海へ行くという事で、このマンションを出ていきました。
 小野田少尉のメッセージのヒントで買った部屋も空部屋となり、役目が終わりました。
この部屋の次のミッションは賃貸に出し、少しでも収益を上げるしかありません。

いったん持ち部屋を賃貸に転用すると、部屋が汚されるとかの臆病風は気にしないようになります。  

(人生、全て万事塞翁が馬とは限りませんが・・・)
 同じ屋根の下で、ぶつかる可能性すらあった親子の話が、最後はめでたしめでたしと思われますが、結果はともかく家族の心なんて時には、それぞれ針の向きが違う方位計”のようなもの。

今、私の少しばかりの余裕は、小野田少尉のメッセージから自分に当てはめた決断から来ているかもですが、それでは義理息子にストレートに感謝とも違うかな。

人や例え家族であっても、お互い世話になったり、優しさに、感謝を言葉にする局面もあるが、逆に原因が分からずとも、言葉や振る舞いで、時には”傷つけられる”ことも。

 かの夏目漱石先生の、“知にはたらけば角が立つ、情に竿させば流される(私的には:例えば大金をつかわされているのに、使った相手はケロッと忘れている風情)”に似る。
余談ですが中国人との結婚はお金がかかります、生活全般は日本人男性の丸抱え状態で反面、通常奥さんの稼ぎは永久凍土に蔵置されたように金額は分かりようが有りません。

 自分の思いや感情の黒白をはっきり家族に求めても騒動の元、余計な文句を他から言われない限り、自分の利や恩を語らず涼しい顔をして生きていくのが“落としどころ”なのでしょうか

わかりません!

 

未熟な3人(組)が演じる恋の顛末(てんまつ)― 上海にて ―

2021-03-23 13:55:23 | 日記
未熟な3人(組)が演じる恋の顛末(てんまつ)― 上海にて ―
2021/3 /23 記

(息子が突然、会社を辞める宣言)
 今から約10年前なんと言おうか日頃、口の重いご本人(私の上海育ちの義理息子)がここで切り出さなければとも言えるギリギリのタイミングで話があると。
場所は彼のマンション近くの川口のレストラン”華屋与兵衛”。

私も以前から何かが燻って(くすぶって)いるとは感じていたが、本人からは初めて。 
さながら家族会議・・いや真にです。
本人曰く、会社(東京)を辞めて、三か月後に上海の高校の同級生の彼女と将来は結婚を前提に上海に行くと。
振り返れば、私達が再婚してから約1年後に、本人の事を考え高校1年生の時に日本へ呼び寄せた。 例え日本の定住ビザは簡単に取得できても、日本での学生や生活経験が無い事には、日本を足場にすることは難しい、今しかないと。

 ただ驚くほど、勉強の嫌いな子供だった、高校の中間・定期試験には私が塾講師のようにサポート、模擬問題も作ったり。 しかし勉強が嫌いながらも、本人も家族も大学進学のつもりで、AI入試も何校も受けた。

ところが一般入試を間近にした年末に突然・・・
お父さん!お父さんの会社(コネで)で働けないかな?”
”何だ、お前、大学行かないのか?諦めたのか?”と私。
・・・(本来なら、その場で怒鳴り合いでも可笑しくない状況だが、余りに”落ち“が決まり過ぎていて言葉にならなかった)・・・
仕方ない、後は私が会社(物流)のトップに頭を下げ、息子は高校卒業後に正社員入社となり三年半経とうとしていた。

やって見なければ分からない的発想、まるで戦争に初めから負けるようなもの
しかし息子と彼女のプロフィール、また家庭ではギャップが有り過ぎる。
私には子供が玉砕(失敗)するのが目に見えていた、もちろん家内の目にも。
“話に聞けば、彼女は大学の法学部を卒業し銀行に就職が決まっていると言うじゃないか!おまけに父親は上海税関のお偉いさんでマンションを何部屋ももっていて、お前と彼女の家は比べようがないだろう!”と私。

