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a breath

何でもアリ、だから私。

酔っぱらい路上放置事件

2006-01-15 23:38:29 | 思い出

寝なくても仕事に行けてた頃の事(笑)
友人(コイツは例の悪友ね)と飲みに繁華街へ出て行った。

二人とも仕事が終わってから朝まで遊ぶ気満々で行った。
その頃は

とりあえず飲む(1軒目)

もっと飲む(2軒目)

club or Disco or shot bar(3件目)

カラオケ(ここでも飲む)(4件目)

まだまだ飲む(5件目)

足りなきゃまだ飲む(6件目)

てな具合で朝を迎えることが多かった(笑)
いったいどんな量飲んでたんだろうか?

そして最後の〆にラーメンが食いたいっ!!
と友人がよく言っていた。

基本的に私は食べながら飲めない。
先にお腹に溜まる物を食べたら後はひたすら飲み続けるタイプ。
たま~につまむ程度で満足なのである。

だがその日の友人は違っていた!
2軒目あたりから雲行き怪しくなってきた。
3件目はほとんど決まりそうな勢いに。
早目に切り上げて宅飲みか~?
何て言いつつ店を出た。

ところがヤツは言い出した!

ラ~~メン食ってこうよぉ~~~♪

絶対食えないって!
そんなパヤパヤ状態じゃ!!
って諭す私に

ラーメンなら食えるっっ!!

とのたまわった。
よ~~し、お前がそんなに言うんなら寄って行こうじゃーないの!
と言う事で夜中でも人がいっぱいのラーメン屋に行った。
少し待つと私達の順番に。

とりあえずミソラーメンを2つ注文。
ところが頼んですぐにヤツはトイレへ逃亡。。。
ラーメンが出てきてもヤツは戻ってくる気配ナシ。
あちゃ~~、あたしゃ~2杯もラーメン食えないよ~
と思っていた。

何とかトイレから引きずり出してヤツの念願だったラーメンを食わせようと席にいちおー座らせてみた。

おぉ~~!!すげ~~よ、コイツ!!
寝ながらラーメンすすってるっっ!!(笑)

だが2口ほどで今にもどんぶりに顔を突っこみそうな勢いだったので終了。
ペロンペロンになったヤツを担ぐように、引きずるように店を出て、
繁華街から2本ほど外れたデパートのある商店街通りへ。

もうヤツは自分を認識していないほど泥酔。
タクシーを拾おうにも捕まらない。
確かに賑わってたもんなぁ。。。
さて、コイツどーするか??

商店街の植栽回りのベンチのように設えたとこに座らせてたが、
自分では体の自由も利かないのでそこからずり落ちて直に地べたに寝てる。
あ~もう、このまま寝せとけっっ!!
恥ずかしいという気持ちはこの時のヤツには完璧に消去されてただろう。
いや、それは何もヤツに限ってではなく、酔っ払うと必然的にそうなる場合が多いだろうケド。
かく言う私だって例に漏れず・・・( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

タクシーを捜しに通りの外れまで行ってみたがやっぱり捕まらない。
そうこうしているうちにトイレに行きたくなった私。
うぅ。。。でもコイツ、どーするべきか??
。。。い~~や、運べないんならここで寝せとけ!!

とヤツのバックだけを持ち、私はゲーセンのトイレに行った。
急ぐこともなく戻って来てみると・・・

まだそのまま寝てました

このままここで朝を迎えるのはイヤだなぁ~
行き付けの店に電話しようか・・・?
そう思いつつ横目で路上に横たわるまるで死人のように動かないヤツを見ていた。

すると、私に声を掛けてくる男が!
ナンパか?この状態で良くもまぁ~~
何て物好きな野郎じゃないか。

そう思って良く見ると

「○○先輩ですよね?あっ、オレ△△です!お久しぶりです~~」

ときたもんだ。
???と思って顔を良く良く見ると間違いなく後輩の男の子だった。

お~~神よ!
捨てる神あれば拾う神あり
とはこのことか?(笑)

一目瞭然とばかりに状況をすぐに把握してくれた。
彼らはナンパに来ていたらしい。
でも送ってくれるとのこと。
死体のように動かないオンナを担いで車に乗せ、
タクシー代わりに使われて。。。
ゴメンよ、でもホント助かった。

実は彼らは私がヤツを放置したままトイレに向うとこから見ていたらしい。
①他に迎えの車が来るのではないか?
②もしかしたら私がヤツをこのまま放置して帰ったのではないか?
などと思っていたんだって。
特に理由その②!
これは私なら充分に考えられる事だし、って(笑)
ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ

私がその場を離れてた間、明らかにナンパ目的の男どもがものめずらしそうに近づいてきたり、カップルなんかは通報しようか?
何て言ってたりしたらしい。

そして無事、ヤツの部屋に送ってもらい事なきを得た。
彼らはまたその足でナンパに戻っていった。。。

いい事した後はいい出会いがあるよ。頑張れ!

