雲随の歴史話

歴史人物の生き方、考え方、行動など一緒に学びましょう。
現在は諸葛亮孔明について記載しています。

「長坂坡の戦い」・・・レッドクリフと同じ頃の三国志演義

2008年11月07日 | 苦難の「長坂坡の戦い」
劉備が頼った荊州(中心は嚢陽城)牧の劉表は
病床であった。


劉表の2人の息子(劉、劉)は暗愚であるため、
劉表は劉備に「荊州を差し上げたい」と申し出る。
しかし劉備は劉表に厚くもてなされたことに
恩義を感じていたので断る。

荊州を継ぐ者は劉に傾きつつあった。
暗殺される危険があった劉は、
諸葛亮に知恵をもらって、
孫権の江東近く江夏の太守となった。
(劉側グループから逃げるため、一番遠く領土をもらう。)


劉表が亡くなると、曹操は自ら80万の兵を率いて南下しだした。


嚢陽城の劉グループは劉備暗殺も計画していた。

劉備 「どうすれば良い?」
諸葛亮「劉璋を斬って、軍を奪い、江東の孫権と組む。
    これしか方法はありません。」
劉備「 劉表に恩があるので劉は斬れない。だが軍を奪うことは賛成だ。」


劉備一行は新野城を脱出して、樊城に向かう。
曹操軍先鋒の曹仁は新野城を占拠した。
しかし
諸葛亮の仕掛けにて城下のあらゆるところから火があがり、
曹仁は退却し、曹操本陣と合流した。


劉備は樊城を捨て、
嚢陽城下で劉の兵を勧誘した後、南へ逃げた。

劉グループは曹操軍に降伏した。
劉は斬られ、
兵馬、水軍は曹操軍に吸収した。


逃走を続ける劉備に
新野・嚢陽の農民もについてきた。
女、子供、老人も付いて来たため逃走速度は落ちてゆく。

付いて来た農民は10万人を越え 一日に5kmしか進めなかった。
領民を捨てて、先に江夏に行こうという者もいたが劉備は

「私に身を寄せる領民を捨てるなど忍びない。
 付いてくる領民を捨ててまで生きようとは思わない。」と言った。

劉備の兵力は2000人しかなく、襲撃を受ければ壊滅する。

関羽は数百艘の船を準備して領民を乗せた。
先に夏口に行って、劉表の救援を求める役目を負った。



多くの領民は船に乗れず歩いて南下することにした。
しかし関羽は 劉表の兵を連れてなかなかもどって来ない。


心配になった劉備は
諸葛亮をも劉表(江夏)の城に送り、協力要請の説得に向かわせた。

武将は張飛、趙雲の2人と劉備のみになっていた。
早く進みたいのだが、領民は疲れて動けないため、
長坂坡にて一夜を過ごすことにした。


その頃曹操は、
足の早い精鋭部隊5000人を劉備追撃に向かわせていた。

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長坂坡の夜、精鋭部隊は劉備一行を見つけ、襲撃をした。*********************
張飛によって劉備は、安全な場所に避難させられた。


抵抗する農民は見境なく斬られ、
捕まった者は、曹操の元に連れられていった。

趙雲は、劉備家族の護衛をまかせられていたが
大混乱の中であったため見失ってしまっていた。
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明け方、
長坂坡にもどってきた劉備と張飛は、
無数に転がる領民の無惨な死体を目にした。

生き残った麋芳は突き刺さった矢を抜かないまま
「趙雲が裏切って、曹操に投降したようだ」と言ったが
劉備は「趙雲は私を裏切るような男ではない。」と叱りつけた。

張飛「自分の目で確かめて来る。もし裏切っていたら
   俺が趙雲を切り殺す。」と行って兵20人を連れて、曹操軍を追いかけた。

張飛は長坂橋にさしかかったとき
趙雲は簡雍を抱きかかえて戻ってきた。

趙雲「糜夫人(劉備の妻)、阿斗(劉備の子。劉禅)が連れ去られて行った。
   追いかけて連れ戻すから、ここは頼む。」と言って、
   再び単騎で戦場に戻っていった。

張飛は長坂橋を守り、林の後ろでは兵20人が
大軍がいるように砂煙をあげさせた。

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趙雲は最初、
曹操の側近、夏候恩を見つけ槍で突き刺した。
このとき、曹操の宝剣「青」を手に入れた。
この剣は切れ味凄まじく、欠けることがない。

