炭鉱遺産と今

北海道炭鉱遺産の現状と思い出をエッセィ風に記述

時々の月

2012-07-07 17:15:34 | Weblog

夕食のあと、孫を両手につないで、かつての通勤道路を散歩した。正面に立坑櫓。止まったままの大きな滑車を懐に、薄暮の中で鉄骨のシルエットを見せている。背後には、今ではすっかり木々に覆われたズリ山が聳え、その上で7月初旬の白っぽい月が微笑んでいた。

「幸せそうですね!」そのまん丸い月が話しかけてきたような気がした。「そうさ、今が一番さ!」私は心の中で応える。と次の瞬間、あまりにも穏やかな気持ちに浸った反動か、紙芝居の絵を捲るようにはるか昔の月が蘇った。

結婚した当時の私は常(じょう)三番(さんばん)(一年中夜勤のこと)だった。炭鉱の三番方は夜11時から朝の7時まで働く。人々が眠りに就いている時間帯に坑内の中で炭塵にまみれて仕事をするのだ。眠い目を擦りながら10時半頃家を出るが、所帯を持ったばかりの夫婦を引き裂く無情な仕事を恨んで、つい無口になることが多かった。「気をつけてね!」と玄関口でいう妻の言葉を、不機嫌なまま何度無視したことか。そんなときの天空の月は冷徹なまでに無表情だった。

その時から、月の満ち欠けとともに数十年、この炭鉱で暮らしこの炭鉱の閉山に立ち会った。子供が生まれた夜に輝いていた月、地底で友人が逝った深夜の悲しい月、廃墟の住宅を静かに照らしていた月、その時々で違った表情をみせてきた月が走馬灯の如く脳裏を横切る。

孫のちっちゃな手はピックを握った祖父の指を握って離さない。炭鉱を知らないこの子らにその生活がどんなに楽しくどんなに苦しかったか、少しずつ伝えなければと思う。

赤平炭鉱が閉山になって18年。炭鉱の記憶はこのまちの一大イベント「火祭り」に引き継がれている。今月中旬、新月に近い月影は祭りを照らすことはない。しかし、ズリ山に書かれた「火」の文字がヤマで暮らした人々の思いを伝えて輝く。その灯りを孫とともに楽しもうと思う。