なんて励ましてみたりしてヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆

脱水機グルグル事件

2006-01-07 09:24:16 | 思い出

久々の「事件」シリーズ(≧m≦)

何だかねぇ~、寒い朝には思い出しちゃうのよ(笑)

小学校低学年だったか幼稚園の頃だったか記憶はあいまいである。
今ではドラム式だの○○式だのいろんなタイプがあるが、昔の洗濯機と言えば二層式。
これが主流だったのである。というかそれしかなかったのである。

当然我家もそれだった。
そして脱水機は中ブタ付きので、脱水中にフタを開けても止らなかったかもしくは止るのが遅かったと思う。

ある日、洗濯機がいつものように快調に回っていた。
ふと隣を見ると脱水機もフル回転でカッ飛んでいた。
オレンジ色の洗濯物を押さえる中ブタに押さえられるようにして一番上には父のサテンのような光沢のある深い湖の色をしたようなグリーンのシャツがあった。

オレンジとそのグリーンのコントラストがまるでダンスを踊るかのようにミョ~にキレイに見えた。
そう、私は好奇心に負けて脱水機のフタを開けたのである。

いざ開けてみるとこの高速回転している洗濯物、それもこの父のシャツに触れてみたい!!その衝動に駆られた。
当然、フタの内側には注意書きがしてある。
脱水機の回転中は手を入れないで下さい
と。それは当然の事と納得できる。

でも、私は我慢が出来なかったのである。
ダメと言われれば言われるほど好奇心とは掻き立てられるものでして。。。(笑)

そして回り続ける脱水機の真ん中の穴に人差し指をヒョイ、ヒョイ、と抜き差ししてはそのスリル感を味わっていた。

何度か繰り返してるうちに限界に挑戦したくなるのが私でして(笑)
どこまで奥深く指を差し込めるか
私の興味はすでに中ブタと父のシャツの艶やかな競演よりもこの1点に的は絞られていたのである。

何度かの成功の後、まだ回り続ける脱水機。
いや、父のシャツの逆鱗に触れた!

指が父のシャツに触れた!そう思った一瞬の出来事に私は何がおこっているのかすぐには理解することが出来なかった。

父のシャツが私の人差し指を巻き込んで脱水されていたのである

まるでトムとジェリーのアニメを見ているかのように
人差し指がねじれていく。

すぐに痛みが走り、事の重大さに気が付いた。
しかし、時すでに遅し

右腕もろとも回転方向にねじれていた。

急いで脱水のタイマーを切り、中ブタを取ろうとした。
がっ!取れるワケないじゃん。
私の指が中ブタの中央の穴にあるんだもん。

そして何故かここで母を呼んだらしこたま怒られると予感したからなのか母を呼ばす、何とか自力で取って、何事もなかった顔をしていよう。
そう思っていた。

私は閃いた!
コレを外せないなら自分が回ればいいじゃんと。。。

そして私は洗濯機によじ登り、自分が脱水機のように何度か回転し、ようやく父のシャツは私の指から離れた。

もうこの頃には指の感覚ありません。
まるでこの指に心臓が移動してきたかのようにズキンズキンと痛むだけ。
母には内緒にしておこう、そう思っていたのにあまりの痛さ、そして何より指が曲がらない、これにはさすがに不安になって母の元へ。

母はすぐに道路向かいの徒歩1分の外科へ私を連れて行った。
病院の先生も母も笑っていた。

私は昔から注射が大嫌いなので、そんな症状の時でも注射をされやしないかとヒヤヒヤ・ドキドキものだった。

先生は指をグーパーしてみなさい、とか一本ずつ順番に指を折ってみなさい、とか言うのだが、それが怖くて何とか痛みを堪えながら指示通り指を動かした。

今となってはその無理が良くなかったのではないか?とも思うが(笑)

寒い朝や、むくんでいるとその指が重苦しくグーが出来ないのである。
きっと筋が曲がっているんだと思う。
その指は反対の指に比べて中指の方を向いている。
きっとこれは今後一生治らないだろう。

