久々、でもないかな、動詞の登場です。
1988年に大ヒットした映画「ダイ・ハード」で、ブルース・ウィリスがテロリストが占拠したビルの1フロアの真上のフロアで歩き回りながら「think,think,think」とつぶやいていたことを思い出します。
訳すと「考えろ、考えろ、考えろ」です。
演劇にしろ、塾にしろ、どの生徒にもこの事を言います。
われわれ人間は、せっかく優れた知性と驚くべき構造の脳を持ち、生命の中で類まれなる言葉というものを使用しているのですから、考えなければなりません。
僕は俳優には単なる駒として動くのではなく、考えて動いてもらいたいです。
そうでないと面白くありません。
元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏の新書の題名もたしか「考えよ」でした。
サッカーも確かに考えなければなりません。
サッカーとは足を使うスポーツですが、それ以上に頭を使います(ヘディングじゃありません。もちろんキャプツバの石崎君は大好きですけど)。
ボールを相手側のゴールに入れる、と言う目的(purpose)のもとに、戦術(tactics)を立て、個々の場面で手段(means)としてドリブルをしたり、パスをしたり、シュートしたりします。
演劇も同じです。
ローナ・マーシャル氏のワークショップで行った、よく演劇学校で学ぶワークでこのようなものがあります。
「お願いします」という台詞のみを用いて、例えば相手を椅子から立ち上がらせるというワークです。
サッカーであれば、足しか使わないというルールに「お願いします」が対応します。
相手を椅子から立ち上がらせる、という目的がボールをゴールに入れる、というものと対応します。
そしてこのワークの真髄は、戦術を立てて手段を尽くしていくことにあります。
例えば戦術は、異性への誘惑という形をとるかもしれません。あるいは誠実さで押していくことかもしれません。
もしくは可哀想な人として同情を引く方向かもしれません。あるいは一番効果的なのは脅しだと考えるかもしれません。
いずれにせよ、戦術を決めたら、手段としてはいろんなことを試します。
誘惑という戦術なら、手始めに隣に座ったり、手を握ったり、などなど。
もちろんお芝居であるという前提ですから、ルールはあります。当たり前ですがパーソナルなスペースに手を触れないとか。
演劇を創る時にも、同じように考えます。
人と人との関わりとその変化を観たい、見せたいと考えてパーセクを上演する、という目的をすえました。
そして、戦術として高校生俳優を用いました。青春、恋愛という手段によって、人と人との出会いから、その心の距離が本の少し縮まる瞬間を描けるのではないか、ということです。
厳密には戦術と手段というのは、創作の段階やレベルにおいて異なりますが、すべからくこの三段構えで僕は考えて行きます。
まず目的(purpose)、そして戦術(tactics)、実際に行動に移す時には具体的で明確な手段(means)。
この手段までおろすからこそ実行していける、実験していける、稽古をしていけるのです。
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