劉備が頼った荊州(中心は嚢陽城)牧の劉表は
病床であった。
劉表の2人の息子(劉、劉)は暗愚であるため、
劉表は劉備に「荊州を差し上げたい」と申し出る。
しかし劉備は劉表に厚くもてなされたことに
恩義を感じていたので断る。
荊州を継ぐ者は劉に傾きつつあった。
暗殺される危険があった劉は、
諸葛亮に知恵をもらって、
孫権の江東近く江夏の太守となった。
(劉側グループから逃げるため、一番遠く領土をもらう。)
劉表が亡くなると、曹操は自ら80万の兵を率いて南下しだした。
嚢陽城の劉グループは劉備暗殺も計画していた。
劉備 「どうすれば良い?」
諸葛亮「劉璋を斬って、軍を奪い、江東の孫権と組む。
これしか方法はありません。」
劉備「 劉表に恩があるので劉は斬れない。だが軍を奪うことは賛成だ。」
劉備一行は新野城を脱出して、樊城に向かう。
曹操軍先鋒の曹仁は新野城を占拠した。
しかし
諸葛亮の仕掛けにて城下のあらゆるところから火があがり、
曹仁は退却し、曹操本陣と合流した。
劉備は樊城を捨て、
嚢陽城下で劉の兵を勧誘した後、南へ逃げた。
劉グループは曹操軍に降伏した。
劉は斬られ、
兵馬、水軍は曹操軍に吸収した。
逃走を続ける劉備に
新野・嚢陽の農民もについてきた。
女、子供、老人も付いて来たため逃走速度は落ちてゆく。
付いて来た農民は10万人を越え 一日に5kmしか進めなかった。
領民を捨てて、先に江夏に行こうという者もいたが劉備は
「私に身を寄せる領民を捨てるなど忍びない。
付いてくる領民を捨ててまで生きようとは思わない。」と言った。
劉備の兵力は2000人しかなく、襲撃を受ければ壊滅する。
関羽は数百艘の船を準備して領民を乗せた。
先に夏口に行って、劉表の救援を求める役目を負った。
多くの領民は船に乗れず歩いて南下することにした。
しかし関羽は 劉表の兵を連れてなかなかもどって来ない。
心配になった劉備は
諸葛亮をも劉表(江夏)の城に送り、協力要請の説得に向かわせた。
武将は張飛、趙雲の2人と劉備のみになっていた。
早く進みたいのだが、領民は疲れて動けないため、
長坂坡にて一夜を過ごすことにした。
その頃曹操は、
足の早い精鋭部隊5000人を劉備追撃に向かわせていた。
*************************************************************************
長坂坡の夜、精鋭部隊は劉備一行を見つけ、襲撃をした。*********************
張飛によって劉備は、安全な場所に避難させられた。
抵抗する農民は見境なく斬られ、
捕まった者は、曹操の元に連れられていった。
趙雲は、劉備家族の護衛をまかせられていたが
大混乱の中であったため見失ってしまっていた。
*************************************************************************
明け方、
長坂坡にもどってきた劉備と張飛は、
無数に転がる領民の無惨な死体を目にした。
生き残った麋芳は突き刺さった矢を抜かないまま
「趙雲が裏切って、曹操に投降したようだ」と言ったが
劉備は「趙雲は私を裏切るような男ではない。」と叱りつけた。
張飛「自分の目で確かめて来る。もし裏切っていたら
俺が趙雲を切り殺す。」と行って兵20人を連れて、曹操軍を追いかけた。
張飛は長坂橋にさしかかったとき
趙雲は簡雍を抱きかかえて戻ってきた。
趙雲「糜夫人(劉備の妻)、阿斗(劉備の子。劉禅)が連れ去られて行った。
追いかけて連れ戻すから、ここは頼む。」と言って、
再び単騎で戦場に戻っていった。
張飛は長坂橋を守り、林の後ろでは兵20人が
大軍がいるように砂煙をあげさせた。
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趙雲は最初、