私が足げに通った90年前半と中国は様変わりしてしまっている
当時、一般の人の月給は1000元(約15,000円)、家内の姉妹の家庭も普通の勤め人達だったが、このコロナ禍の前には高級車は乗り回す、年に海外の旅行を米国西海岸、欧州、オーストラリア、カナダへと、何回長距離旅行をすれば,気がすむのか?
上海のマンション価格の上昇も、日本のように何パーセントのような世界と違う、倍々と軒並み立地・内装に拘わらず億ション化してしまった。
中国には葉っぱをお金に換える、機械が有るらしい(冗談)。

続けて私は”日本人はこういうのを、梯子(はしご)を外されると言うんだよ、わざわざお前を上海に呼び寄せて(あたかも面接試験)、お前の中味と金の無い親と分かれば捨てられるんだ”。 
その間、家内も同じ考え、黙って聞いていた。

渡りに船の息子、人生経験不足な彼女の親や娘
 
この恋の”ゴタゴタ”も、単に好きだ、惚れたの話では無い。 息子も大学受験の試練からも逃げてスルーし、一流会社で無いにしても縁故で正社員となれた。 
しかし努力・苦労に耐え抜くDNAも持たず、にもかかわらず自分の居心地の良い生き方(職業)を相変わらず夢見ている。
彼は私の会社で働き始め3年、”嫌気を感じ始めていた”頃だったのでしょう。
お金貰うに、楽しい世界(会社)が何処にある?

そこへ上海の高校時代の同級生からの”誘い”、息子を呼び寄せ近い将来、もしお互いが納得し結婚。 息子の心の底にある”現状から逃げたい”を、上海での”将来の結婚”という聞こえの良い言い訳で、汚い壁を“桜色”で上塗りするつもりだ



 彼女も違った意味で、親の保護下で高校生並みの経験値で大学卒業がほぼ確定した心の余裕で、高校時代に息子の日本行きで中途半端な別れに再び”火がついた”のでは。
特に彼女のようなケースは、ほとんど世の中の事は分かっていないだろう。
家庭が安定(経済的にも)している親は子供たちに、社会を生き抜く大変さを見せないで来ていることが多い、あたかも親鳥が羽を広げ困難を見せずまた防御し、時には必要以上に頼もしい父親を演じ。

そして子供達は社会へ飛び立ち、生きていく事そしてご飯を食べることすら容易でないことを初めて知る。
彼らはこれから社会を生き抜く大変さを知り、まだまだ変わる”ずる賢く立ち回るのか”、”女を売って得する事を覚えるか”、もしくは”苦労しても正攻法が王道と知るか”。
女も男も3~4年で、無垢な顔つきから別物に変わっていく

彼女の親達にしても、人生の表通りを歩いて来た未熟者、高給取りだろうが,有名大学卒だろうが。
自分の娘と内の息子とが”不釣り合い”なのは明白だったのに、上海まで会社を辞めさせ呼び寄せずとも。
未熟な三者三様が演じた田舎芝居なのだ。

(息子に“かぐや姫の無理難題・・・
程なくして”やはり”、高卒の息子に対し、大学位は卒業してもらわないと、さらにバブルで高騰している住まい(マンション)を息子側で何とか工面する事を要求。 とても息子にも、私達が助けるにもとても日本円で1億円にも迫る用立ては不可能。

ただこれらの大卒の学位もマンションの購入も例えていうなら、かぐや姫の求婚者に”蓬莱の玉の枝”や”燕の子安貝”等とハードルを高くして、求婚者達に面と向かって断れないので、相手から手を引かせる手段なのだ

