◇毎日新聞
特集ワイド:YOSHIKI「父の自殺」公表にこめた「繰り返さないで」
◇今も消えない傷
人気ロックバンド「X JAPAN」のリーダー、YOSHIKIさんが、幼少期の父親の自殺について語った。子どもたちに自分と同じような傷を負ってほしくないという思いからだ。今年3月に自殺の事実を公表した。年内に遺児のための基金を設立し、音楽を通じて自殺防止を訴える。【聞き手・山寺香】
--お父さんが亡くなった時のことを覚えていますか?
僕が10歳の時でした。実家は呉服屋で、父は母親と一緒に店を経営していました。夏休みで器楽クラブの練習から帰ると、父が亡くなっていました。僕は泣きながら大暴れしたみたいです。それでみんなに押さえつけられた。
精神的に閉ざしてしまおうとするのでしょうか。その時のことはあいまいにしか覚えていません。前後の記憶はあるけれど、父親を亡くした年は記憶が半分飛んでいる。
--どんな気持ちでした?
今でもあまり思い出したくないんです。不思議ですね、記憶って。時と共に忘れていく記憶と、そのまま厳粛さを保って当時のまま変わらない記憶がある。父の記憶は後者です。当時も今も全然変わらない。悲しみも薄れず、多分一生消えないんでしょうね。
家族の中でもそのことについてしゃべってはいけないという暗黙の了解みたいなものがあった。自分や弟は心臓マヒで亡くなったと聞かされました。僕はもう10歳だったからなんとなく違うと分かりましたが、弟はまだ6歳だったので20歳くらいまで知らなかったようです。
元気だったころの思い出話も含め、家族では父に関する話は一切しません。誰かが泣いてしまうともらい泣きのようになって会話にならなくなってしまうでしょうから。自然死ではないということで、全員が傷を負ってしまっているんでしょうね。
■
--悲しみをどのように癒やしたのですか?
自分には音楽があったから、音楽にぶつけられました。ピアノのキーや、ドラムをたたくとか。音楽が無かったら、と思うとぞっとします。
ピアノを始めたのは4歳です。父がやっていましたから。父はよくジャズを弾いていましたが、僕はクラシックだった。よくクラシックのレコードを買ってくれましたよ。今思い出すと、欲しいものを買ってくれる過保護なくらい優しい父親でした。よく車にも乗せてもらいました。
精神的な傷って、自覚していなくても負っているものなんでしょうね。ある程度時間がたって普通に生活をしているつもりでも、何かのきっかけでばあっと涙が出てきたりすることがある。見えない傷と言うんでしょうか。そういう瞬間が今でもあります。
--つらい思い出を今語ろうと思ったのはなぜですか?
隠していたわけではありませんが、自分からしゃべる必要も無いと思っていました。でも、アメリカに移り住んでから日本は世界的にみて自殺の多い国だと知りました。そして日本では自殺が文化的に美化されているところがある気がして、親を失った立場からすると、そういう考え方に疑問を感じました。
自分のような気持ちを子どもたちに味わってほしくない。もしそういうこと(自殺)を考える親がいたら、もう少し考えてほしい。自分一人で生きているわけではないんです。こういう言い方をしてはいけないかもしれないけれど、自分は(自殺することで)逃げられるかもしれないけれど、残された人は永遠に傷を背負って生きていかなければならない。自殺した人には焦点が当たるが、周りの人たちの苦しみって意外と見過ごされている気がします。
少しでも(自殺)防止の力になれればと考え、自分の体験を話そうと思うようになりました。こうやってしゃべることで自分も(父親の自殺に)正面から向き合おうとしているのかもしれませんね。
■
--基金を設立すると聞きました。
今、親を亡くした子どもたちを支援する基金をつくろうとしています。ずっと前から思っていて、今年から本格的に活動を始めました。日本とアメリカでそれぞれ設立する予定で、NPO(非営利組織)を作るのに必要な手続きを勉強しながら少しずつ進めています。本業に無理がないように一歩一歩進めたい。そうしないと逆に長続きしない気がします。でも、年内には両方とも設立するつもりです。
今はコンサートの収益の一部を親のいない子どもの施設に寄付したり、将来的にはチャリティーコンサートを開きたいです。香港での1月の公演では、遺児の方たちを招待しました。5月2、3日の東京ドームでのX JAPANのコンサートにも、それぞれ約200人を招待したんです。
基金とは別に、アメリカでミュージックセラピーの勉強もしています。お医者さんと一緒に、音楽が脳の活動にどんな影響を与えるかをMRI(磁気共鳴画像化装置)を使って調べたりしています。僕自身、音楽を作りながら傷を癒やして生きてこられた。音楽が命の恩人なんです。音楽の力を信じています。
--お父さんのために作った曲はありますか?
