雲随の歴史話

歴史人物の生き方、考え方、行動など一緒に学びましょう。
現在は諸葛亮孔明について記載しています。

「五丈原にて死期を悟る」諸葛亮孔明

2008年10月23日 | 五丈原に散る
諸葛亮は前よりも多くの挑発を続けたが、
司馬懿はのってこない。
司馬懿の陣営では守備に徹することを決めた。

ちょうどその頃
呉軍が合肥から敗退した。
膠着状態は2ヶ月保たなかった。
ここで戦っていた魏軍は、
五丈原の司馬懿に合流する。
おおよそ蜀軍の4倍にふくれあがっていた。

諸葛亮はゲリラや計略したいが、司馬懿は動かない。
司馬懿は4倍の兵力のままジッとしたままだった。

諸葛亮は使者を出して、挑戦状をわたすが、
司馬懿は動かない。
しかし、周囲の武将は
「これ以上我慢できない。戦わさせてください。」
と申し出る者まで出てきた。
司馬懿も各武将を抑えきれなくなり
「では、明帝に出撃許可をもらおう」と
使者を送った。

明帝からの詔書を辛比は述べた。
「ひたすら守りを固め、討って出てはならぬ。
 蜀軍の鋭気をくじくことを第一とす。
持久戦に持ち込み、蜀軍が撤退したときに
追撃し壊滅せよ」
司馬懿は辛比に
「明帝は私の心をわかっておられる。」囁き喜んだ。


次の手として
諸葛亮は、女性の衣服を司馬懿に贈る。
「お前は女か、戦場に出て来い!!」という意味である。」
さすがの司馬懿もいきりたったが、
「今は怒れば、我が軍は敗北する。」と気持ちを抑えた。

さらに諸葛亮がくれた衣装を着る。
「どうだ。似合うか?」と蜀軍の使者におどけて見せた。
「一緒に食事をしていかぬか?」と食事にまで誘う。
このおおらかさに蜀軍使者は驚かされた。

もちろん食事の席で酒もふるまわれた。
いろいろと話をし、打ち解けたととき
司馬懿は軽く聞いてみた。
「わしは、今までなんども諸葛亮と知恵比べをしてきたが、
 敵ながら尊敬もしている。
 しかし一緒に仕事をしたことがないので、
 いまいち、どのような人物なのかわからん。
 普段の仕事はどんなことをしておるんだ?」
使者「丞相(諸葛亮)は朝早くに起き、夜遅くに寝られます。
   鞭打ち20以上の刑罰はすべて、ご自分で取り調べ、
   なられます。最近は食も細いようです。」
司馬懿「さすがじゃのう。わしも見習わんとのう。」
司馬懿は彼より2才年上であるので体力がどの程度あるのか
わかった。これでは体力がもつまい。
となれば、既に病んでいるのか?
最近挑発が多いのは死期を悟ったからではないのか?
こうして司馬懿は諸葛亮の死期を知ったのである。

「諸葛亮どのに、贈り物のお礼をお伝えください。」と
司馬懿は使者を見送った。

諸葛亮はこの会話を聞いて寝込んでしまう。
咳から血がでるようになってしまった。
過去にも同じ病気になり、治癒していたのだが
心身ともに疲労が重なり再発したのであった。
おそらく結核だったと思われる。

「司馬懿は衣装を着ておどけたのか?
 これでは、計略にはかからないであろう。」
 もともと彼には戦う気などないのだ。
 武将というものは、早急に判断すべきときは
 帝に許可などもらわない。帝の詔書も司馬懿が
 仕組んだパフォーマンスでしかない。」と皆に教えた。



諸葛亮の身体は日に日に弱り、死を悟った。
彼は覚悟を決めて、兵法書を書き出した。
咳き込み、頭痛で集中力が続かない。
書こうとしても手の震えが止まらなかった。

皆は諸葛亮に「寝てください」と嘆願するが、
彼は、来る日も来る日も書き続けた。
それを見届ける周囲の者は涙が止まらない。
「丞相、お身体に障りますから、お休みください。」
「私はしなければならないことがあるから皆は先に寝なさい。」

諸葛亮は病気で苦しいときでさえ、周囲に気をかける人物であったのだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 11月1日公開「レッドクリフ」 | トップ | このサイトと連携しています。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

五丈原に散る」カテゴリの最新記事