中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その1 成田空港へ)

2018-02-07 22:15:28 | 小説
しばらく、あるサラリーマン(主人公 : 松尾次郎)をモデルに中国上海へ出向く旅を何回かに分けて投稿したいと思います。
2000年に書かれたものですが、読んで楽しんでいただけたら光栄です。


平成くたびれサラリーマン上海へ行く



その 1)
( 成田空港へ 

人は時として、未知の自分が知らない、そしてないものに憧れる(あこがれる)。 自分の可能性を少しでも、花開かせたいともがき、そして終には散って行く

この“あごがれ”を、ほんの少しでもかなえた人は、ある面で幸せ、そして又ある面で以前にもまして、不幸かもしれない。
なぜなら、青い鳥ならぬ“あこがれ”捜し求めることをその人の魂は、彼の肉体に以前にもまして強要しつづけることもあるでしょう。
それまでは平凡でも、それなりに幸せだったかもしれないのに。
人が本来持つ、冒険心というか、魂の中に眠る何かを眠りから起こしてしまった事になるのかもしれない。

それは例えてみれば、魂のジプシー(放浪)の始まりと言うべきか。
人(家族や友人を含め)には理解されることは難しいかもしれません。
あたかも、モノノケにとりつかれたかのように。
奥の細道を書いた、かの松尾芭蕉も、東北へ旅立つ前の形相(ぎょうそう)は普通ではなかったと言われています。

主人公の姓を芭蕉からお借りし松尾、次男ゆえ次郎、職業サラリーマン。
松尾次郎の上海への旅が始まります。




見たところ、何の変わりばえのしない、普通の中年のサラリーマン。
三流というか、四流の小さな商社勤め。
彼は、今日、少し古めの旅行ケースを携え、京成日暮里駅のホームに立っている。
彼は成田空港行きの特急を待つ。 しかし、スカイライナーではない。
とりわけ普段と変わらぬ、日常的な光景の、この日暮里駅から海外へ行く。
“金を使わないで成田に行く、これも俺の形なのだ”と次郎はつぶやいた。
“どこかの商社の人達とは、俺にとって縁遠い世界なんだ”とさらに一言。

実を言うと、次郎の今回の上海行きは,一、二ヶ所現地の得意先を訪問するものの、これは形式で主な目的は上海で,女性に会うことである
しかし,その女性に未だに会ったことがない。
更に一人でなく,二人の別の女性と。
その女性達は、彼が自分以外の女性と会う予定も知らない。
次郎の会社に出入りする,イタコ商会の山下という男の紹介というかお節介に乗り、次郎に誰か縁があればということだった。
話はさらに、この際、国際結婚で中国の嫁さんも悪くないのではないかというのが、これまでの経緯だ

そして,その話に乗るほど,次郎の今の生活は,単調そのものだったかのかもしれない。

そして、一番のハラハラものは、二人の女性に悟られないように,うまく次郎が自分の頭で巡らしたスケジュール通りに、今回の短い日程の中うまく、別々に会えるかということ。
イタコ商会の山下いわく、“松尾さんはマジメ過ぎるから、ダメなんだ”が彼の次郎への評価。
そして山下が付け加えることには、“人間、多少ずるくならなくちゃ”である。
と言う事で、別に次郎が複数の女性に会って、一番良い人を選ぶのは、山下にしたら当たり前と、いう事になる。

電車が入線して来て、乗客の誰もが座席に有りつこうと車内は、しばしの混乱。
京成沿線というのは、途中の道中も大変に庶民的な電車で、通学の学生有り、スーパーのショッピング・バッグの主婦有りで、この線が世界の玄関成田へ通じているとは、多少苦笑ものである。

次郎以外にも、成田空港行きの旅行者らしき人達が見うけられるが、完全に京成電車が走る東京下町の光景の下に隠れてしまっている。
そして次郎自身も海外へ行く多少の緊張感を持っていたものの、乗車時間の長さに、二度三度ウトウト寝に入る。

そして目を覚ますと、もう車窓の外は下町の込み入った風景から、田や畑の見える田園へと抜けていた。
成田駅を過ぎると、ホテルなども見え隠れし、電車は一気に飛行場に近いことを感じさせる。
車速も増しあの東京の下町をすり抜けてきた下駄履き電車の感はない。 むしろ遊園地の別世界に入りこむ乗り物にも似た。
それは、見知らぬ世界へ入り込むプローローグ(序曲)のよう。
一般の電車にもかかわらずここまで来ると、車内は非日常バリアーでろ過されたように、旅行者のみを残している。

電車が飛行場近くのトンネルに入ると、もう海外旅行の始まりである。
空港駅を降り、エスカレーターに乗って、第一ターミナルの出発フロア-に上がると、あの成田空港の混雑した天井の高いチェックイン・カウンター。
なぜか、訳のわからない興奮感が次郎の体を包む。
あたかも、幼魚場の小さく、平和な生け簀(いけす)にやさしく育てられていた稚魚が、大海に放流されるような興奮。

次郎はつぶやく、“馬鹿だな、俺は、ノコノコこんな所へ出て来て。家に居れば明日は、いつもの土曜日、その次もいつもの日曜日、何にも無い変わり、逆に何も、イヤなこともない、平和な過ごしかたが出来たのに。”
既に、今回の上海行きについて“後悔”の二の字が早くも見え隠れしている。

次郎はイミグレーションを通り、あの第一ターミナルの円筒形の建物のなか、濃い紅い椅子の有る待合でボーディング(搭乗)時間を待つ。
中国へ行く事が初めてという訳でもなく、今夜泊まるホテルへの道すがらも別に問題ない。やや、搭乗までの待ち時間が長く感じられる。
次郎は独り思いを巡らせる。
これからの中国での道中はどんなものか?
例え、女性に会っても良い事ばかりではないだろう。
時には、リスクも。
時には一人相撲で終ってしまうかもしない。
まるっきり意味の無い、今回の上海行きに成るかもしれない。

そうこうする中にも次郎の座る席の傍の通路を、時折、人が行き交う。
西洋人と東洋人の夫婦の子連れに、ふと次郎の視線が止まる。
自然と次郎の耳は彼らの会話にはり付いている、“どこの言葉(何語)で会話するのだろうか”、“どんな事を、話しているのだろう”かと。

突然、生理的にどこからとも無く、次郎の体は彼らに嫉妬しているのを覚えた
多分、次郎自身、そうした国際カップルに対する憧れが人より、強いのかもしれない。
一度、高まった嫉妬はただちに、次郎の体の中から静まらなかった。

人は、自分に無いモノを、見せ付けられると、慌てると言おうか、心理状態は冷静さを失うのだろうか

(つづく)




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