明るい未来がやって来た~

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取るに足らないことこそ大きな思い出

2020-11-23 23:35:55 | 日記
今日は北風が強く、いよいよ冬到来の震える寒さを感じた日でした。

寒いとき何を夕飯に作るか…と考えると、何故か「クリームシチュー」が浮かんできます。

コマーシャルの影響もあるのか、(あったか~いシチュー)と言うイメージがず~ーっと植え付けられている為に、身体が冷えきった時のシチューは、昭和世代には極上の家庭の温もりを思い出させられるメニューに思えます。

勤めていた頃、壮年代の所長が単身赴任でなかなか家族と一緒の夕飯を食べることができず、冬にテレビで「シチュー」のCMを見ると、寂しいと言うか侘しくなる…と呟いていたのを思い出しました…

自炊はするけど、「シチューはさすがに作らないな…やはりあれは家族で食うもんだな」とも話していましたね…

私も義理父母を送り、子供達もそれぞれ家庭を持ち、夫と二人になっても、昔と同じシチューを一箱使って、大鍋で作らないと作った気がしないと言う「癖」になってしまっています。

ただ、二人で食べても温かさは感じられるもので…

いなか育ちの割に、夫はジャガイモを避けて食べる人で、どうせ避けられるならと盛り付けるときに夫にはジャガイモを少しにして、私の方にはどっさりてんこ盛りしたところ、テーブルにおくときに間違えたのか、普通にテレビを見ながら私が食べ終わっていたら夫のシチュー皿に「何故?」と思うほどのジャガイモの量😰

やっぱり間違ったのかなぁ…

お皿のジャガイモを見たときに、可笑しくて吹き出しました😅
よりによって、嫌いな人にこんなに入ってたんだ…😨

こんな、取るに足らない事件でしたが、こう言うことが後々、確かな家族としての思い出になるんだろうなぁ…としみじみしました。

弟を病で亡くす前、見舞いで訪ねたとき、二人で近くの回転寿司に行って食べたお寿司が最後の思い出としていつまでも心に刻まれたまま、食が細くなってなかなか喉を通らなかったり、むせ込んだりしながらも、遠くから尋ねた私を精一杯もてなしてくれた弟の想いも、その時はわからなかった時間の尊さに、間もなくして逝ってしまった現実と向き合ったとき、二度と取り戻せない時間に、同じ瞬間は「もう無い…」「切ない…」と言うか(えもいわれぬ)感覚に包まれるのだと思います…

『鬼滅の刃』がこれ程までにヒットするのも、失った大切やもの達への悲しみ、切なさの描写が丁寧で、誰の心にも共通する悲しみの体感と、全ては永遠でなく「別れ」が必ず待っていると言う気配への共感なのかもしれません😢

悲しみも喜びもしっかり体得して、生を楽しんで行くことが人間の使命なのでしょうか?
先に逝った方々も、あちらで応援してくれている事を信じながら

まだまだ道は続きます…


応援してくださる皆様いつもありがとうございます💕🙇

全ての出会いと出来事と皆様の幸せな未来に感謝します🙏🍀

『夜に駆ける』で眠れない「夜」😅

2020-11-21 12:55:39 | 摩訶不思議
『夜に駆ける』と言う曲を見つけました。
タイトルにたどり着くまで夜明けまでかかりました…😱


バラエティー番組の中でbgmで流れていて、良く耳にするなぁ~…
ノリも良いしなんか魅かれて調べ始めました。

アラ還の私には、最近のヒット曲を誰が歌っているのか…😰

LiSAさんの「鬼滅の刃」関係の曲は、さすがに孫達を通じて知ることができましたし、あいみょんとか髭男爵さんとかも既に絶対の人気なので知っていましたが昔で言うヤング世代(今は何て言うのかな?😅 ネット世代、IT世代とか…?)
の方々にヒットしている曲となるとなかなか出会う機会もなく、たまたまドラマとかCMとかで耳にして良いなと思ったものは調べて覚えたり、スマホにいれたりしてきました。

今回のbgmで聞いたものは、どこから探し始めたら良いか…
誰かに口ずさんで伝えようとしても、メロディーも定かでない上に、21世紀に入ってからの曲は昭和時代の、曲の流れを推測できるようなものではなく、ラップ調も入ったり、上がり下がりが激しくなかなか覚えられなくて、どれだけの才能のカタマり達が今の時代に生まれているのかと若者達への羨望と憧れをいつも抱きながら、素敵な曲にひれ伏したい思いで居りますが


