つばさ
という曲の歌詞で
「風の流れに身をまかせ、たゆとうこのつばさ」
と書いたのはわたしです。
ちいさなかどでのうた
で「ふたり一緒なら静寂(しじま)越えて、夢確かめあえる筈だから」
と書いたのもわたしです。
で、
しじまってなに?って聞かれて
さぁ?
とこたえたのもわたしなら
「たゆとうこ」ってなに?と変化球で聞かれて、むーん。「たゆとう」「たゆたう」なんだけど。「こ」はちがうんだけど。と思ったのもわたしですw
いや、わかってはいるんです…、わたしは説明に困ったのですぞ。
歌詞を書いていく時に、そのうち脳裏のイメージ映像からふと浮かんだ、すきなことばがそれだったという状況…。その時は意味を考えてないのかも。
そうして先ほど、小山薫堂さんの「恋する日本語」をふぁーっと読んでたら、あら。
「揺蕩う(たゆたう)」が在ったわ。
決しかねて、心があれこれと迷う。
ということ。
ふーむ。
ちなみにわたしは
ふわふわゆらゆらさまようイメージから使いました。ちょっと儚く不安。だけど、たゆとう(たゆたう)の音の揺らぎ感が、自然のそれのようで優しく、救われる。
しじまは(本にはないですが)、宇宙みたく真っ暗で、星が音も無く光っているイメージを抱いて使いました。
日本語っておもしろい。映像が無限大。
小山薫堂さんのあとがきに
「刹那」の意味が「意識の起こる時間」と知り、次の瞬間「日本語とは、恋をするために生まれた言語」
とひらめいた、とあって、
なんともワクワクする気持ち!
わたしはストーリーが凝ってる小説にはどうも無関心なんだけど、
映像が脳裏に広がる美しいことばを見るのは大好き。
しばしことばをあれこれ探して遊びそうです。
ちなみに写真は雲…梟(ふくろう)さんがつばさ広げて飛び立つみたい?この世界はワクワクするイメージでいっぱい
ですね。
という曲の歌詞で
「風の流れに身をまかせ、たゆとうこのつばさ」
と書いたのはわたしです。
ちいさなかどでのうた
で「ふたり一緒なら静寂(しじま)越えて、夢確かめあえる筈だから」
と書いたのもわたしです。
で、
しじまってなに?って聞かれて
さぁ?
とこたえたのもわたしなら
「たゆとうこ」ってなに?と変化球で聞かれて、むーん。「たゆとう」「たゆたう」なんだけど。「こ」はちがうんだけど。と思ったのもわたしですw
いや、わかってはいるんです…、わたしは説明に困ったのですぞ。
歌詞を書いていく時に、そのうち脳裏のイメージ映像からふと浮かんだ、すきなことばがそれだったという状況…。その時は意味を考えてないのかも。
そうして先ほど、小山薫堂さんの「恋する日本語」をふぁーっと読んでたら、あら。
「揺蕩う(たゆたう)」が在ったわ。
決しかねて、心があれこれと迷う。
ということ。
ふーむ。
ちなみにわたしは
ふわふわゆらゆらさまようイメージから使いました。ちょっと儚く不安。だけど、たゆとう(たゆたう)の音の揺らぎ感が、自然のそれのようで優しく、救われる。
しじまは(本にはないですが)、宇宙みたく真っ暗で、星が音も無く光っているイメージを抱いて使いました。
日本語っておもしろい。映像が無限大。
小山薫堂さんのあとがきに
「刹那」の意味が「意識の起こる時間」と知り、次の瞬間「日本語とは、恋をするために生まれた言語」
とひらめいた、とあって、
なんともワクワクする気持ち!
わたしはストーリーが凝ってる小説にはどうも無関心なんだけど、
映像が脳裏に広がる美しいことばを見るのは大好き。
しばしことばをあれこれ探して遊びそうです。
ちなみに写真は雲…梟(ふくろう)さんがつばさ広げて飛び立つみたい?この世界はワクワクするイメージでいっぱい