息子は働きながらその後、大学は卒業したが、既に勝負あり(事実上の離別)。

(結婚を決めてから、後付けでキャリアを上積みする、これ有りか?・・・
 若く生活経験(この世の浮き沈みを知らぬ)の浅いカップル、そして二人の結婚に口をはさむ親たちがいて、結婚を先に決めてから婿さんに医者・弁護士さもなくば一流会社もしくは上級公務員と理想を願う(要求する)。

世間体にこだわる親やあるクラスの方々の結婚を先に決め、それで後付けでキャリアの上積み、何か不自然。
普通の夫婦生活(同棲)をしているカップルが、男性の夢をかなえるために女性が看護師をやりながら数年にわたり生活を支え、苦労の後に資格習得とか男性の望みが叶い夫婦の宝話になるとは全く異なる話だ。

家の息子達のような人生の焼き入れが入っていない二人が、さらに親達も干渉する結婚のように、最後はどっちに転がるか分からない話”は慎重で有るべきだと思う。

これがビジネスや不動産の取引であれば、当然”立ち止まり”、リセットして双方が頭を冷やすところではないか。

話を早期の時点でリセット、つまり”白紙”にすることは、恥でも、失敗でもない
変なプライドと意地で突き進む方が、はるかに危険で、不毛、時には多くのものを失う。
立ち止まれる”ことは勇気であり、最後の命拾いの道標(みちしるべ)”となる。

(また別の投稿で)



若く青い私が乗り込んだ船(人生)そしてカーペンターズ

2021-02-21 16:51:11 | 日記
若く青い私が乗り込んだ船(人生)・・・
― その時、流行りだしたカーペンターズの歌声に思わずSOBER(物思い) ―
2021/2/21記

手探り人生・・・
 私は戦後のベビーブーム期の生まれ。
子供時代は押しなべて、周り近所を見回しても豊かではなかった。 当然、私の家も子供4人、どちらかと言えば食べるので精いっぱい、親も子供たちの進路に余裕もなく、口も出さない出せない。
要するに勉強も学校選びも、子供たち次第、おまけに私が高校1年の時に両親が離婚という事になり、それ以降はアルバイトと学業は常にワンセット

家が裕福だったり、それなりに子供の将来を心配できる環境の家庭でないので、学校の進路、就職そしてその先の結婚も子供達の本人任せ、多分世間の家庭でも多く。
それはそれで良いのだが、人も草花と同じそれなりのサポートがあれば大きな人生の華を咲かせることもあるかも。 其のせいか自分は政治家や芸能人の二世の登場にやや“嫉妬心”を感じるのは悪い癖だろうか(笑)。
ただ子供が危険な目に会いそうな時は、家族に本気で怒ってもらいたかったとも思っている。

カーペンターの美しい歌声が、自分を現実に引きづりおろす・・・
 かろうじて大学を卒業し証券会社へ就職、職種は自分にピッタリでした、しかし手を抜かず自分自身にムチを打ちON とOFFの使い分けが出来ず“自滅(退職)”。
20代前半なのに在職中に白髪が多数、知らず知らず精神的にも参っていたのかも。
その後は全然違う環境でやり直そうと美容学校に入学そして卒業。 そしてその業界で知り合った人と結婚。

 
当時は私自身、美容師としての経験も浅く、中途半端に余り余ったエネルギーを消化するため、そして併せて収入も必要で、東京御徒町の昭和通りに面した喫茶店でアルバイトをしていました。
正直言って、そのお店は居心地の良い所でした。
喫茶店のバイトは何カ所も行きましたが、従業員の休憩時間の食事などトーストにコーヒーだけ、あるいは賄のスープの具が”グタグタの残り物“と適当なのが相場です。
ただこのお店は、従業員の食事はメニューの何でも、リクエストすることが出来ました。
店のオーナーはそうした世間の“擦れた業界の基準”を知らぬ、お金持ちだったかもしれません。
夜10時閉店近くになると、裏の建物から店のオーナーの大学生のお嬢さんが売り上げの計算にやって来ます。
営業時間中は“イージィ・リスニング”を店内に流していましたが、客が引けてからは彼女のお好みを、その日は何故か彼女は”カーペンターズ“の曲をかけて売り上げの計算でした。
たしか曲は“イエスタディ・ワンス・モア”。

