中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界

2022-12-21 07:46:15 | オヤジ留学
中年オヤジ留学
米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界

アメリカ人の食に対する執着心の無さは、むしろ強さか
2016/7/2投稿 2022/12/21編集

これでもクリスマス・パーティー?私の偉大なる勘違い ニューヨークに留学してほぼ一年も経つ年の暮れ、自分が住んでいるI-HOUSE(コロンビア大学近くの大きな学生専用の寮)の掲示板に、クリスマス・パーティーへの誘いの貼紙を見て、参加を決めました。
まだ留学一年ですから素人です
あたかも暇を持て余した盆暮れに格安ツアーをゲットした感じです。
頭の中には手作りだろうが?何だろうが?ケーキがあって、チキンにかぶりつきコーラなんか飲む姿を想像していました。
甘かったです。


↑ コロンビア大学

 ホスト・ファミリーの住む駅もブロンクスの#1地下鉄終点近くで、駅を降りた途端あのやかましい金太鼓がなっているようなヒスパニック系の人間が、うようよいる感じで、ちょつとヤバイ! テレビ“(世界の)こんなところに日本人の世界“
何時(いつ)ひったくりに遭っても、おかしくない空気
 行くとき少し良かったのは、寮の仲間と一緒だったので、助かりました。 また、この地域の”柄”の悪さを知っている仲間がいたので、少しは安心。
 
ホスト・ファミリーの家に着くと、アメリカ的挨拶で歓迎。 しかし、メンバーが全て揃っていないこともありましたが、例のパーティーらしきテーブルも、食べ物も見当たりません。 何だろ、何だろ準備してないの?”といった感じです。
他のゲストも何人かで五月雨的(さみだれてき)に来るので、なかなかパーティーが始まりません。 その間、参加者はフロアの上で直接腰を下ろし(椅子は圧倒的にたりませんから)、まるで学校遠足で先生の指示待ちのように床に“三角座り”。

 何が始まると思いきや?歌の練習そして、やっと始まったのが、食事ではなく、歌の練習です。 渡された紙には、あのジングルベルの歌やら、ノエル、ホワイトクリスマスしめて7,8曲。 30~40分は練習させられました。 アメリカ人のクリスマスを見れるとばかり好奇心で参加したけど、内心お腹はすくし、えらい所に来てしまったと反省。
 それから、”いざ出陣”。 ニューヨークの12月末、日没、表はとても寒いです
にわか救世軍のごとくホストの言うままに街の辻辻(つじつじ)で歌のオンパレード。 
もちろん、それを聞いた街の人たちは窓を開け、サンキューコール、一応場所はアメリカですから、それくらいの礼儀は。
冬の夜、寒空、街頭で合唱すること1時間半以上、 飢えと寒さ、堪(こた)えます。
 仲間のアフリカ人の留学生も、私と同じ気持ちで意を決して”敵前逃亡ならぬ、”もう、ここで帰る”とホストへ直訴(じきそ)。
しかし何で、もう食事だからと言うことで却下

 部屋に戻り、いざパーティー。 出てきたのは、大きなヅンドー(レストランでみるステンレス製の縦長の鍋)。 トマト味の、ミネストローネに似た少し濃いめのスープのみ。
後でインターネットで調べたころ、この料理はアメリカ南部で定番の家庭料理”ガンボ“と分かりました。
 それにライスを沈めて食べると言ったシンプルな食事、雑炊のような。
味は美味しかったです。
でも日本で馴染みのケーキもチキンもサイドメニューは全く出てきませんでした。


↑ ガンボの参考写真(料理レシピより)

(アメリカのパーティー事情)その後、約4年の留学生活から分かってきたのは、アメリカのパーティーでは一般に東洋系のホストの主催の場合、食べ物は豊富。
アメリカ系の人の場合、ボトルワイン(安物)にピーナッツかアーモンドのツマミだけの場合もあります。
食べるのではなく、”自分を語る”そして“相手の数奇な生き方、人生そのもの”がツマミとも言えそうです? 
話題に、”イチロー“も”田中“も”トヨタ“も”天皇制“も必要ありません。

ですから日頃から、会話の中で相手に自分自身を興味深く印象つける心の中の自分自身の履歴書”の準備が必要です。
アメリカでは新聞、テレビの情報を鵜のみにした事を、授業やパーティーで披露するのは歓迎されません。