曹操の側近、夏候恩を見つけ槍で突き刺した。
このとき、曹操の宝剣「青」を手に入れた。
この剣は切れ味凄まじく、欠けることがない。
さらにひっきりなしに来る敵を倒し続け、
廃屋の奥に
阿斗を抱きながら動けない麋夫人を見つけた。
趙雲「一緒に逃げましょう。この馬に乗って下さい。」
糜夫人は大腿部を骨折したのでとても動けない。
糜夫人「私は足が折れ、趙雲の足でまといになる。
この阿斗さえ、助けてもらえば心残りはない。」
趙雲は糜夫人を励まして誘い続けるが、曹操兵が駆けつけてきた。
趙雲が闘っている間、
糜夫人は死を決意して井戸に身を投げた。
趙雲が曹操兵を斬りつけ、井戸を覗くが、
既に糜夫人の姿は見つけられなかった。
趙雲はどうしようもなく、井戸周囲の壁を倒して隠した。
趙雲も覚悟を決めた。
阿斗を自分の胴に巻き付け、劉備の所に向かう。
趙雲に無数の曹操兵が立ち塞がった。
騎馬の武将、歩兵など向かって来るが、
趙雲は振り払い、斬りつけて闘い続ける。
その勇猛な趙雲を見ていた曹操は
「良い武将だ。殺さず、生け捕りにせよ。」と命じた。
次々に曹操兵は斬られ、既に50人以上が討たれていた。
趙雲は、土穴に足を引っかけて馬からも落ちる。
張合阝が槍で突こうとすると、
趙雲の馬が怒りだし、張合阝はびっくりしてひるんだ。
九死に一生を得て、再び馬に乗ると、
前後から、馬延、張、焦触、張南が向かってきたが、
趙雲の青が鋭く、切り倒していった。
趙雲は身体中に返り血を浴びながら、
馬を走らせ
張飛の長坂橋までたどりついた。
趙雲「曹操が追って来たから止めてくれ。
阿斗を主公に渡しに行ってくる。」
張飛「安心しろ。後はまかしておけ。」と
長坂橋に立ちふさがった。
曹操軍は趙雲を追って進軍してきた。
張飛「俺は燕人の張飛である。死にたい奴から前に来い!!」と
怒鳴りあげた。
目は血走り、髪は逆立ち、殺気だっている。
張飛の後ろの林では砂煙があがっていた。
曹操は関羽が以前言っていた
「弟の張飛は、100万人の軍勢の中でも
大将一人の首を獲るのは容易いことだ。」思い出していた。
張飛「来るのか、来ないのかどっちなんだ!!早く来い。」
恐怖に震えた夏候覇は落馬する。
曹操「う~ん。張飛の後ろにも伏兵がいるかもしれんな。
退却せよ。」
退却しだした曹操軍を見た張飛は声高々に笑いだした。
曹操軍が引き上げた後、張飛は長坂橋を落とした。
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長坂橋から10km先に劉備は休んでいた。
趙雲は糜夫人が亡くなったことと、
阿斗を連れて帰ってきたことを伝えて、
劉備に阿斗を返した。
劉備は返り血をあびた趙雲を見て、涙した。
「私の子供のために、大切な将を失うところであった。
二度とこんな危険なことはしないでくれ。」と怒って子供を投げた。
趙雲は子供を受け止め、
「主公への恩には、どうやっても報いたい。」と涙を流し、
劉備の君臣想いに感激した。
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曹操軍はしばらくしてから長坂橋に戻り、
落ちた橋を見て、追撃を再び開始した。
張飛は伏兵を持っていなかったから長坂橋を落としたと
曹操は考えたのである。
曹操軍が劉備一行を見つけたとき、
関羽は劉の兵1万にて援軍に駆けつけた。
関羽・諸葛亮との合流を知った曹操は退却し、
劉備一行は劉の江夏城に迎い入れられた。
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江夏城には、孫権の家臣の魯粛が劉表の弔問に訪れた。
表向き弔問であり、孫権の狙いは、
荊州の状況把握であった。
魯粛は曹操と開戦を望み、
劉備・孫権同盟と
諸葛亮による孫権家臣の開戦説得を
依頼する。
諸葛亮は魯粛に案内され、孫権に会いに行くのであった。