高校生時代に私はビートルズに夢中になったりして、流行りをフォローしていましたが、社会人の時や美容学校に通う頃は、その日を終わらせることで精一杯。
とてもどんな曲が流行っているかも、空白の時期。

そこに耳に入ってきた“カーペンターズ”の歌声、一時期のグループ・サウンドのように迫力で訴えるでもなく、優しいサウンド。
“流れの早い川の静かなポケットのような水溜まりにも似た、美しい歌声そして哀愁も漂う
なぜか説明できなくも、私の心は釘付けとなりました。



(その時24才、ただ私はもう船出していました・・・)
 前述のごとく、私には既にパートナーがいます。
普通であれば、いい曲を聞いたら例えば“○○○と言う曲聞いたことある、どう思う?良くない?”という話があってもおかしくない。
しかし相手は、それ迄あまり気には留めていなかったが、”そう言えば“洋楽にたいしてそれ程の興味はない人。

その時、自分が良い曲、なぜか落ち着き、“しんみり”くる感情を、相手とシェアーできない淋しさが急に体を包みました。
男女は時には、その時の流れ、そして関係を持ち、比較的簡単に”扉“の向こう側へ踏み込む。 しかし人間は生きていくうちに、自分のうちに無意識に隠れている感性や違いをひも解いていく(発見していく)。 多分、一生を通して、そして当然、変わっていく(成長とも言える)、例え外観は何時しか年老いていくが

カーペンターズの歌声が店内に、そして私の心に鳴りわたったいる傍らで・・・
“結婚しちゃっている・・・”と自分。

それを継続して行くしか、選択肢の無い現実
“私は既に、(人生の)船出をしているのだ・・・”との思い。

(それでは、また別の投稿で)



長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・

2020-04-20 16:52:50 | 日記
長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・


 新型肺炎によりTVの報道ではスーパーは買い物客で混んでいる映像も流されています。
今日は食べ物の在庫がなくなり仕方なく、近所のショッピングセンターに行きました、約一週間ぶりです。 外出自粛が出ているので予想はしていましたが、店内のスーパー部門を除き殆どのテナントのフードコートはシャッターを下ろし、広いエリアは全ての椅子が使用されないようテーブル上にひっくり反され、いつもの風景とは異にしていました

(時代が数十年前に戻った?でもなく、なんだろう?・・・)
と言うか、ここのショッピングセンターは工場跡地に十数年前オープン、地元に住む私はこんな静かな街にそんな大規模に新規に投資開発して、当初は”大丈夫?“と見ていました。 ところが意に反して、開店によりどこから人が来るのだろうか?と思うほど人の流れが生まれ、馬鹿にしていた付近の不動産価格も上昇。
そんな私も大きな”箱もの“を作ると、素人には想像もつかない事が起こると、数年前は学習したところでした。
しかし今日4月9日の新型肺炎で、付近の道路は客の動きは大型店らしからず、このショッピングセンターができる以前の街の寂しさを脳裏にふり返させる。 何故か人がどうする事も出来ない力で、作り上げてきた街の賑やかさをも“吹き飛ばされたような”。 
もちろん現在の状況がいつか終息することを祈るが。



(日本が長く作り上げてきた飲食ビジネスどうなる?・・・)
 規模も種種雑多の“めちゃめちゃ感”はロンドンもニューヨークも私が知る限り、東京の足元にも及ばない。 高級店から赤字覚悟のサービス精神で孤軍奮闘する個人飲食店まで、古今東西の料理で、地元のみならず世界中の観光客を引き付ける理由はあった。

