雲随の歴史話

歴史人物の生き方、考え方、行動など一緒に学びましょう。
現在は諸葛亮孔明について記載しています。

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「最期に見たい・・・。」秋風吹く五丈原

2008年10月26日 | 五丈原に散る
北斗星の祈願は失敗に終わった。

諸葛亮は成都の劉禅に使者をだす。
「劉禅陛下、北伐は今だ成らず。
 いつからか病気になり、命を何とかつなげている日々であります。
悲しみを筆では書き表せないですが、
私はもう力がないので、陛下が私の目標を達成してください。
陛下に願うことは、
君子の心を愛民へ募らせてください。
先帝劉備玄徳は仁愛のもと、悪い者は遠ざけ、賢者を近くに置き、
良識を持って、民の生活を安定させました。・・・・・」

手が震えて書けない諸葛亮を姜維は
「お身体を休めて、早く治しましょう。
 それでは余計に身体を壊します。」言う。
諸葛亮「私も身体の限界を人のように感じることがある。
    しかし、私にはしなければならないことが、
    たくさんあるのだ。
    集中力が続かず、手が震え、言うことを聞かない身体がつらい。」
    と述べるが、少し休んでは、また再び書き出した。

何日か過ぎた後、姜維が枕元に呼ばれた。
諸葛亮「私が今まで学び実践してきた兵法書24巻を書き上げた。
    心に修めるべき8ヶ条、戒め7ヶ条,恐れるべきこと6ヶ条、
    警戒すべき5ヶ条。
    よく切磋琢磨するのだぞ。」

次に馬岱、楊儀が呼ばれる。
「私が亡くなったら全軍撤退するのだ。
 危険が起こったら、この絹袋に計略が書いてあるから、
 開けよ。」

成都からは劉禅の使者として李福が駆けつけた。
「志半ばにあって今だ五丈原にいることが、とても悔しい。
 私が死んだ後も、国家体制は変えるな。
 私が重視した人間を軽んじてはならないぞ。
 兵法は姜維に申し送った。彼は国家のため私の意志を引き継いでくれるだろう。
 私が死んでも葬式をしてはならない。

 司馬懿によく注意するのだぞ。
 退却はゆっくりゆっくりと行軍せよ。
 司馬懿が追撃してきたら、兵を返して攻めよ。
 司馬懿が逃げれば、再び退却せよ。」

死期を知った李福は訊ねる。
「以後、蜀漢は誰に任せれば良いでしょうか?」
「蒋琬」
「そのあとは?」
「費禕」
「そのあとは?」
諸葛亮は答えず首を振るだけだった。
そこまで蜀は長くないという意味だろうか?
それとも、任せれる人物はいないということだろうか?
諸葛亮は少し眠った。


再び目が覚めた諸葛亮は、楊儀に最期の願いを述べる。
「最期に、陣営と蜀兵が見たい・・・。
 それが私の仕事である。(私の復興を願った)蜀漢である。」
楊儀は泣きながら諸葛亮を抱き起こした。

陣営では秋風が吹く中、蜀軍が訓練を続けていた。
車に揺られながらこちらに来る丞相(諸葛亮)を姜維は見つけた。
「丞相、早く元気になってください。」とひざまつく。
兵士も丞相を見つけて、一斉にひざまついて願う。
「丞相、早く元気になってください。」
「丞相、早く元気になってください。」
「丞相、早く元気になってください。」

諸葛亮は兵士に向かってうなずき、見上げた空には「克服中原」の旗がなびく。

涙がこみ上げてくる。

「私にはもう、逆賊討伐を行えない。
 悠悠蒼天 和博与我。
(はるか遠くの天は、私に慈悲をくれない・・・。)」

諸葛亮孔明は息を引き取った。
劉備玄徳を一緒に草盧を出てから27年後、54才にてこの世を去った。

中原(黄河領域)を占拠すれば形勢逆転し、天下統一も間近であった。


臣民を愛した諸葛亮は、全軍無事に帰国することを願い、
最期の作戦を言い残していた。


諸葛亮の最期





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「北斗星に延命を祈る」諸葛亮孔明

2008年10月24日 | 五丈原に散る
姜維は諸葛亮に
「北斗星の延命祈願術をしてはどうでしょうか?」
と勧めた。迷っていた諸葛亮に皆からお願いされた。

北斗星の延命祈願術とは、
燈火を7つ用意し、床に北斗7星と同じように並べる。
そこに延命の望む本人が剣を持ち、7日間祈り、火を守る。
その部屋の外では
北斗7星の旗を持ちながら黒装束49人が歩き続ける。
中に入って良いのは童子か、決められた人物のみ。
この火が7日目の朝まで消さずに守れれば
10年間の延命が天より許される妖術である。

