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ChatGPTさんの『古事記』英訳

ChatGPTの『日本書紀』英訳 神武天皇 14

『日本書紀』神武天皇 14

庚申年秋八月癸丑朔戊辰。天皇當立正妃。改廣求華胄。時有人奏之曰。事代主神共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛。所生兒。號曰媛蹈韛五十鈴媛命。是國色之秀者。天皇悦之。

九月壬午朔乙巳。納媛蹈韛五十鈴媛命。以爲正妃。

辛酉年春正月庚辰朔。天皇即帝位於橿原宮。』是歳爲天皇元年。』尊正妃爲皇后。生皇子神八井命。神渟名川耳尊。』故古語稱之曰。於畝傍之橿原也。太立宮柱於底磐之根。峻峙搏風於高天之原。而始馭天下之天皇。號曰神日本磐余彦火火出見天皇焉。』初天皇草創天基之日也。大伴氏之遠祖道臣命帥大來目部奉承密策。能以諷歌倒語掃蕩妖氣。倒語之用始起乎茲。

≪英訳≫

In the autumn of the year of 庚申, on the sixteenth day of the eighth month, the Emperor intended to appoint a consort. Seeking a noble maiden, someone presented, “The deity事代主神 (Kotoshironushi no Kami) married the daughter of三嶋溝橛耳神 (Mishima Zokui Mimino Kami), named玉櫛媛 (Tamakushi Hime). Their child, renowned for her beauty, was given the name媛蹈韛五十鈴媛命 (Hime Tatarai Suzu Hime no Mikoto).” Upon hearing this, the Emperor was pleased.

On the twenty-fourth day of the ninth month,媛蹈韛五十鈴媛 (Hime Tatarai Suzu Hime) was summoned and appointed as the official consort.

In the spring of the year辛酉, on the first day of the first month, the Emperor ascended the throne at Kasihara Palace. This marked the first year of the Emperor’s reign. The honored consort was elevated to the position of Empress, and she bore a son named神八井命 (Kamuyai no Mikoto) and神渟名川耳尊 (Kamununakawa Mimi no Mikoto). In ancient words, it is said, “Kasihara at Unebi, the Emperor firmly set the palace pillars in the roots of the rocks, towering towards the high heavens, and thus began to govern the realm. He was named神日本磐余彦火火出見天皇 (Kamuyamato Iwarebiko Hohodemi no Sumera Mikoto).”

On the day the Emperor first engaged in governing the country, the ancestor道臣命 (Michi no Omi no Mikoto) of the Ootomo clan, leading the大来目部 (Ookuramebe), received a secret mission and successfully dispelled calamities through clever poetic allusions and coded words. This marked the inception of the use of coded language.

≪この英文の和訳≫

庚申の年の秋、八月十六日、天皇は正妃を立てるお考えでした。改めて貴族の女子を探された。このとき、ある方が申し上げられました。「事代主神(ことしろぬしのかみ)が、三島溝橛耳神(みしまぞくいみみのかみ)の娘、玉櫛媛(たまくしひめ)とご結婚され、生まれられたお子様は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)といい、容姿に優れた方です」と仰られました。このお話を伺って、天皇は喜ばれたそうです。

九月二十四日、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)が召され、正妃とされました。

辛酉の年の春、一月一日、天皇陛下は橿原宮にご即位になりました。この年を天皇の元年とされました。正妃は皇后として尊ばれ、神八井命(かむやいのみこと)と神淳名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)の二皇子をお生みになりました。それゆえ、古の言葉でこう称されています。「畝傍(うねび)の橿原に、御殿の柱を大地の底の岩にしっかりと立て、高天原(たかまがはら)に千木高くそびえ、初めて天下を治められた天皇」と。そのお名前は神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと)です。

初めて天皇が国政を始められる日に、大伴氏(おおとものうじ)の先祖の道臣命(ミチノオミノミコト)が、大来目部(おおくらめべ)を率いて密命を受け、よく*諷歌(そえうた 比喩的な歌)、倒語(さかしまごと 合言葉・暗号)をもって、災いを払い除いた。倒語(さかしまごと)が用いられるのは、ここに始まった。

*『日本書紀』によると、神武天皇が国政を始める前に、大伴氏の先祖である道臣命が、諷歌と倒語を使って災いを払い除いたとされています。諷歌(そえうた)は、表面に現わさず他の事にことよせて歌った比喩的な歌で、倒語(さかしまごと)は、相手に分からせず、味方にだけ通じるように定めた言葉のことです。このような言葉の使い方は、古代特有の考え方で、言霊の力によって災いや邪気を祓うとされていました。≪ Bing AI ≫

令和5年12月23日(土) 2023

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