 昔、上海のサイゼリアで食事して際、この辺りの欧米の住人が全員食事に来ているのではと思わせるほど混んでいた、中国ではあたかも彼らの“オアシス”。 なんせ上海での中国人経営のイタリアンや洋風レストランは“味になっていない”不味かった。 やはり日本は穴場だったのだ。

 それがこの新型肺炎により、一時的終息はあるかも、だが数か月後、数年~十数年後に類似の感染症の発生を含め覚悟する必要があるのでは。
 今までのように、飲食店での他の客とギスギス接触状態での飲食にはリスクの顕在化が明らかになってしまった。 何か全てあたかも、この世の中に新しい設計図が必要のような・・

(必要、ライフスタイルの変更?・・・)
  この状況が何時まで続くのか? しかし今現在、コージィ(温もりのある)な喫茶店やレストランで時間を友人と共にするより、自分以外の他人と隔絶することが大事になってしまった。 今回の騒ぎで、ややマイナーであった持ち帰りや宅配も生活の一部に。

 仮に私がスーパーや飲食業のオーナーなら、多少投資が必要でも今後数年間に断続的に新型肺炎の隆盛期があると仮定し、店舗のレイアウトや従業員や顧客の安全性を少しでも確保できる新たな環境と投資が必要となるだろう。
 となると今までのようにテナント家賃の効力活用のため、一定のエリアに出来るだけ顧客を詰め込むのは困難となる。
 
 会社にしても、新型肺炎まで通勤勤務していたものをできる限りテレワークにシフトとなれば、個別の従業員の身分や報酬も様変わりとなる恐れもある。 もちろん2021年以降に関しては新入社員の求人減少や選別化も起こる可能性が。

(目先の新型肺炎が一時的に終息しても、終わらない・・・)
 今の株式市場を見ても、一時の高値より若干下げたことはわかる、しかしこの3月期の主要企業の肺炎による不意打ち的な混乱で大幅な減益、および来年以降の減収益、不透明な世界経済をまだまだ織り込んでいない。 
 新型肺炎は個人のライフスタイルも街中のサービス業も会社の事業モデルの変更を強いるだろう。 あたかもかつて大砲を打ちあって戦争をしていたものを飛行機がそれを凌駕し、日本軍の虎の子戦艦”大和“が僅か建造数年で旧式な道具に化したように

 もしかしたら私達が時には長く親しんだ街中での飲食や買い物も、淋しいが部分的に放棄しネットショッピングやテイクアウトに移行するとか。
 企業の多くの従業員が今までのようにスーツを着てネクタイし電車に乗り通勤しないテレワーク勤務が可能となれば、会社の従業員本人も帰属意識も薄くなり、地位も不安定に?。 一方、将来テレワーク職自体が外部委託やフリーランスの下請けとなり、就職の意味が様変わりになる可能性も。
職場での“和気あいあい”の語らいも昔をなつかしむ語り草になるかも。

(ツアーリズムの代償)
 今回の世界的新型肺炎の流行の裏に世界的な旅行などによる人間の大移動も起因している。 今となって見るとツアーリズムによる経済効果よりはるかに“負”の側面の方が勝っていたことになる。
国も企業もインバウンドの恩恵で節度を失ってしまった、“調子に乗っている時こそ危険”という定石を無視してきた。 まさに“過ぎたるは及ばざるが如し”それは日本のみならず、アメリカも欧州も。

“未来の衝撃(A・トフラー/徳山二郎訳1982刊)”は流動性(の)社会”というフレーズを使い昨今の国内の移住者(私は旅行者も含めたい)は地域への忠誠心は弱く責任も薄く短期間で去っていくとしている。 私は旅行者を含め短期移住者は、従来そこに定住する者に出来るだけ”負“を残すべきでないと思う。
今回の騒ぎで、旅行者が安価なツアーがあったから、コストはそれだけで済むのではなく、旅行先で地元住人のリスク負担とし、若干高めのビザ費用や入国税は徴収するも理があるのでは。
少なくとも、自国がロックダウンする前に、日本に逃げ込むのは好ましく無い。




