中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

ゲイは同性愛者? というより・・・”自分主義”を貫く人達

2016-06-11 15:44:46 | 海外留学
中年オヤジNY留学



"ゲイ”は女々しいは偉大な誤解、彼らは単に”自分主義”な人たち、そして、そんな彼らに、モテた私。
2016/5/1 RE-WRITE

 日本人の感覚だと、”同性愛の男性”と聞くと、お姉言葉に仕草、服装から一目瞭然とか。 
違います?
私がニューヨークで遭遇した彼らの印象はまるっきり違います。

 彼らは、1)几帳面(きちょうめん) 2)TALKATIVE、 話好きとは違うけど、雄弁の方がふさわしい 3)どちらかと言うと”高学歴”です。

 1988年春、ニューヨークに来て2,3ヵ月の朝、コロンビア大学の英語学校へ行くブロードウェイ(道の名前)の116丁目界隈を歩いていると、交差点で止まった自分に50過ぎの身なりのきちんとした紳士が私に声をかけてきました。
”日本人の方かな?”
そうこう話をしているうちに、今度、私の家に遊びに来なさい、スパゲッティでも作って歓迎するよ”となりました。
私は、半端じゃなく喜びました。
男だろうか、女だろうか?初めての個人的な誘い。
アメリカのドラマの食卓を思い浮かべたり。
 そうでなくても、留学へ来る前は、日本人が留学したって、ろくに友達もつくれなく、テレビで英語を聞く辺りで終わってしまうと、留学してもムダと言う人達も数多くいました。

早速、電話番号を交換し、都合をつけて彼が仕事の帰り、車で迎えに来ることになりました。
当日、仕事上がりの彼の車に乗り込み、ニュージャジーのある彼の家へ。 ハドソン川沿いの高速を北上し、コロンビア大学の医学部をすり抜け、大きな橋(GWジョージワシントン橋)を渡り、外も暗くなっていました。

ガス・ステーションでセルフサービスで給油し、しばらく走ったと思ったら、私の左手の甲を被せるように手を握ってきました。

”ゾゾゾー・・・・・”私の背中は少し寒気を覚えました。
最初は、アメリカ人の文化をほとんどまだ知らない私は、”いや、これは一種の挨拶かも?・・・・”と、心を落ち着けようと思いました。

車は何回か右折、左折を繰り返し、少しだけ木立のある地方の住宅地に入り、本格的な2階建てではなく、屋根裏部屋のついた、やや白い塗料がくすんだ戸建ての家に停まりました。
私の悪い予感は現実となりました・・・・。
家は真っ暗
、電気はついていません。
つまり彼は、独り者・・・彼を待つ家族はいない!!!!
手握り事件と家真っ暗、明らかに彼は、”ホモ”だろうと確信

でも、後の祭り、アメリカに来て2,3ヵ月、自分がどこに居るのかも? 他に自力で帰る方法も検討がつきません。
しかも、ポケットには40ドル余り、当時の英語力では多分に自分の家にたどり着くには、心細すぎます。

当然、テーブルいっぱいの料理やスパゲッティも出てきません。
ようやく、彼が料理したのは、旧いバンズに目玉焼きをのせたサンドイッチとインスタントコーヒーがでてきました。
もう料理なんか、どうでもいい・・・・・・・行きつくとこ、最後は、お尻に〝注射”されないと帰してもらえないか?・・・・ただ、ビクビクです。
ヘタするとナイフか拳銃もってたりして?

しかし幸いしたのか?
彼はコロンビア大学の界隈で働いている素性は割れている事
彼は何度も一緒にベットに寝ることを要求してきましたが、私はイビキをかいて迷惑をかけると、逃げの一手、これを最終的に聞き入れたようです。
翌朝、彼の車で、私はコロンビア大学の近くで解放されました。



(パート2)また、ある日曜日、アメリカの文化を知らなくちゃとばかり、近くのリバーサイド・チャーチに日曜礼拝に参加。
式も終わりに近づいた時、一人の男性がやはり私の座る長いベンチシートに滑り込むように、話しかけてきました。
こんど一緒に出掛けようと、彼は瞬く間に(やり手の営業マンごとく)、二人の都合をアレンジし、約束の日の午後1時に電話をかけてくることになりました。
彼が、電話をかけてきた時間は12時59分です、“いわゆるアメリカ時間”――1分たりとも遅れることなく、しかも大幅に早くもNG”。
少しづつ、アメリカ人のホモの実像が見えてきました。