諸葛亮は延命祈願を行った。
その様子を見に来るのを許されたのは
姜維だけだった。
6日間火は消えなかった。
一日一日諸葛亮の身体は良くなってきていたのだ。


司馬懿は夜になると
諸葛亮にあたる北斗星を見続けていた。
光が弱まる北斗星が、日々輝きを増してきたことを知る。
6日目の夜、
凶兆と見た司馬懿は諸葛亮の陣営に、奇襲をかけたのだ。


驚いた蜀軍陣営の魏延は、周囲の兵に止められるのを
振り払い、諸葛亮が祈りをしているテントを開けた。
テントの中に風が吹き、北斗の火すべてを消してしまう。
怒り狂う姜維が魏延を斬ろうとするのを、諸葛亮が抑えた。
「燈火が消えたのは、魏延のせいではない。
 やはり私の命は尽きたのだ。」

姜維は声を殺して泣いていた。


司馬懿は奇襲後、魏軍陣営で北斗星が再び
光が弱まるのを見て安心する。

北斗星に延命を祈る


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姜維とは?
姜維は元々、魏軍の武将だったが、
諸葛亮、趙雲に将来を見込まれて
蜀漢の人生を歩むことになった人物。


第一次北伐のとき、
魏軍姜維は諸葛亮の計略を見破った。

諸葛亮は偽手紙で、天水城の兵を遠征させる。
それを見ていた姜維は、城主に
「これは諸葛亮の計略の可能性があるから、
 私が進軍し、しばらくしたら天水城にもどって来ます。
 城主は城の周囲をお守りください。
 それから蜀軍を挟み撃ちにしましょう。」と提案した。

天水城から姜維の兵が出て行った。
しばらくすると趙雲5000の軍が城を襲おうとしたところ、
姜維の軍が帰ってきた。
趙雲と姜維は一騎討ちとなった。
姜維は槍を投げつけると、趙雲は素手で槍をつかむ。
趙雲が槍を投げ返すと、姜維も槍を素手でつかんだ。
2人とも、その武術の能力に驚いた。
さらに近づいて、槍でつきあうが決着がつかない。
そこに魏軍と蜀軍の援軍が駆けつけて入り乱れるが、
蜀軍はすぐに撤退した。

諸葛亮は自分の計略を見破られたことに驚く。
その武将は26才の青年で、趙雲と戦っても互角であるから、
知力武力を兼ね備えた青年将軍だ。

事態を重く見た諸葛亮は自ら、
天水城を攻めるが、落ちない。
夜になり攻撃を辞めて、陣を城から引き上げる。
森で蜀軍は仮眠をとった。

そのとき蜀軍の四方から火が燃え上がり、
姜維の軍の喊声が響きわたる。

蜀軍は惨敗に終わり、諸葛亮も炎と煙にまかれ、
あわや捕まりそうになった。

続けて姜維に裏をかかれた諸葛亮は、舌を巻く。

諸葛亮「姜維を傘下に入れて、我々の後継者として
    育てたいのですが、いかがですか?」
趙雲「武力と勇気も持ち、文句ない武将ですな」
2人は生まれながらの将軍の器を持った青年を
見つけて大喜びした。
彼は母一人で育てられ、親孝行だから
母から説得してもらうと考えた。

蜀軍は、すぐに母が住む冀城を取り囲んだ
姜維は母の安否を心配して冀城まで駆けつけたが、
冀城は食糧不足に悩んでいた。
籠城するには、蜀軍から兵糧を奪うしかないと考えた
姜維は蜀軍を襲った。

姜維は蜀兵に囲まれた。
何とか血路を見いだして走ったが
そこにも蜀兵がいる。
蜀兵がいない方向を見つけて走ったが、
またも蜀兵である。
もはやここまでと思った姜維は
自決をはかった。
そこに母の呼びかけが聞こえた。
目をやると、母と諸葛亮が一緒にいる。