欠点も含め相手の全てを愛せ、もし大事な出会いなら

2020-04-02 11:19:00 | 日記
2019/5/28記

価値あるものとは?)
 ある雑誌に書かれていた、こんな話。
昔、ペルシャの市場で古老がコーラン5巻をセットで売っていました。 たまたま通りかかった男が、それに興味を持ち買いたい衝動、でも値段は?心は行ったり来たり。 ついに男は聞いてみる“そのコーランはいくらだ”。 そこで古老は“(例えとして)5巻セットで10万円”。 値段を聞いた男はためらう、買う決断が中々つかない。
 それに業を煮やした古老はコーラン5巻の内の1巻を、側で焚かれている火だまりに投げ込んで焼いてしまう。 やっと最初から5巻まとめて買えば良かったと思った男は“なんていう事をするんだ買おうと思っていたのに!”。 
そして男は続けて言う“せっかくの1巻を焼いてしまったことだし、残り4巻でいくらになるんだ?”
古老は“(価値あるものは、多少の傷みや欠落があっても)値段は先に言った通り変わらない”との事。
・・・これを読んだ私は我に帰りました、これと似た過ちを当時何年か前に犯していたからです。 重い辛い思い出です。・・・

(彼女と偶然の出会い、池袋にて)
 ニューヨーク、中華街の台湾系の小学校で中国語を習い始めていた経緯もあり、帰国後の関心は中国語へ、時は1996年頃です。 池袋駅東口でたまたま貰った、金曜日夜に付近の中華レストランでのダンスパーティーのリーフレット(いわゆるビラ)が縁でした。 私は一人で出かけました、そこでは既に何組かのカップルが踊り、曲ごとに相手を変えてフリーに踊っています、壁際の椅子にも人達が。
中でも白いワンピースを着た女性、声をかけてくる男性に嫌な顔もせず、代わるがわるパートナーとして楽しそうに踊っています。 
・・・(私も踊ってもらおう)・・・その日は彼女と踊った事以外は憶えていません。
3,4曲一緒に踊りました、その間に会話も。 彼女は3ヵ月前に日本に来たばかりと
そして揃って座って、話を、私はコーラ、彼女はジュースを飲みました。
北京から出張で来たそうです、期間は2年間、話の真意は分かりませんが、見たところ結婚している年齢だし、家族のある女性を海外へ単身で出張させる?
話が本当だとしたら、中国って意外と進んでいるんだな!そして会社に選ばれて出張する彼女は少しエリートなのかな?その他色々、私の頭の中・・・。

そしてパーティーの終わり間際、彼女は私に何か話かけている。
日本語を話せない彼女の話が、中国語が“若葉マーク”の私は“何々、本当?”、“何だか彼女の最寄駅まで一緒に帰ろう?”よく分からないまま、最悪、最寄駅迄送ってくれなのかな?で、私達はパーティー会場を後にしました。

(彼女のマンションへ、これトラップ?男が出てきて半殺し?)
 地下鉄のある駅を下車、駅から2分と言うけど内心“そんなに近い訳ないだろう、それだったら家賃は高いよ!”。
彼女は駅迄で良いので“サヨウナラ”と言うのか?と思いきや、私を建物前に案内、そこは新築の“LIONS XXXX”,オートロックを解除しエレベーターで部屋へ。

そして部屋に入ってから数十分経っても、例の私を半殺しにする男達は来ないので、今日の所は無しかな?と緊張感は解けつつありました。
それでは積極的に私を男として迎い入れるのかな?といえばそうでもなく、彼女は自分のベットで私はその下のフロアにマットのようなものをあつらえてくれて、つぎの日の朝を迎えました。
とりわけ彼女と最後まで行った分けでも無いし、これで会う事も無いと思っていました。 しかし今度、彼女は今から私の家に付いて来ると言いだしました。今でも忘れません彼女の一言、私の1DK(公団)の部屋を見渡し、これといった家具や電化製品も無いところから、やっと話す日本語で“あなたは貧乏です”。
それを聞いて、半分私は笑えました(そう見えるよな!)。
何時でも現在の自分を捨てて外国へ再び行けるように、大型の家具・電気器具は極力買っていませんでした。