(パート3) また別の話です・・ある晴れた日、ワシントン広場の木製のベンチのやや端に座っていると、同じベンチに距離をおいて座った男性が話しかけてきました。 
しばらく二人で雑談を繰り返しました。
暫くして彼が”実はこの公園の裏手に、クラブが有るけど一緒に行かないか?と切り出してきました。
彼は、ルックスはまあまあ、大学修士卒(MASTER-DEGREE)、話も流暢。
私は、留学当初、男性から、この手の誘いを経験し少し怖い思いもしたので・・・
”今度、気が向いたら、自分一人で行って見るから”とかわしました。
彼曰く、”何の看板も出てなく、一人で探すのは、ちょっと難しけどなー、残念だなー・・・・”
ニューヨークのSOHO地区には、こんな隠れゲイ・バーから路面からも見え見えのバーなどたくさんあります。


 他にも、私の英語のボランティアのツーター(個人的な先生)の家に行った時も、バスルームの棚に歯ブラシ、小物がレストランのテーブルセットのように、順序良く並ばれていました。
おまけに、バスルームのドアは換気のために約30センチ開放しておくこと。 これは自分の何十年ものルーティン(生活ルール)だそうです。
私がブロッコリーを茹でて料理したら、僕は”STEAM(蒸して調理)が良かったと”愚痴”られました。
彼も男性愛好者の一人だったと思います。
彼も、自分(私)さえ良かったら、男と女の関係ならぬ、男と男の関係になりたがっているのが見えていました。

 多くの人が憧れる大国、アメリカ。
そのアメリカ人も、一歩踏み込んで打ち解けると、強風に窓を開けたかのように、”淋しさ”、”人恋しさ”、時には彼らの”悩み、不安”が私には吹き込んで来たことが、何度もあります
・美容室のお客さんでしたが、会社で今、仲間がどんどん解雇されいる”不安で心が落ち着かない”と打ち明けられたことも・・・
・YMCAは通常、短期滞在、そこに住む女性の部屋を訪れたことがあります。
彼女はブルーで部屋を統一しデコレート、カーテンも小物入れも。 ここに住むこと4か月になるそうです。
言葉では”綺麗”とかえしました。 しかし私は何か”淋しさとか、この大国での流れ流れ人生”に逆にアメリカの厳しさを知りました


話を戻します。
 男性の多くが経験している”つかみどころの無い女性の”気ままな感情に”付き合う、時には、人知れぬ時間と辛抱強さ、そして”お金“が・・・・
男の感性の中には、この世の事象は概ね”法則“があり”ルール“に基づけば理解でき、攻略できるはず、ところが女性となると、そうはいかない。
ゲイの男性のように秩序立てられた彼らのルールと妥協せず付き合うのは、女性より可能性としては男性の方が候補になるのか?と、私は思います。

男性にしたら女性特有の”私を幸せにして!”だの、幅ひろいゾーンの願えを叶えるのは難しいことです。
更に、アメリカ人は日本人よりも男女を問わず、一人一人の独自の強いルールが有と思います。
そして、その独自のルールが相手(異性,同性を問わず)に受け入れられるより、必然的に距離を作ること、それでもなお自分を捨てられない事を知っている
つまり日本人特有の一歩下がって、相手に合わせる事ができない(個人的に、これが美徳とは言いませんが)。

(最後にもう一幕) ある日、私が入店したNYのスーパーでカップルがスパゲッティの乾麺(日本で言えば、ママーブランドとかの)を選んでいました。 男性はアメリカ人、女性は明らかに日本人、女性はどのブランドにするか迷っている・・・男性は一歩距離を置いて黙って、女性の行動を目で追っている
女性はパッケージを見て選んでいる。
一方、男性は彼女に買わせたい、ブランドを心に決めている。

ついにシビレを切らした男性が口を開く、”私のお婆ちゃんは、XXXXXX が好きだった。”

憧れだけで、特に日本女性がアメリカ人との国際結婚、特にアメリカの地でするには、良く良く考えて。
例えば日本人がパートナーのアメリカ人特有の経済観念、自分主義にぶつかる可能性が有ります。

同じ結婚でも日本人の男性が結婚すると、白旗を上げて、財布を奥さんに投げ出すのとは分けが違います。


また続きます






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