私は様々な方のおかげで若い頃に京セラを軌道に乗せることができましたが、
その過程で「私の技術をベースに創業し、私が夜も寝ないで経営してきた会社だ」という、
一種の驕りが出たことがありました。
しかし、すぐに考えを改めて、
「才能を私物化してはいけない」と常々自分に言い聞かせてきたんですね。
京セラやKDDIを立派な会社にして、
JALの再建も果たして、
確かに私には少しは経営の才能といったものがあったでしょう。
しかし、そういう才能を私が持っている必要があっただろうかと。
この社会は一つの演劇を演ずる劇場のようなものだと思っています。
劇団には主役を演じる人、大道具、小道具、小道具、衣装の準備をする人、
様々な役回りがあるわけです。
現代において、
京セラやKDDIをつくる人は必要だったかもしれないが、
その才能は別に私が持っている必要はなかった。
私はたまたまこの世界の創造主から才を与えられ、
役割を与えられた。
ならば、その才を自分のために使って「俺がやった」などと自惚れてはならない。
やはり従業員のため、
世のため人のために使う。
それがリーダーだと思ってやってきました。
最近ことに強く思いまして、
夜、寝付いたらいつも「こんなに素晴らしい人生を与えていただいたのだから、なんとか世の中にお返ししたい」と思っているんです。
〜稲盛和夫