中国領事館への六本木交差点と同時に私の人生の分かれ道 ↑

(それからはお互いの部屋を行ったり来たり)
 以前は多少アカヌケしない身なりを、少しでも日本の街に溶け込むように、服は良く買ってあげました。 一緒に出掛ける際も、私が喜ぶような服装で歩いてくれました。 そして彼女が無理していたかどうか?分かりませんが、食事も私の好みに黙って付き合ってくれました“随便!(スイベイェン⁻何でもOK)”。
彼女特有?外国人ゆえ?デートの際は異体験です。
電車の中では、彼女は私の手を握りお見合い状態です
正直、私は日本人ですから少し恥ずかしい、しかし、これも幸せの一つの形として受け入れました。 デートの別れ際、ホームだろうが、路上だろうが同じく彼女は“キス”をするものと、私もそれに応えていました。

その時、私は四十半ば、彼女は30代後半。
人によって個人差はあります、ただ彼女は子供が産める体でした
時折彼女は妊娠することに、不安を示したり、一方子供をもうければ頭の中で善悪を考える余地も無く、日本に居続けられると微妙な所にいたかもしれません。 
本当はひとえに、私の気持ちに懸かっていたのですが
彼女の会社でアメリカの長期出張へ行った女性達が、何人も中国の生活や家族を捨て帰らない話は聞かされていました。 彼女も(中国の家族を捨てても)このまま日本に残りたいと言っているようにも聞こえます。

(自分も幸せになり、彼女も過去を取り戻せたのに・・・)
ある日、彼女のマンションに居た際、写真帳を持ち出してきました。
中国にいる両親・姉妹・そして彼女の娘さん、見たところ小学3,4年生、容姿は彼女(お母さん)より美人でバイオリンを手に持ちポーズ、中国では中流の上と感じました。 同じページのクリア・ファイルには・・・(中国語で次のように)・・・
この地球上で何もほしいものは無い、只要我親愛的MAMA(ただ大好きなお母さんがいれば) 私の頭の中は真っ白になりました

更に私の心には重くのしかかる衝撃な事実・・・
彼女いわく“実は私は後妻(継母)で今の主人のところへ嫁ぎました”涙ぐみながら。
人は時折、何かのはずみで迷い路に入り込んでしまう事があります
何故、彼女がその結婚を選んだか、何があったのか?私は理由を聞いてはいけない、素晴らし彼女を負の部分を重ねてみる必要はありません。その時、彼女がその結婚に誇りを持てないなら、心の傷を少しでも鎮めてあげるべきでした。 強く抱きしめて、一緒に泣いても良かったのに・・・

確か付き合いは10か月程続きました。
人間、自分の目の前に最高な人がいるのに、彼女と一緒になる事からくる幾多の問題なんて腹が座っていれば、きっとどうにかなっていたのに。例え家族が急に増えても。
私は楽な答えに逃げ込み、そして幸せの架け橋をも自ら遠ざけてしまいました。
そしてその後、現在に至る何年、何十年、私の心は”もしも・・・”、”どうして、あの時・・・”とその記憶で冒頭のコーランを買いそびれた男のように、立ち止まっています。

よく人は一生のうちに男女の巡りあいは2、3度あると言うが、それは違うと思う。
その2,3人を並べれば、誰が最高か?最高であったかは歴然としてきます

映画のタイトル“復讐するは我に有り”ならぬ、“復讐するは自分の過ぎたる欲に有り”が自分にふさわしいタイトルの故史です。