(お腹の空く人は、お菓子持参を進めます)
ですから、アメリカ人の友達を普段、訪ねていっても日本人のように来客のためにケーキやお菓子を事前に買って待っているようなことは(ほとんど)ありません。
テーブル一杯の食事や飲み物でお迎えは映画やドラマの世界で、特別な季節行事でもない限り、アメリカ人は買い物や準備をして待っているようなことはありません。
ですから、日本人のように、何か食べて会話したい場合は持参が良いですね。 アメリカ人の場合、家に食べ物を用意していなかったからと言って、外にお茶を飲みに行くことはしません
当時日本人の私でさえ日本では豆をひいたコーヒーを飲んでいましたが、アメリカのお宅の大部分は”インスタント“でもてなしをうけました。
これは少しビックリしました、コーヒーってアメリカが本場じゃないの?と。

 私は3年目には、韓国人、アメリカ人の3人で一部屋のコンドをシェアしていましたが、時にはアメリカ人のルームメイトは夕飯にただの食パンにピーナツバターで過ごしていました。 日本人や中国人なら、当然買い物ですよね。

 経済性も含めて、食に対して執着性が強いのは、やはり中国人かな? 何しろキッチンに立っているというか、独占していると言うか時間が長いのは彼らです。

また、昼は私はピザが好きだったんですが、当時(90年頃)1スライス(1/8切れ)1ドル25セント、そしてペプシコーラ75セント。
ピザ屋で見かけるほかの体のでかいアメリカ人、余り2スライス注文する人少ない感じです? 

(まとめ)自分の印象では、アメリカ人は食に対する執着は薄い。 ただ食べさせたら半端ではない。 あたかもライオンが獲物が捕れないときは空腹を何日も我慢でき、いざ食べるときはガバットと牛一頭とか(冗談です)。
この切り替えは、日本人も見習うべきかも?

日本人や中国人が料理に恐ろしいほど、材料探しを含め時間、労力、お金をかけるのには他の文化の人からは、どう思われるのでしょうか?

だから勉強や仕事への集中力は日本人よりあるかもしれない

また日本人が人をもてなすのに、物や食べ物が頭から離れないが、時には過度の接待は見直しても良いのでは?
また、続き書きます



眩暈治らない? メニエールではなく頸性不調では、私の場合・・・

2022-12-17 14:44:26 | めまい眩暈
眩暈治らない? メニエールではなく頸性不調では、私の場合・・・
2020/12/17 投稿 12/25 編集
(以下、私の個人的な感想です、皆様の適切な対応はお医者様とご相談を願います)


 今から遡る約4年間、「眩暈(めまい)」と悪戦苦闘して来ました。 色々な科目の病院(耳鼻科3医院、眼科2医院、神経内科2医院、脳神経外科2医院、整形外科2医院、循環器科1医院、総合内科1医院、かかりつけ診療所、整体院1院)の門をたたきましたが、多く先生は“年齢”だから、“運動して、栄養のあるものを食べて”。 あるお医者さんは“眩暈は正直、治らないから!”でした。

 つまり各病院で採取する血液などや、X線、頭部のCT検査・MRI、心臓のエコーには、眩暈と繋がる原因は見つけられない場合は、どこの病院でも最後は「運動して栄養で」となります。

(お医者さんの大部分は、眩暈の原因は「耳」からきていると言う、次に脳障害、その他もあるが。 そして私の原因捜しは4年間の迷宮でした・・・)
 そして今、私の場合は頸せい不調(もしくはその辺り)だったと思います(私は医者ではないのですが)。


↑ 株式会社メディカルレビュー社 : 興和株式会社 小冊子


 確かに4年間の眩暈の更にさかのぼる数年前に「良性発作性頭位めまい症」(内耳内の耳石がハガレ、天井がグルグル回る眩暈を経験しています。 この良性頭位めまい症は自分にとって、一週程度で完治し、その後の4年とは繋がっていませんが、「老化へのプロローグ(序章)」であったかもしれません。
 皆さんも一過性の体調不良は、その次の体調悪化を知らせる黄色サインが点灯かもしれません。

私の「眩暈4年の闘いから」私なりに学習したこと。*
 真剣に自分の「眩暈」を治したいと思う場合、何が起因しているか、早めに突き止めること。 さもないと老年期入口の別の諸症状と重なり、多くはメニエール系の「眩暈」を経験した人は、そのめまい症状と自律神経失調症、目のカスミ、自分で感じる心臓の違和感、動作の緩慢、さらに見えない不安から“パニック障害”等も発症し、場合によって”逆に眩暈を助長する薬の服用に至ることも有ります