病床であった。
劉表の2人の息子(劉、劉)は暗愚であるため、
劉表は劉備に「荊州を差し上げたい」と申し出る。
しかし劉備は劉表に厚くもてなされたことに
恩義を感じていたので断る。
荊州を継ぐ者は劉に傾きつつあった。
暗殺される危険があった劉は、
諸葛亮に知恵をもらって、
孫権の江東近く江夏の太守となった。
(劉側グループから逃げるため、一番遠く領土をもらう。)
劉表が亡くなると、曹操は自ら80万の兵を率いて南下しだした。
嚢陽城の劉グループは劉備暗殺も計画していた。
劉備 「どうすれば良い?」
諸葛亮「劉璋を斬って、軍を奪い、江東の孫権と組む。
これしか方法はありません。」
劉備「 劉表に恩があるので劉は斬れない。だが軍を奪うことは賛成だ。」
劉備一行は新野城を脱出して、樊城に向かう。
曹操軍先鋒の曹仁は新野城を占拠した。
しかし
諸葛亮の仕掛けにて城下のあらゆるところから火があがり、
曹仁は退却し、曹操本陣と合流した。
劉備は樊城を捨て、
嚢陽城下で劉の兵を勧誘した後、南へ逃げた。
劉グループは曹操軍に降伏した。
劉は斬られ、
兵馬、水軍は曹操軍に吸収した。
逃走を続ける劉備に
新野・嚢陽の農民もについてきた。
女、子供、老人も付いて来たため逃走速度は落ちてゆく。
付いて来た農民は10万人を越え 一日に5kmしか進めなかった。
領民を捨てて、先に江夏に行こうという者もいたが劉備は
「私に身を寄せる領民を捨てるなど忍びない。
付いてくる領民を捨ててまで生きようとは思わない。」と言った。
劉備の兵力は2000人しかなく、襲撃を受ければ壊滅する。
関羽は数百艘の船を準備して領民を乗せた。
先に夏口に行って、劉表の救援を求める役目を負った。
多くの領民は船に乗れず歩いて南下することにした。
しかし関羽は 劉表の兵を連れてなかなかもどって来ない。
心配になった劉備は
諸葛亮をも劉表(江夏)の城に送り、協力要請の説得に向かわせた。
武将は張飛、趙雲の2人と劉備のみになっていた。
早く進みたいのだが、領民は疲れて動けないため、
長坂坡にて一夜を過ごすことにした。
その頃曹操は、
足の早い精鋭部隊5000人を劉備追撃に向かわせていた。
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長坂坡の夜、精鋭部隊は劉備一行を見つけ、襲撃をした。*********************
張飛によって劉備は、安全な場所に避難させられた。
抵抗する農民は見境なく斬られ、
捕まった者は、曹操の元に連れられていった。
趙雲は、劉備家族の護衛をまかせられていたが
大混乱の中であったため見失ってしまっていた。
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明け方、
長坂坡にもどってきた劉備と張飛は、
無数に転がる領民の無惨な死体を目にした。
生き残った麋芳は突き刺さった矢を抜かないまま
「趙雲が裏切って、曹操に投降したようだ」と言ったが
劉備は「趙雲は私を裏切るような男ではない。」と叱りつけた。
張飛「自分の目で確かめて来る。もし裏切っていたら
俺が趙雲を切り殺す。」と行って兵20人を連れて、曹操軍を追いかけた。
張飛は長坂橋にさしかかったとき
趙雲は簡雍を抱きかかえて戻ってきた。
趙雲「糜夫人(劉備の妻)、阿斗(劉備の子。劉禅)が連れ去られて行った。
追いかけて連れ戻すから、ここは頼む。」と言って、
再び単騎で戦場に戻っていった。
張飛は長坂橋を守り、林の後ろでは兵20人が
大軍がいるように砂煙をあげさせた。
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趙雲は最初、
曹操の側近、夏候恩を見つけ槍で突き刺した。
このとき、曹操の宝剣「青」を手に入れた。
この剣は切れ味凄まじく、欠けることがない。