そしてその指の鈍痛を味わうたびにこのことを思い出さずにはいられない。

教訓

回転中の脱水機には手を入れないようにしましょう


正月スタイル

2006-01-04 20:18:55 | 思い出


子供の頃は毎年祖父母とご贔屓にしていた温泉旅館で大晦日から2日まで過ごしていた。子供の頃は温泉を楽しむというよりもヒマでヒマで温泉探検に余念がなかった。(笑)そして迷子になっては旅館の人に部屋まで連れて行ってもらったことを覚えている。

小学校も高学年になると友達と電車に乗って初詣に行っていた。
夜中に友達と出かけて行くって事がミョ~に大人みたいで楽しみだった。

中学に入ってからも友達と出かけていた。
あの頃は寝なくても遊べてたなぁ。。。

それからの10代はいろんな場所で新年を迎えた。

初日の出を見るのに初乗りだ~って海にいたり、彼氏の家にいたり、あそこにもいたし、ここにもいたし。。。←大きな声では言えましぇ~~ん(笑)

そして20代。
家の旦那と初めから終わりまで過ごした。
途中息子が産まれてからは3人になった。
あ、その息子が産まれた年だけは息子と2人で病院で迎えたっけ(笑)
これもいちおー(病院で年越し)貴重な体験。
したくてもなかなか出来ないことだしね(o ̄∇ ̄o)ヘヘッ♪

前の住まいにはとにかく友人、友人家族共に集まっていたので(溜まり場!?)大勢で迎えたことも何度かある。
楽しかったなぁ~~~

そして30代になった。
そのまま何も変わらないままだと思っていた。

去年は、ここに越してきてから初めての年越しだったが、TDLのカウントダウンパーティーが当たったのでTDLで年明けを迎えた。

今年は初めてここに来て、嫁として稼動した年越しだった。
仕事をしながらもやることが多く、かなり大変だった。
あぁ。。。今年も来年もずっとこの調子で年越しの準備に追われるのだろう。

義母が引退した後は私がそれらの一切をしなくてはならない。
果たして私にそれを全部こなせるか?
頭に叩き込もうにもどんと祭までは仏壇にあげるものも決まっているらしい。
無理だぁ~~~!!
ノートにメモしておかないと。

こうして私の正月スタイルは変貌してきたのだった。。。



豆腐屋源五郎へ

2005-12-23 01:06:28 | 思い出
この時期になると思い出す。
そして同時にせつなくなる。

どうしてあの時、素直にならなかったのだろう。。。
どうしてあの時、すがるように見つめる瞳をそらしてしまったんだろう。。。

あの時は言えなかった。
今なら言えるよ。

ありがとう。
そしてごめんね。

まだ私は幼すぎて「あなた」の全てを受け止める余裕がなかったの。
「あなた」を取り巻く環境、仕事、生活。。。
「あなた」は今でも私の中で”豆腐屋源五郎”なんだよ。
出会った頃と何一つ変わってない。

東京に、俺について来てくれないか

その言葉から逃げたかったのかも知れない。
いかにもっぽいヘリクツを並べ立てる私に呆れるどころかひとつひとつ私の不安を打ち消すようにきちんと向き合ってくれた。

本当はついて行こうと思ったの。
でも変わる事を恐れたのは私。
一緒にいるうちに「あなた」が変わってしまうのではないかって考えると全てを捨ててついて行く決心が付かなかった。
「あなた」以外、頼る人のいない土地でひとりで「あなた」の帰りを待ってるだけなんてとうてい出来ないって。。。
温湯につかった暮らしに飽きてしまう、飛び出してしまうだろうって。

精一杯の強がりで扉を閉めたのも私。
でもね、あの時オートロックじゃなかったら。。。
もう一度振り返って、その扉を開けてたかも知れない。
それでももう歩き出してしまってたから。。。

あの時、ちゃんと自分の気持ちを伝えずに強引で一方的に逃げるように
「あなた」を避けた。
一度決めたことだからと、自分に頑なになっていた。
その決心が揺らぐ事が何よりも怖かったの。


今こうして冷静に振り返ることが出来るようになった。
ず~~っと言いたくて、でも言えなくて・・・
そして言う機会を失って。。。

辛かったし、苦しかった。
でもあの時、自分の出した答えは間違っていなかった、と。
あの時、「あなた」を選んでいたら私の人生は全く違ったものとなっていたでしょう。
あれから私の選んだ道は曲がりくねりながらも後ろを振り返る事なく歩いてきた。
これからもたくさんの石に躓く事はあっても立ち止まらないと思う。