(頸性不調と分かるまでの、足跡・・・)
1)  耳石ハガレの眩暈から回復の数年後、下を向いたり、洗濯物で上を向いたりしても収まらず、耳鼻科でメニエールの処方薬としてメリスロン(ベタヒスチン)を処方されたが、効果ありませんでした。 ―> 後で分かるのですが、頸性眩暈にはメニエール処方薬は有効ではないようです。
2)  その後、後頭部あたりが重く感じ、就寝時に枕に頭を載せると“スート”血の気が引く感じ、このまま逝くのかな?の悪寒”。 目薬を差すため、首を後ろに倒すと後頭部が張って重い感じとなりました。 これは私の眩暈も次のステージに入った感じで、場所が場所なので脳梗塞などの脳疾患を疑い、脳外科でMRIの検査となりました。 ―> MRIの結果、認知症の予兆もなく、むしろ良好状態と。 ただ眩暈の対処法及び投薬もなかった。
3)  2020年央、しかし次第に眩暈の症状が強くなり、仕方なく行く耳鼻科を変えて、処方された薬を飲み始める。 ―>セファドール、アデホスコーワ等を処方される。 ただ、いつまでも”ダラダラ”服用していると、むしろ”眩暈”がする副作用
この頃には私の体調が悪いないし眩暈や倦怠感が、付きまとうのが日常となりました。 薬が効いているのか? 逆に薬の副作用か? 今までと違うフェーズ(局面が変わる)に入りました。 ―>頭痛がしたり、不安から心臓がドキドキしたり、手が震えたり。
4)  20年頃はコロナへの恐怖感もピークで、ワクチンも接種前夜、無難なのは家での籠城生活していたせいか外出もへり、体力は落ち、もちろん「眩暈」との闘いも日課となりました。  “この科に行った方が良いかなという病院も壁にブチ当たり”、周期的に「眩暈」が襲ってきました。
“自分も長くないのかな?”と落ち込んだり、こんな時に服用していたのは ―>ソラナックス(抗不安剤少量、朝のみ1/2錠/日)は一時的な対処法ですが、他にすがるものが無く、私の逃げ道でした。 この生活が2年ほど続きます。
5)  そして今年22年の夏にコロナを発症、10日過ぎて熱はとうに過ぎているのに、”倦怠感“がつきまとう眩暈と似た症状も、出来たら寝ていたい情態。 ある日、たまたまTVで映し出されていた青年も”倦怠感“で布団を枕にゴロゴロしていた。
 このコロナ明けの若者もゴロゴロしているのを見て、これはダメだ“自分と一緒だ、この後遺症や眩暈に負けていたら、自分は年だから簡単にあの世へいってしまう”と自分に火が付きました(これが頸性めまいから脱け出す転換期となりました)。
”辛くても、運動しよう! 体を奮い立たせよう!“との思い。
普段しているストレッチの他に、軽めの腕立て伏せ(体力が無いので、上半身のみの腕立て伏せ10回)で効きました
体が温まり、気分が上気しパルスメーターも95->97に上昇、この軽い上半身腕立て伏せは続けようと現在もやっています。
6)  その後3カ月過ぎ、「眩暈」もかなり改善され、食欲も出て、何しろ私の場合は一種の閉所恐怖症(狭いところ、スーパーの陳列棚)の併発も起こらなくなりました。 これには以前は運動不足でしたが、第二の心臓と呼ばれている脚の大腿部の運動や外出に努めています。 今では、お医者さんが叫んでいた“運動と栄養”の関係付けも理解できます。 

(ご注意)
 首回りの運動、後頭部が重い、凝っている場合、最初から強く推す、大きく、早くマッサージや首を回転(とくに後方への屈折)は避けます。 慣れるまでゆっくり・2セット位で、気持ちが悪い、違和感を感じた場合は中止する。
ただこの運動が、体に必要な場合は、不思議と2~3日経つと、首周りの運動を又やってみる勇気が起こってきます
 また用具(かたいマットの枕替わり)、ローラー、帯類の使用は避けた方が良いでしょう
 また整形外科でX線の画像から、頸せい眩暈は頸椎の骨折・陥没が無くとも起こります。 耳・眼・脳などへ続く血管や神経の不調と体調・気候等と微妙に絡み合っているかもしれません。 また特に高齢の方の耳垢が溜まり過ぎ中耳や内耳を圧迫していても、眩暈を誘発することも有るようです。

もしも、仮に同じような症状の方がいましたら、またメニエール系の薬を飲んで快方へ向かわない方、治ることを信じ!頑張って!