さらにひっきりなしに来る敵を倒し続け、
廃屋の奥に
阿斗を抱きながら動けない麋夫人を見つけた。
趙雲「一緒に逃げましょう。この馬に乗って下さい。」
糜夫人は大腿部を骨折したのでとても動けない。
糜夫人「私は足が折れ、趙雲の足でまといになる。
この阿斗さえ、助けてもらえば心残りはない。」
趙雲は糜夫人を励まして誘い続けるが、曹操兵が駆けつけてきた。
趙雲が闘っている間、
糜夫人は死を決意して井戸に身を投げた。
趙雲が曹操兵を斬りつけ、井戸を覗くが、
既に糜夫人の姿は見つけられなかった。
趙雲はどうしようもなく、井戸周囲の壁を倒して隠した。
趙雲も覚悟を決めた。
阿斗を自分の胴に巻き付け、劉備の所に向かう。
趙雲に無数の曹操兵が立ち塞がった。
騎馬の武将、歩兵など向かって来るが、
趙雲は振り払い、斬りつけて闘い続ける。
その勇猛な趙雲を見ていた曹操は
「良い武将だ。殺さず、生け捕りにせよ。」と命じた。
次々に曹操兵は斬られ、既に50人以上が討たれていた。
趙雲は、土穴に足を引っかけて馬からも落ちる。
張合阝が槍で突こうとすると、
趙雲の馬が怒りだし、張合阝はびっくりしてひるんだ。
九死に一生を得て、再び馬に乗ると、
前後から、馬延、張、焦触、張南が向かってきたが、
趙雲の青が鋭く、切り倒していった。
趙雲は身体中に返り血を浴びながら、
馬を走らせ
張飛の長坂橋までたどりついた。
趙雲「曹操が追って来たから止めてくれ。
阿斗を主公に渡しに行ってくる。」
張飛「安心しろ。後はまかしておけ。」と
長坂橋に立ちふさがった。
曹操軍は趙雲を追って進軍してきた。
張飛「俺は燕人の張飛である。死にたい奴から前に来い!!」と
怒鳴りあげた。
目は血走り、髪は逆立ち、殺気だっている。
張飛の後ろの林では砂煙があがっていた。
曹操は関羽が以前言っていた
「弟の張飛は、100万人の軍勢の中でも
大将一人の首を獲るのは容易いことだ。」思い出していた。
張飛「来るのか、来ないのかどっちなんだ!!早く来い。」
恐怖に震えた夏候覇は落馬する。
曹操「う~ん。張飛の後ろにも伏兵がいるかもしれんな。
退却せよ。」
退却しだした曹操軍を見た張飛は声高々に笑いだした。
曹操軍が引き上げた後、張飛は長坂橋を落とした。
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長坂橋から10km先に劉備は休んでいた。
趙雲は糜夫人が亡くなったことと、
阿斗を連れて帰ってきたことを伝えて、
劉備に阿斗を返した。
劉備は返り血をあびた趙雲を見て、涙した。
「私の子供のために、大切な将を失うところであった。
二度とこんな危険なことはしないでくれ。」と怒って子供を投げた。
趙雲は子供を受け止め、
「主公への恩には、どうやっても報いたい。」と涙を流し、
劉備の君臣想いに感激した。
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曹操軍はしばらくしてから長坂橋に戻り、
落ちた橋を見て、追撃を再び開始した。
張飛は伏兵を持っていなかったから長坂橋を落としたと
曹操は考えたのである。
曹操軍が劉備一行を見つけたとき、
関羽は劉の兵1万にて援軍に駆けつけた。
関羽・諸葛亮との合流を知った曹操は退却し、
劉備一行は劉の江夏城に迎い入れられた。
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江夏城には、孫権の家臣の魯粛が劉表の弔問に訪れた。
表向き弔問であり、孫権の狙いは、
荊州の状況把握であった。
魯粛は曹操と開戦を望み、
劉備・孫権同盟と
諸葛亮による孫権家臣の開戦説得を
依頼する。
諸葛亮は魯粛に案内され、孫権に会いに行くのであった。
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