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火の山からの眺望とトルコの国との絆の公園・・・山口県下関市

2024年05月27日 09時57分01秒 | 情景


火の山の展望台からの眺望と透き通ったような水色の花・ネモフィラが見るために、
山口県下関市にある関門海峡に面した火の山に行きました。




火の山付近詳細




日の山展望台の駐車場から見た眺望
夕日に響灘の海が光っていました。



下関市街と響灘


響灘 六連島




火の山展望台から見た眺望
下関市内が見渡せ、巌流島、海峡ゆめタワーが見えます。



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火の山展望台からの眺望を見たあと、ネモフィラを見たいというので
麓の火の山トルコチューリップ園に寄りました。


火の山トルコチューリップ園  別称『オルハン・スヨルジュ記念園』
公園入口にある像 、愛情と優しさに満ち溢れていました。



この公園は、下関市とイスタンブール市とは「海峡」という地理的類似性があることから
1972年姉妹友好都市となった記念公園です。

5万株のトルコ国花のチューリップがあり、
すべてイスタンブール市から寄贈されたものです。

初めて来園した公園ですが、別称『オルハン・スヨルジュ記念園』に興味を引き調べると
胸を熱くする物語が隠れていました。

 このチューリップ園の名称『オルハン・スヨルジュ記念園』とは、1985年3月、イラン・イラク戦争の最中に
テヘランに取り残されていた日本人215名を救出した元トルコ航空機機長オルハン・スヨルジュ氏(1926−2013)を
顕彰するために付けられたものです。

イラン・イラク戦争時、イラク大統領サダム・フセインは「48時間の猶予期間後にイラン上空を飛ぶ機体を
すべて撃墜する」と宣言しました。
当時の日本にはイランへ行き来する航空便がなく、他国の航空会社も自国民の救出に精一杯で
タイムリミットまでに日本へ帰国することは困難でした。

日本人の窮状を知ったトルコ政府は、日本人救出に乗り出しタイムリミット直前に、
200名以上の日本人をイランから脱出させてくれたのです。

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当時のトルコ政府が危険を覚悟で救出しようとした背景


起点は、1890年におきた「エルトゥールル号事件」です

1887年、小松宮彰仁親王同妃両殿下が欧州訪問の帰途にオスマン帝国を公式訪問し、
その答礼として、1890年にトルコ側は特使としてオスマン提督を日本に派遣します。

トルコの艦船がオスマン帝国へ帰路の途中に和歌山県串本町沖にて台風と遭遇して、
エルトゥールル号が座礁・沈没してしまいます。
その際、近隣の紀伊大島の住民が救助活動の末に69名を救出しました。

日本人のこのような無償の行動にトルコ国民は感銘を受け、
日本とトルコは歴史的に友好関係が築かれてイランから決死の脱出をさせてくれたのでしょう。




火の山に裾の広がる花々

もう薄暗い時間で残念でした。
明るければ、眼の前を様々な花が美しく艶やかなはずです。
目の間にわずかにネモフィラを見ることができました。


イラン・イラク戦争は入社して間もなく起きて、会社の人も対象だった記憶がありました。
その時は、それが何だったのか深く理解もしなかったことがこういうことだったのかとわかり
感銘しました。
そして、トルコの国、イスタンブールの町がとても好きになりました。

火の山は3度目くらいですが、日も暮れての眺望は初めて見てうっとりとしました。
ただ、撮影場所から関門海峡と関門橋が見えず残念でした。

コメント (8)
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遠賀川を鯉のぼりが泳ぎ列車が通り抜ける。

2021年04月26日 13時38分07秒 | 情景

遠賀川は北部九州を流れる一級河川で、静かなゆったりとした水面と辺りに広がる河川敷は地元の人々の憩いの場となっています。



遠賀川の河川敷にある鯉のぼりが泳ぐ「遠賀川河川敷市民グランド」は広い芝生が敷き詰められていてとても気持ちが良いのです。

4月の中旬には、地元の人が集めた鯉のぼりが遠賀川の河川敷に揚げられ、元気に泳ぐ様子を見ると癒やされます。

平日の、コロナ禍の中とあって、この日は親子一組が芝生の上で長閑に戯れていただけでした。

鯉のぼりは遠賀川の上を通り過ぎる風を吸い込み元気に泳ぎ、
若松駅から新飯塚駅まで走る筑豊本線の電車がガタンゴトンと音を立てながら遠賀川に掛かる鉄橋の上をゆっくりと走りぬけました。

遠賀川の水位は安定しており、遠賀川の河川敷と遠賀川の水面の高さの差はいつも1~2mの差に保たれています、
そのため河川敷は球場や駐車場や芝生など常設されています。

日本には、大きな川はたくさんありますが、どうしてこのような安定した水位なのか長い間不思議に感じ、素敵なことだと思っていました。

数年前にその理由がやっとわかりました、遠賀川河口に堰が設けられていて海と川を仕切っていて、
あたかも河口近くにダムがあるような状況だったのです。


広い河川敷の芝生の上を元気に泳ぐ鯉のぼり
遠くに遠賀川を渡る筑豊本線の鉄橋が架かっています。
鯉のぼりの上では鳶が気持ちよさそうに飛んでいました。



遠賀川の掛かる鉄橋にガタンゴトンと快い音を立てながら入ってくる筑豊本線の電車
残念ながら、鯉のぼりは一休みでした。
この電車は電気と蓄電池で走るハイブリット型で、若松から折尾の区間だけ蓄電池で走ります。


走り去る電車
数秒で鉄橋を渡りきります、30分くらい待たなければ次の列車に出会えません。


鯉のぼりと遠賀川の土手
いつもはこの土手の上の道路を車で通り、鯉のぼりを楽しんでいます。
川の両側を盛る土手と言えば、日本では、ほとんどこのタイプで大雨などで決壊すると大惨事になります。
西欧では土手を盛る方式は少ないそうで大水などでの被害も少ないそうでうす。


元気に泳ぐ鯉のぼり
土手の上の車も鯉のぼりと一緒で気持ちの良いドライブのようです。


遠賀川上流は何事もないように静か
目の前の端は中間市街に繋がる遠賀橋です。


帰り道
鯉のぼりの泳ぎを見ながら、ひと時をくつろいだ後はこの道路を走り
鉄橋の向こうまで行き土手の上の道路に出て自宅へ帰りました。


広い芝生の上で寛ぐだけでも心地よいのに、鯉のぼりが元気に泳ぎ、時々電車がガタンゴトンとゆったりいた音色で鉄橋を走り
のんびりとした至福のひとときを過ごすことができました。

全国的にもコロナの感染急増で東京大阪を初め三度目の緊急事態宣言が出されたり、蔓延防止策を取るところも増えてきて、
気持ちも滅入ってきています、
コロナの早い収束を願いながら帰路につきました。

コメント (18)
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