さらにひっきりなしに来る敵を倒し続け、
廃屋の奥に
阿斗を抱きながら動けない麋夫人を見つけた。

趙雲「一緒に逃げましょう。この馬に乗って下さい。」
糜夫人は大腿部を骨折したのでとても動けない。

糜夫人「私は足が折れ、趙雲の足でまといになる。
    この阿斗さえ、助けてもらえば心残りはない。」

趙雲は糜夫人を励まして誘い続けるが、曹操兵が駆けつけてきた。
趙雲が闘っている間、
糜夫人は死を決意して井戸に身を投げた。

趙雲が曹操兵を斬りつけ、井戸を覗くが、
既に糜夫人の姿は見つけられなかった。

趙雲はどうしようもなく、井戸周囲の壁を倒して隠した。




趙雲も覚悟を決めた。
阿斗を自分の胴に巻き付け、劉備の所に向かう。

趙雲に無数の曹操兵が立ち塞がった。

騎馬の武将、歩兵など向かって来るが、
趙雲は振り払い、斬りつけて闘い続ける。

その勇猛な趙雲を見ていた曹操は
「良い武将だ。殺さず、生け捕りにせよ。」と命じた。

次々に曹操兵は斬られ、既に50人以上が討たれていた。


趙雲は、土穴に足を引っかけて馬からも落ちる。
張合阝が槍で突こうとすると、
趙雲の馬が怒りだし、張合阝はびっくりしてひるんだ。

九死に一生を得て、再び馬に乗ると、
前後から、馬延、張、焦触、張南が向かってきたが、
趙雲の青が鋭く、切り倒していった。

趙雲は身体中に返り血を浴びながら、
馬を走らせ
張飛の長坂橋までたどりついた。

趙雲「曹操が追って来たから止めてくれ。
   阿斗を主公に渡しに行ってくる。」

張飛「安心しろ。後はまかしておけ。」と
長坂橋に立ちふさがった。

曹操軍は趙雲を追って進軍してきた。
張飛「俺は燕人の張飛である。死にたい奴から前に来い!!」と
怒鳴りあげた。
目は血走り、髪は逆立ち、殺気だっている。

張飛の後ろの林では砂煙があがっていた。

曹操は関羽が以前言っていた
  「弟の張飛は、100万人の軍勢の中でも
   大将一人の首を獲るのは容易いことだ。」思い出していた。

張飛「来るのか、来ないのかどっちなんだ!!早く来い。」

恐怖に震えた夏候覇は落馬する。

曹操「う~ん。張飛の後ろにも伏兵がいるかもしれんな。
   退却せよ。」

退却しだした曹操軍を見た張飛は声高々に笑いだした。

曹操軍が引き上げた後、張飛は長坂橋を落とした。

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長坂橋から10km先に劉備は休んでいた。

趙雲は糜夫人が亡くなったことと、
阿斗を連れて帰ってきたことを伝えて、
劉備に阿斗を返した。

劉備は返り血をあびた趙雲を見て、涙した。
  「私の子供のために、大切な将を失うところであった。
   二度とこんな危険なことはしないでくれ。」と怒って子供を投げた。

趙雲は子供を受け止め、
  「主公への恩には、どうやっても報いたい。」と涙を流し、
劉備の君臣想いに感激した。

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曹操軍はしばらくしてから長坂橋に戻り、
落ちた橋を見て、追撃を再び開始した。
張飛は伏兵を持っていなかったから長坂橋を落としたと
曹操は考えたのである。

曹操軍が劉備一行を見つけたとき、
関羽は劉の兵1万にて援軍に駆けつけた。

関羽・諸葛亮との合流を知った曹操は退却し、
劉備一行は劉の江夏城に迎い入れられた。

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江夏城には、孫権の家臣の魯粛が劉表の弔問に訪れた。
表向き弔問であり、孫権の狙いは、
荊州の状況把握であった。

魯粛は曹操と開戦を望み、
劉備・孫権同盟と
諸葛亮による孫権家臣の開戦説得を
依頼する。

諸葛亮は魯粛に案内され、孫権に会いに行くのであった。
































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