これが私。

「あなた」と出会えたこと、「あなた」と過ごした時間。
全てがかけがえのないものだった。
そのことに感謝します。

源五郎。
たくさんの思い出をありがとう。
あなたはあなたの歩むべき道を歩いてください。
私も私が歩むべき道を歩いていくから。。。


はぁ~~~
モヤモヤしてたこと吐き出したらスッキリした~~


思いっきり個人的な事なんだけど(笑)
いつかは目に触れるかな。。。
今更だけど伝わればいいな。




留年

2005-12-19 21:42:12 | 思い出

この時期になると思い出す。

高校時代の3年間、毎年この時期に親も呼ばれてこういわれ続けた。

3学期、1日でも休んだら進級(卒業)出来ませんよ

と。

冬休みが明けたらそんな先生の言葉など頭の片隅にも残っているはずもなく、
しっかり休んでいた。
そして休んでから先生の言葉を思い出す(笑)
だが、すっかりなまけ癖のついた私には無理難題だ。

忘れもしない、あれは高3の冬休み明け。
私といつも遊びまくっていた悪友も同じ事を先生に言われた。
そんな日曜明けの月曜、彼女は来なかった。
その時は風邪でもひいて正当な理由なんだろうな~と気にも留めなかった。
ところが次の日も来ない。
そしてその次の日も!
さすがに気になって、彼女の家に学校の公衆電話から電話をかけた。
(当時は携帯電話なんてないもーん)
そしたら彼女のオッカアが出て、

「あ~、あの子ね、今ばーちゃんと湯治に行ってるのよぉ(笑)しばらくお休みするからね~」

って!!
ウラァ~~!なんじゃそりゃ~~!!
私は遅刻しても何とかはいつくばって学校来てるってゆーのにお前は温泉かよ~~!!
と(笑)

まぁ、圧倒的に彼女の出席日数の方が多くて余裕だったんだろうけどね。
結果として2人共事なきを得、めでたく卒業の運びとなりました。

この彼女とのエピソードは腐るほどあるのでそのうち。。。


スリッパ味噌汁命中事件

2005-11-21 15:55:24 | 思い出

( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
出ました、勝手にシリーズ化です(笑)
その名も「事件シリーズ」

これはですねぇ~
私が小学生高学年の頃のこと。
寒い冬でした。
建て替える前の実家はリビング、ダイニングを挟んで廊下と台所があったのです。
そして廊下の突き当たりにあった通称「奥の部屋」が私の部屋だったので、そこから台所へと行くべく、スリッパを履いていたのです。

当時、リビングには大きなコタツがあり、その後ろにダイニングテーブルがありました。
コタツのところをスリッパで上がるわけにもいかないな、と思った私はスリッパをコタツの向こうへと投げたのです。

そしたらコントロールが良すぎる私はコタツに座る母の頭上を遥かに越え、後ろのダイニングテーブルへと。。。
そう!そこには作ったばかりの味噌汁の鍋があったのです!!

ボチャン!

一瞬の静寂。
母と私は同じ場所を見つめていました。
そうです、蓋をしてあった鍋のわずかなズレの部分から待ってましたとばかりにスリッパは暖かい味噌汁の中へと滑り込んだのです。

母の顔はまたしても般若よろしくとばかりに変貌。
ヤバイ、と思いつつもヘラヘラして誤魔化そうとする私をよそに母はご立腹。

「今作ったばっかりなんだからね!作り直しなさいよっ!!・・・そして、スリッパは投げるもんじゃなく履くものですっっっ!!!」

「・・・はい」

まだ湯気の立ち上る、今出来たばかりの味噌汁からスリッパを取り出し、心の中では
なんだ、飲めそうじゃんと思いながらも捨てました。。。

大人になった今、スリッパは母の教えどおりに投げていません。
ちゃんとはいてます。




米のとぎ汁牛乳事件

2005-11-21 15:31:26 | 思い出

まだ小学生の低学年頃だったと思う。
私の実家では商売をしていたのでよく夕飯の支度の手伝いをした。
強制というよりは手伝いが苦ではなく楽しかった。
そりゃ~たまにはしたくない時もあったケド(笑)

そんなある日。
お米をといで、と母に言われたのでといでいた。
私は昔から牛乳が飲めない。
でもこの米のとぎ汁は牛乳の色みたいだな~と思っていた。
そこで閃いた!

これを牛乳だ、って妹達に飲ませよう!!