諸葛亮
「姜維よ。死ぬことはやさしい。
 だが私は君の才を惜しむ。蜀漢に下る気はないか?
 君に敗れて以来、私の兵法の後継者は君しかいないと思い立った。
 計略で君を誘き寄せたのだ。
 わかってくれ姜維よ。」

「蜀漢の皆さんは冀城を落としたあと、
 餓えに苦しんでいた農民一人一人に
 兵糧を配ってくれたんだよ。」
母の祈るような眼差しに姜維の気持ちは決まった。
「これも天命!」と姜維は馬から降りて
 諸葛亮に膝まついた。
諸葛亮亡きあと蜀軍を託された姜維の再出発はこのようにして
始まったのである。



この後、
街亭敗北にて「泣いて馬謖を斬る」が起こる。
姜維の出現にて、
手柄をあせった馬謖が、街亭敗北の原因とも言われている。







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「五丈原にて死期を悟る」諸葛亮孔明

2008年10月23日 | 五丈原に散る
諸葛亮は前よりも多くの挑発を続けたが、
司馬懿はのってこない。
司馬懿の陣営では守備に徹することを決めた。

ちょうどその頃
呉軍が合肥から敗退した。
膠着状態は2ヶ月保たなかった。
ここで戦っていた魏軍は、
五丈原の司馬懿に合流する。
おおよそ蜀軍の4倍にふくれあがっていた。

諸葛亮はゲリラや計略したいが、司馬懿は動かない。
司馬懿は4倍の兵力のままジッとしたままだった。

諸葛亮は使者を出して、挑戦状をわたすが、
司馬懿は動かない。
しかし、周囲の武将は
「これ以上我慢できない。戦わさせてください。」
と申し出る者まで出てきた。
司馬懿も各武将を抑えきれなくなり
「では、明帝に出撃許可をもらおう」と
使者を送った。

明帝からの詔書を辛比は述べた。
「ひたすら守りを固め、討って出てはならぬ。
 蜀軍の鋭気をくじくことを第一とす。
持久戦に持ち込み、蜀軍が撤退したときに
追撃し壊滅せよ」
司馬懿は辛比に
「明帝は私の心をわかっておられる。」囁き喜んだ。


次の手として
諸葛亮は、女性の衣服を司馬懿に贈る。
「お前は女か、戦場に出て来い!!」という意味である。」
さすがの司馬懿もいきりたったが、
「今は怒れば、我が軍は敗北する。」と気持ちを抑えた。

さらに諸葛亮がくれた衣装を着る。
「どうだ。似合うか?」と蜀軍の使者におどけて見せた。
「一緒に食事をしていかぬか?」と食事にまで誘う。
このおおらかさに蜀軍使者は驚かされた。

もちろん食事の席で酒もふるまわれた。
いろいろと話をし、打ち解けたととき
司馬懿は軽く聞いてみた。
「わしは、今までなんども諸葛亮と知恵比べをしてきたが、
 敵ながら尊敬もしている。
 しかし一緒に仕事をしたことがないので、
 いまいち、どのような人物なのかわからん。
 普段の仕事はどんなことをしておるんだ?」
使者「丞相(諸葛亮)は朝早くに起き、夜遅くに寝られます。
   鞭打ち20以上の刑罰はすべて、ご自分で取り調べ、
   なられます。最近は食も細いようです。」
司馬懿「さすがじゃのう。わしも見習わんとのう。」
司馬懿は彼より2才年上であるので体力がどの程度あるのか
わかった。これでは体力がもつまい。
となれば、既に病んでいるのか?
最近挑発が多いのは死期を悟ったからではないのか?
こうして司馬懿は諸葛亮の死期を知ったのである。

「諸葛亮どのに、贈り物のお礼をお伝えください。」と
司馬懿は使者を見送った。

諸葛亮はこの会話を聞いて寝込んでしまう。
咳から血がでるようになってしまった。
過去にも同じ病気になり、治癒していたのだが
心身ともに疲労が重なり再発したのであった。
おそらく結核だったと思われる。

「司馬懿は衣装を着ておどけたのか?
 これでは、計略にはかからないであろう。」
 もともと彼には戦う気などないのだ。
 武将というものは、早急に判断すべきときは
 帝に許可などもらわない。帝の詔書も司馬懿が
 仕組んだパフォーマンスでしかない。」と皆に教えた。