はてさて?
これはなんと言う曲なんだろう😭

夜、寝床に入ってスマホをいじって曲名調べを始めました。

まずは曲調から、ボーカロイドのような感じだったと、検索しそのジャンルのヒット曲を探したのですが無くて…

いろいろ歌とか曲とかと見てみると、ヒット曲をまとめているジャンルがありようやく発見しました~🙌🙌🙌

何故か魅かれて耳から離れないサビの部分…

歌っている方は「YOASOBI」と言うグループでした。

メロディーに惹かれて聞き始めましたが、歌詞がとても不思議なのです。

死生観を詠ったらしく、簡単に言うと、自殺未遂を繰り返す彼女を救おうと懸命に生きる喜びや希望を伝え続けたが、最後は自分もそちらの世界に引き込まれて彼女と共に明けない夜に向かって落ちていく…
夜に駆けていく…と言うストーリーの歌です。

私自身、かなり長い間、生きる事はただただ試練との戦い…
こんな人生早く終わりたい…と生きてきた側なので、あちらの世界への憧れを持つこの歌の中の女性に共感も覚えたり、共に二人で向かった彼と彼女はその後のあちらの世界では実際どうなって行くのだろう…とか。

自分の聞いたり読んだりしてきた『あの世の世界』のルールからすると確かに「いけないこと!」とは思いながらも、自然に虜にされてしまう魅力がこの歌の原作でもある『タナトス(死神)の誘惑』と言う死神に取りつかれた彼女とこの歌にあるのかなぁ…と。

この21世紀に変わった、今後100年を背負うが如く生まれてきた若者達が、例えあちらの世界と言うところが「癒しの場」や「憧れの場」に見えて、引き込まれそうになったとしても、だとしても、明日は今日と同じ辛い日が続くわけではない…と信じてほしいし、例えば辛すぎたら、せめて今日は「息だけしよう…」だけでもいいから美しい女神を装ったタナトス(死神)に連れていかれないでほしい…と歌詞とは逆の明るいテンポのこの曲に祈りを込めています🙏


応援してくださる皆様ありがとうございます🎵

全ての出会いと出来事と皆様の幸せな未来に感謝致します🙏🍀




人生不満百…渋沢さんごめんなさい😣

2020-11-19 02:50:09 | 心磨き
あと何年後かに、新一万円札の顔になると言う渋沢栄一氏の出身の埼玉県深谷市にコロナが少し修まっていた9月頃に所用で夫と立ち寄った際、渋沢栄一記念館にて販売してあった色紙に、「人生不満百、常懐千歳憂」と言う文字が書いてありました。

私は色紙と言うものより、渋沢翁の人生そのものに興味があったので、きっと又ドラマとかになって放映になるだろうとスルーしたところ夫が買っていたようで、家に帰ったら飾り始めていました…

漢文など興味もないはずなのに、ただただ旅の記念にと購入したのだと思います。

いつも茶の間に飾ってあり、この頃じっくり眺めて見ると、「人生不満百」…?

こんな偉大な方も「不満は百もある!」

そうか、みんなそんなもんだと言うことかな?
では次の行は…

「常懐千歳憂」う~ん…
これは調べないと感覚ではわからないな!

とググったところ…

なんと恥ずかしい!
私の自信満々の「不満が百もある❗」
とは全く次元の違う…

書いた渋沢さんと見た私とでは解釈の差が天と地ほどもある「偉人たるもの」の壮大な志しを感じ…

この詩は、本来の漢文の意味は『人生は短いのだから(せいぜい百年も生きない)  大いに楽しんだほうがよい」と詠んだものらしい。
(但し、渋沢氏は自身の生きた時代の影響もあったのか、常に将来を憂うの意で書かれたとのこと)

常に憂いて頂いたお陰で、現代の社会が出来上がったのかもしれません。

あちゃ~😫
と言う、誰かに伝えたわけでも無いですが、なんか…自分の拙さ、幼稚さに打ちのめされました😭

「不満が百」と「百に満た不」(ひゃくにみたず)

あ~普段から不満、満々でいるから、待ってましたとばかりに目に入ったんだなぁ~と反省しきりです(((^^;)

『気は長く心は丸く腹立てず口慎めば命長かれ』

心を丸く満たしておくよう、
『不満』を親友にしないよう、
リラックスして「今」を生きて行きます🙆


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できない私、ポンコツな私を受け入れよう…

2020-11-17 00:30:13 | 心磨き
昔、ひすいこたろうさんの本でしたか?「あなたの目と耳と口を何億円とかで譲ってくださいと言われたらそれにオッケーできますか…」
私たちはすでに取り替えのきかない、一人一人が素晴らしい価値があると言うことが説明文にあり、なん十年経っても素敵な名言として心に残っています。

見えること、聞こえること、話せること…だいたいの人が当然の事にして、普段、恩恵も感謝も思わないまま生きてしまっていますが…

私たちが意識している世界。
顕在意識の世界って本当に狭い小さいところなんだって思えてきます!