米のとぎ汁の上澄みを静かにコップにすくってまずは妹に。
残念ながら妹は飲み干す事なく匂い、色などで気付いてしまいました。
一口、口を付けただけでバレちゃいました。

そしてそこで止めればいいものを止められないんですねぇ~
次のターゲットは弟へと向かっていました。
そうなると妹と二人、悪知恵は働くものでして・・・

今度はそのとぎ汁牛乳の中に台所洗剤を入れちゃいました。
かき混ぜたら泡が出てきて、それじゃーすぐバレるからと丁寧にスプーンでその泡を掬い取り、弟へと差し出しました。

弟は口に含んだと同時に流しへ吐き出し、母の元へ私達のいたずらを告げ口しに!!

当然母は鬼の形相で私達の元へかけつけ

「何やってんの!!弟、殺す気!!??」

と言う雷と共に私と妹の並んだ頭を叩かれた。
妹は「お姉ちゃんがやろう、って言ったんだよ~」と。
確かにそうだけどさ~~
もちろん、怒られた。

だけど完璧な米のとぎ汁牛乳を作れなかった事が残念で仕方がなかった。

そんな姉2人を持つ弟の恨みはよほど深かったのだろうか。
実家の玄関(しかも外側の戸)には

くそ○○(私の名前) ばか△△(妹の名前)

と書かれていた。
それは実家を建て直すことになったつい7,8年前まで消えることのないままだった(笑)




書き出すと続くもんなんです←今んとこ(笑)

2005-07-04 16:37:41 | 思い出
雨です。

止む気配すらなく降り続いてます。

こんな夏なのに肌寒い日は海に入ってた頃を思い出す。
「雨降ってるのに行くの?」
と友達に言われても
「どーせ濡れるんだから同じ」
と行ってたな~

もう家を出る時からウェットは着ていくの。
上半身だけ脱いだ状態で、上にTシャツとか着て。
何回か着替えをそっくりそのまま玄関に忘れたことがあって
タオルとコンビニの袋を車のシートにしいて帰って来たことがある。
そのうちそんなカッコにも慣れてくるとそのままでSHOPに立ち寄ったりして(笑)

。。。そういえば今だから言うけどパンツを忘れていくことなんてもっともっとあったと思う。
Tシャツに短パンスタイルが多かったから結構スースーしたもんだなぁ。。。

あ~また入りたいな♪
オバサンサーファーだっていいじゃない(≧m≦)ぷっ!





サーファーギャル

2005-04-04 23:30:06 | 思い出
と呼ばれる人でした。(笑)

探し物をしていて、引越し後ほどいてない荷物を見つけたので
ダンボールを開けてみました。

いわゆるサーフブランドと言われるところの
(ビラボン・タウカン・クイックシルバー・シェイズetc・・・)
Tシャツやらトレーナーやらハーフパンツやら何やら
ドカンと出てきました。

知ってます?ジョッパー。(笑)
ジョッパーズパンツ(確か正式名称はこんな名前だったはず)っていうモノ。
足首の方が細くなってて、上に行くほど太くなるパンツなんですが、
それもえらく久しぶりに見ちゃいました。
ダンボールの中で化石になってなかったのが不思議なくらい(笑)

そして何故かそのダンボールの中からテニスのスコートとペチコートが・・・(爆)
ん??
私、テニス部だった記憶はありましぇーんヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆

あ、昔毎日行ってたDISCOのパーティーで友達とコスプレで
着たヤツだー!!
白は暗闇の中でもうっすらと光って目立ったんだよね。
・・・ちなみにその時のゲーム大会で優勝しました!
賞品もしっかりGETした思い出が(笑)

・・・これ、W54なんですけどぉ~
どこのどなたがはいていたのかしら??



って私じゃ!!!(笑)




取っていても袖を通すことは二度とないと思うので
思い出だけを残して処分しようかな。


ベルト

2004-09-28 22:28:38 | 思い出

細かった時代に使っていた私のベルトは今息子が使っている。
穴が足りなくて開けて使っていた。

今の私からは想像もつかないけれど53、4cmくらいしかなかった。
自分で書いててw(☆o☆)w オオー! 驚き・・・

高校の制服を作る時、仕立て屋さんで
「スカートのサイズはどうしますか?」
と聞かれた母は
「太るでしょうから66cmで」
と言った。
3年間、どんどん痩せていき(病気じゃないよ)
卒業するころには腰ではくスカートになっていた。(笑)
気持ち悪いほど頬がコケてガイコツみたいな時期もあったなー
↑夜遊びのし過ぎ?

今じゃー”起き上がりこぼし”みたいな私。(|||≧q≦|||)/
(分かるかな~?)
そのうちベルトだけじゃなく背も息子に追い越されるだろう。
靴のサイズはもうすぐ追いつかれそうだし・・・

でも私が使っていたものを息子が使ってくれるのは何となくうれしかったりする(〃^ー^〃)