ネタが見つからないし、ウルトラマンタロウを見ているので、それにしようかと思いましたがやめておきます。
「知られていない」ということです。
今、小説のカバーデザインや帯コピーの最終校正をしていて、再度2006年の公演に思いを馳せていました。
まず見返したのは、ホームページのアーカイブでした。
この公演は、旗揚げ公演がCTTという本公演を前提とした試演会だったため、五年後に上演するということを言ってしまったわけです。言った言葉はまっすぐ曲げない(By ナルト)わけでちゃんと五年後にやったんですねえ。
さらにその五年後の2011年には書けなくてやらなかったわけですが。
チラシを見てみると、「風景を演劇にする」という演出家目線の言葉が書かれていました。
当然ながら、新たなもの、知られていないものに挑んだためにそういう表現になっています。
枚方の風景写真を元に、スケッチのような戯曲を書き、それを演出する、という知らないことだらけの公演だったわけです。
そこで書かれていた「観客一人一人に聞こえてくる物語」「公演参加者一人一人に見えた枚方」という表現から、やっと小説の意義というか、演劇作品との違いが飲み込めました。
つまりクスキユウに見えた枚方、僕に見えた「ハーフ」という作品を形にしたのだな、と。
同時にプロデューサーとしてコピーを考える時に、これは本当に知られていない感覚、知られていない表現を使わなければ言い表せない作品なんだな、と思い、苦労しました。
今回の小説、また2001年当時の作品には、僕自身のなんとも言えない浮いた感じ、浮世離れした部分を上手く表出しようとしていました。
当然知られていない、また見ぬ表現です。
でもこれを人に伝えるためには、知られている言葉でもって著さなければならない。
これがまた難しい。
もちろん知られている、よくあるような表現で、月並みなものにしてもいい。
そしてまた作品自体もまたありふれたものを扱っているから。
でも、それでも、引っ掛かる人には何かしら引っ掛かる表現にしたかったのです。
はてさて売れるものかしら。
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