諸葛亮の身体は日に日に弱り、死を悟った。
彼は覚悟を決めて、兵法書を書き出した。
咳き込み、頭痛で集中力が続かない。
書こうとしても手の震えが止まらなかった。

皆は諸葛亮に「寝てください」と嘆願するが、
彼は、来る日も来る日も書き続けた。
それを見届ける周囲の者は涙が止まらない。
「丞相、お身体に障りますから、お休みください。」
「私はしなければならないことがあるから皆は先に寝なさい。」

諸葛亮は病気で苦しいときでさえ、周囲に気をかける人物であったのだ。

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諸葛亮孔明「最期の北伐」

2008年10月21日 | 五丈原に散る
234年、丞相の諸葛亮孔明は第5次北伐に出陣にした。
諸葛亮の北伐決意はかたく、出陣前、
劉禅に「今度は何が起こっても帰ってきません。」と告げ、
10万の兵にを授かる。

諸葛亮は①斜谷→五丈原へ陣を置く。
    ②子午谷→長安へ襲撃を考えていたが、
かねてから要請していた呉軍も北上して合肥を攻めることに
同意を得られたので、
蜀軍→西北に進み祀山→渭水を攻略し、屯田兵を置いて自給自活を指示する。

魏国では司馬懿が10万の兵を率いて同じく渭水陣を置く。
(後に魏の明帝が2万を追加し12万となった。)

諸葛亮は木牛流馬の活用していたのを聞いた司馬懿は
木牛流馬を魏兵に盗ませた。
司馬懿はさらに木牛流馬を解体して、職人に大量に制作させ、
魏もまた食糧輸送に役立てた。

これには諸葛亮の計略がある。
魏が木牛流馬での食糧輸送中、
蜀兵が近づいて、木牛の舌をねじったのである。
舌をねじると木牛は一切動作しなくなる仕掛けがしてあったのだ。

この仕掛けを知らない魏兵は、いくら操作しても
木牛が動かなくなったのだ。どうしようもなくなって
すべての木牛を魏兵は捨てていった。

それを待っていた蜀兵がもどって、木牛の舌をねじった。
再び、木牛は動きだし、すべての食料を蜀の陣営に
持ち帰ったのだ。

これら木牛流馬と屯田兵の活用で、
諸葛亮を悩ませていた兵糧問題は解決した。


司馬懿の絶対絶命***********************************************

司馬懿は蜀兵を捕らえて、諸葛亮がどこにいるのか問いただした。
「丞相は胡盧谷にて兵糧輸送の指揮をしております。」と
しゃっべってしまった。

司馬懿、司馬師、司馬昭を少数の兵にて
胡盧谷に向かった。
そこには魏延が立っていたが、司馬懿を見て逃げ出した。
「諸葛亮は近くだ、急いで追いかけろ!」と司馬懿は
一気に追いかけた。

司馬懿親子が崖を見上げると諸葛亮が微笑んでいた。
諸葛亮が手を振り下ろした。
崖上から蜀兵が一斉に松明が落とした。
諸葛亮の計略であった。

一斉に火矢が射られた。
次々に兵が焼け死んでいく。
司馬懿「ここで親子3人死んでしまうのか?
    天は我を見捨てたのか?」
そのとき、雲行きは怪しくなり、雷が鳴り出した。
司馬懿「天よ。雨をください。
    雨を我々に降らせてください。」
司馬懿親子3人が祈ったとき、黒雲が立ち込めて
雷とともにすさまじい豪雨になった。
このため、谷に投げこまれた火は
たちまち消え、火攻め道具も役に立たなくなった。

すぐに司馬懿親子は馬にまたがり
急いで、逃げた。
張虎、楽【糸林】も救いに駆けつけた。

こうして司馬懿は天の助けで、九死に一生を得たのである。
彼はこれ以降、諸葛亮をとても恐れたのである。


諸葛亮は唖然として、雨に濡れたまま、立っていた。
もはや漢の時代は終わりを告げ
天は司馬懿の世の中を必要としているのか・・・。

後に諸葛亮は
「事を謀るは人にあるが、事を成すは天にある。」とつぶやいた。

諸葛亮はこの計略と同時に
本陣を襲撃したため、
司馬懿は陣営を東側に移した。

また諸葛亮も陣営を東に移し
五丈原に陣を張った。


司馬懿 「胡盧谷」の絶体絶命






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