『葉隠』の中でも最も有名な箇所は、
「武士道というは死ぬ事と見つけたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進む也。」(聞書1-2)
「大事」に臨んで、タイミングを逃さないための要諦は、ためらいなく切り殺されることを引受けることだと言うのが、山本常朝の説くところなのです。「場をはずさぬ」仕方に、何も面倒なことはない(別に子細なし)。斬り殺されると決めてしまえば、「胸すわって」進むことができるというのです。
山本常朝はこれに続けて、分別・理屈は、決して「場をはずさぬ」方へ導くことはないと強調します。なぜなら、人は誰でも「生きる方が好き」だからです。分別・理屈は、おそらく自分の好きな「生きる方」を正当化するように働くであろう。しかし、その場に臨んで後れを取らないとは、好きでもないものを選び取ることである。(中略)つまり、「場をはずさぬ」仕方とは、まさに己にとって最も大切な生の断念ということに尽きるのです。(中略)
生命や欲望を断念すること、それがタイミングをとらえることである。しかも、その断念は、日頃蓄えた己の実力のいかんなき発動を導くであろう。だから、「斬り殺される事」を選んだ者は、かえって相手を倒すという目的を果たすことも可能になるのだ。「場をはずさぬ」教えの核心は、おそらくこのあたりにあるのではないでしょうか。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
「武士道というは死ぬ事と見つけたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわって進む也。」(聞書1-2)
「大事」に臨んで、タイミングを逃さないための要諦は、ためらいなく切り殺されることを引受けることだと言うのが、山本常朝の説くところなのです。「場をはずさぬ」仕方に、何も面倒なことはない(別に子細なし)。斬り殺されると決めてしまえば、「胸すわって」進むことができるというのです。
山本常朝はこれに続けて、分別・理屈は、決して「場をはずさぬ」方へ導くことはないと強調します。なぜなら、人は誰でも「生きる方が好き」だからです。分別・理屈は、おそらく自分の好きな「生きる方」を正当化するように働くであろう。しかし、その場に臨んで後れを取らないとは、好きでもないものを選び取ることである。(中略)つまり、「場をはずさぬ」仕方とは、まさに己にとって最も大切な生の断念ということに尽きるのです。(中略)
生命や欲望を断念すること、それがタイミングをとらえることである。しかも、その断念は、日頃蓄えた己の実力のいかんなき発動を導くであろう。だから、「斬り殺される事」を選んだ者は、かえって相手を倒すという目的を果たすことも可能になるのだ。「場をはずさぬ」教えの核心は、おそらくこのあたりにあるのではないでしょうか。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
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