頭で考えてる事って、昨日書かせて頂いた「喜怒哀楽」だったり、「好悪」「正邪」「善悪」「美醜」「損得」等…

仏教で言うところの二見で判断して心地よいものと苦しいものに分けて心地よいもの(快)だけを求め、(苦)を排除しようとすることにばかり意識を集中させて生きていますが、その意識の下支えとして見える、聞こえる、話せるとかの五感の無意識の感覚があり、またその支えとして呼吸ができたり、心臓が動いていたり、血液が身体を巡っていたり…
またまた、消化作用、抗体作用、体温維持等
全く意識もコントロールもできないところで自分の生命が保たれていると思うと、頭で考えている自分だけが(私…)ではないことに気づかされます😲

その上、スピリチュアル大好きの私はオーラや守護霊様、ご先祖様、神様仏様…と見えないもの達「超意識」と言う感覚を思いますと、やはり生きてることは…
生きてるだけで…
「丸儲け」と言われるのは真実だと思い至ります✌

そして全ては「我が力にあらず❗」といつも戒めて得意な事も、他人より劣ってしまうポンコツな部分も「全て頂いたもの👍 できる自分もできない自分も大好き💕」の方向に少しずつ向かっていけるようになりました🙆

ポンコツな私を心から愛せる日が来ることを楽しみにまた一歩ずつ進みます👊


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怒りは悲しみの「実」?

2020-11-16 00:15:52 | 日記
良い歳をして感情を現すことはかつてはかなり恥ずかしいこと…といつの間にか身に付いてしまった喜怒哀楽を隠す表情。

「男はだまってサッポロビール🍺」
と言うCMが耳に残っている昭和世代は多いと思います。

『寅さん』の映画を土曜のBS放送で毎週再放映されているのを見ると、男たるもの人前で涙を見せるものではない…

女性は歯を見せて笑うものではない…

今の画面で見る芸能人だけでなく、文化人の方に区分けされるコメンテーターの方々まで、大きく口を空いて手を叩いて喜んでいる様は、昭和の慎ましいと言うかおしとやかと言われるものに比べてみて、とても温かさが感じられ、楽しい嬉しいときは共に喜び、悲しいときは共に涙すると言う世界になってきた感じがします🙆

邪気がないと書いて『無邪気』となりますが、人間がこの世の悲しみ苦しみを経験して、どうにも抗えない現実が誰にも訪れることを知った上で、無垢に帰っていくことは幸せではあるけれど、至難の技でもある事を思います👊

久しぶりに「怒」の気分を味わいました。
そのあとに来たのは、悲しみ「哀」でした…😢

なぜ私は、あの時あれほど怒ったのだろう…とどんどん同じ感情を味わった過去を一つ一つ思い出していくと、結局は悲しみに至るものですね…

あの時無視された…
あの時ひとりぼっちだった…
あの時、人間扱いされなかった…

感情を出せなかった…

結局、悲しみをいつまでも抱えているのが辛いから「怒る」「相手にぶつける」行動を起こすのでしょうか?

私は相手にぶつけることをせず自分を「情けないやつ」
「できないやつ」とすることで低い次元でバランスを取っていたのだと、認めざるを得ませんでした。

もっと頑張ろうと思わないことで…
そこそこで手を抜くことで…
突き抜けた際の称賛よりもその数倍襲いかかる嫉妬、妬みを受けないように保身してきたことに気づいてしまった今、ボロボロになってもやりたい「何か」をガムシャラにやってみたいと思えてきました✌

NiziUのダンスでもやってみようかなぁ~っとちょっと練習しています😊⤴️👍
(まるでラジオ体操になってしまってます😣)

新月を迎えましたね🙆
皆様の願いが叶いますように🙏


いつも応援してくださる皆様ありがとうございます🎵💕

全ての出会いと出来事と皆様の幸せな未来に感謝致します🙏🍀🍀🍀