筑前の国からこんにちは!

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美しく真白き思い出の吊り橋・・・関門大橋

2019年09月12日 10時52分00秒 | 構造物


巨大な吊橋が全国的に出来てきて珍しくなくなった今日このごろです。


本州と九州の狭い関門海峡を繋ぐ関門大橋は、巨大な吊り橋の先駆けとなりました。

関門大橋はどこから見ても風光明媚な背景と相まって素敵です。



九州の門司側から様々なアングルで見た関門大橋の勇姿を集めました。


関門海峡の思い出

70年前に山口県山陽小野田市に生を受け関門海峡に関する幼い頃からのおぼろげな思い出があります。

60年前の幼い頃、亡き父に連れられて船に乗って九州に来た記憶があります。

1950年生まれですので1958年開通の関門トンネルがまだ出来ていない時に来ていることになります。

何をしに行ったのか、どんな船だったのかほとんど記憶に残っていませんが、幸せな旅だったような記憶がします。


その後、小学校時代に東洋一の若戸大橋が出来たということでバスで若戸大橋と
八幡の七色の煙の景色(経済発展の象徴を見ることが目的)を見に行ったのでした、

後に汚染で大変なことになるなどその時は全く思いもしませんでした。

20歳ころになると、就職試験を受けるために関門トンネルを電車で北九州に行きました、
当時は就職条件に恵まれていて筆記試験はなく、面接だけでした、
おそらく筆記試験があれば受かっていなかったことでしょう(笑)。


面接試験が終わり電車で下宿先に戻ると電報だったか?内定通知が届いていたので驚きました。

この会社を一生勤めると決意し、10年前に無事定年リタイアできました。

振り返れば、恵まれてた人生だったと思います。


そんな愛情ある関門海峡に掛かる白い巨大な吊り橋に特別な思いがあります。


全長1068m、5年の歳月をかけて1973年に完成したそうです。


関門大橋の麓にあるノーフォーク広場からの関門大橋の勇姿


ノーフォークの由来は、北九州市と姉妹都市の米国バージニア州ノーフォーク市にちなんでつけられました。
広場にある象徴的なイカリの説明を見つけることは出来ませんが、源平合戦に滅亡した平家の総大将平知盛が
イカリを背負って関門海峡に沈んだことにちなんでいると推測しています。






ノーフォーク広場から関門大橋の下付近までの観潮遊歩道より
目の前に船が走っています、写真ではわかりませんが左右に行く船の速度は速い潮流のせいでまるで違います。



関門大橋の橋梁を見上げる、首が痛くなりました(笑)。



関門大橋の東側に移動して

灯台と関門大橋
ここに灯台があったことに今回はじめて気が付きました。


灯台は海上保安庁管轄のようです。



関門大橋の真下付近に和布刈(めかり)神社があります。




和布刈神社の境内から関門大橋を見上げました。


関門大橋が松の枝と良い構図になっていました。


道路を挟んで関門海峡を渡る人道の入口
関門大橋を見に出かけるときは、人道を渡り下関側からも撮影する気持ちでしたが、暑さと疲れが酷く止めました、健康第一です(笑)。





和布刈公園の上から見た関門大橋

60年前に船で渡った記憶が不思議な気がします。世の中の進歩はすごいものですね。



今回は徹底的に関門大橋を見てみようと意気込んでいきました。

下関側からの関門大橋は次の機会の楽しみということで残すことにしました、本当は暑さと疲れで気力が失せました(笑)。



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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます♪ (ベル)
2019-09-12 11:20:50
今まで福岡の娘宅へ行く時、一度だけ高速バスを使って行きましたが、
その時明け方に、この橋の下の駐車場で、運転手が仮眠を取る為、
1時間ほど停車してました、その時間が勿体なく、それからは飛行機で行く事に・・・

その前は、高速艇で2時間で門司港に行けたのに、今はもう無くなった為、
福岡に行く事が億劫になりました(汗)

何度か橋も渡りましたが、下の地下道も歩きました。
県境ではお約束の、お友達と手をつないでのジャンプ(笑)
中ではマラソンの練習してる人が、何度も往復してました(^o^)
返信する
ベルさんへ (筑前の国良裕)
2019-09-12 14:32:35
ベルさんにとっても思い出のある関門のようですね。
博多に来られるのに随分と苦労されたようですね。
40年前、出張で北九州から伊予三島にかなりの回数を行きましたが行き方に苦労しました。山口の柳井、大分の別府、広島、岡山からフェリー、どれも大変でしたが、岡山経由が一番多かったですね。
近くて多いということをお互いに身にしみたようですね(笑)。
返信する
関門橋 (大連三世)
2019-09-12 21:14:11
何度か通過してますが、ゆっくりと眺めたことがないです。
初めてこの橋を渡った時は、橋の印象よりは九州に着いたという印象の方が深かったです。
前橋から約千キロの道のりです。
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大連三世さんへ (筑前の国良裕)
2019-09-13 11:04:50
関門大橋は渡るよりも外から見るほうが素敵です。
この橋と高速道路のおかげで、本州と九州が一体化されて気がします。
昔、船で渡ったことが信じられませんね。
さいたま時代、一度車で帰ろうと思ったことがありましたが1000kmの距離に諦めました。
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Unknown (蓮の花)
2019-09-13 17:47:47
今日は、ご無沙汰しています。
ただいまリハビリ中です。
リハビリの先生から鍛えられています。
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蓮の花さんへ (筑前の国良裕)
2019-09-13 23:57:37
こんばんは~
リハビリは大変厳しいのでしょうね。
暑さが緩む秋口にはリハビリから解放されて秋のお散策などお楽しみください。
まだまだ暑い日が続きます、お体ご自愛ください。
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おはようございます (ヒューマン)
2019-09-14 09:03:27
就職試験のときの様子 思い出しますね
ヒューマン 筆記試験がありました。英語の試験も。FBIを正式にどう書くかという問題ができませんでした(笑い)
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ヒューマンさんへ (筑前の国良裕)
2019-09-14 10:52:22
就職は人生の大きな変換点ですね、懐かしいですね。
英語の試験もありましたか、まず筑前は避けましたね(笑)。
返信する
こんばんは (ふーちゃん)
2019-09-16 00:51:46
良裕さん
遅い時間にすみません
沢山の画像拝見しています
数々の想い出がありますね
就職のところでは
良裕さんの誠実で実直さが窺えました。

ふーちゃんは父親の勧めも加わり
保母さんになりました
園児には空想科学読本シリーズの
著者柳田理科雄君もいましたね。
返信する
ふーちゃんへ (筑前の国良裕)
2019-09-16 20:41:57
関門海峡はたくさん思い出があります。
関門大橋もトンネルもないときからですから、歳をとったものですね(笑)。

保母さんのイメージは幼い子への優しい母のイメージですね、これからは高齢者への慈愛に満ちた介護師さんが望まれますね。
柳田理科雄さんは知りませんでしたが、良き思い出ですね。
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