例えば「Tears」は父を思いながら作りました。でもあまり露骨な表現はしていないし、曲の意味は聴く人がそれぞれに想像してくれればいいと思っています。
--25日に半生をつづった「YOSHIKI/佳樹」(角川書店)が出版されました。
10年にわたりノンフィクションライターの小松成美さんから取材を受けました。生い立ちから父の自殺、そしてHIDE(X JAPANのギタリスト、98年に急逝)についても、初めて本音でじっくり語りました。自分をさらけ出すようでなんだか恥ずかしくて、自分で読み返しても泣いてしまいそうなくらいです。
--最後に、同じような体験をした遺児にメッセージを。
僕らは(親の死を)経験してしまったから、命の尊さとはかなさを両方感じていると思うんです。自分自身、まだその傷を克服したわけではないので何とも言えませんけれど、一緒に頑張っていきましょう、と伝えたい。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090528dde012040020000c.html
特集ワイド:YOSHIKI「父の自殺」公表にこめた「繰り返さないで」
◇今も消えない傷
人気ロックバンド「X JAPAN」のリーダー、YOSHIKIさんが、幼少期の父親の自殺について語った。子どもたちに自分と同じような傷を負ってほしくないという思いからだ。今年3月に自殺の事実を公表した。年内に遺児のための基金を設立し、音楽を通じて自殺防止を訴える。【聞き手・山寺香】
--お父さんが亡くなった時のことを覚えていますか?
僕が10歳の時でした。実家は呉服屋で、父は母親と一緒に店を経営していました。夏休みで器楽クラブの練習から帰ると、父が亡くなっていました。僕は泣きながら大暴れしたみたいです。それでみんなに押さえつけられた。
精神的に閉ざしてしまおうとするのでしょうか。その時のことはあいまいにしか覚えていません。前後の記憶はあるけれど、父親を亡くした年は記憶が半分飛んでいる。
--どんな気持ちでした?
今でもあまり思い出したくないんです。不思議ですね、記憶って。時と共に忘れていく記憶と、そのまま厳粛さを保って当時のまま変わらない記憶がある。父の記憶は後者です。当時も今も全然変わらない。悲しみも薄れず、多分一生消えないんでしょうね。
家族の中でもそのことについてしゃべってはいけないという暗黙の了解みたいなものがあった。自分や弟は心臓マヒで亡くなったと聞かされました。僕はもう10歳だったからなんとなく違うと分かりましたが、弟はまだ6歳だったので20歳くらいまで知らなかったようです。
元気だったころの思い出話も含め、家族では父に関する話は一切しません。誰かが泣いてしまうともらい泣きのようになって会話にならなくなってしまうでしょうから。自然死ではないということで、全員が傷を負ってしまっているんでしょうね。
■
--悲しみをどのように癒やしたのですか?
自分には音楽があったから、音楽にぶつけられました。ピアノのキーや、ドラムをたたくとか。音楽が無かったら、と思うとぞっとします。
ピアノを始めたのは4歳です。父がやっていましたから。父はよくジャズを弾いていましたが、僕はクラシックだった。よくクラシックのレコードを買ってくれましたよ。今思い出すと、欲しいものを買ってくれる過保護なくらい優しい父親でした。よく車にも乗せてもらいました。
精神的な傷って、自覚していなくても負っているものなんでしょうね。ある程度時間がたって普通に生活をしているつもりでも、何かのきっかけでばあっと涙が出てきたりすることがある。見えない傷と言うんでしょうか。そういう瞬間が今でもあります。
--つらい思い出を今語ろうと思ったのはなぜですか?
隠していたわけではありませんが、自分からしゃべる必要も無いと思っていました。でも、アメリカに移り住んでから日本は世界的にみて自殺の多い国だと知りました。そして日本では自殺が文化的に美化されているところがある気がして、親を失った立場からすると、そういう考え方に疑問を感じました。
自分のような気持ちを子どもたちに味わってほしくない。もしそういうこと(自殺)を考える親がいたら、もう少し考えてほしい。自分一人で生きているわけではないんです。こういう言い方をしてはいけないかもしれないけれど、自分は(自殺することで)逃げられるかもしれないけれど、残された人は永遠に傷を背負って生きていかなければならない。自殺した人には焦点が当たるが、周りの人たちの苦しみって意外と見過ごされている気がします。
少しでも(自殺)防止の力になれればと考え、自分の体験を話そうと思うようになりました。こうやってしゃべることで自分も(父親の自殺に)正面から向き合おうとしているのかもしれませんね。
■
--基金を設立すると聞きました。
今、親を亡くした子どもたちを支援する基金をつくろうとしています。ずっと前から思っていて、今年から本格的に活動を始めました。日本とアメリカでそれぞれ設立する予定で、NPO(非営利組織)を作るのに必要な手続きを勉強しながら少しずつ進めています。本業に無理がないように一歩一歩進めたい。そうしないと逆に長続きしない気がします。でも、年内には両方とも設立するつもりです。
今はコンサートの収益の一部を親のいない子どもの施設に寄付したり、将来的にはチャリティーコンサートを開きたいです。香港での1月の公演では、遺児の方たちを招待しました。5月2、3日の東京ドームでのX JAPANのコンサートにも、それぞれ約200人を招待したんです。
基金とは別に、アメリカでミュージックセラピーの勉強もしています。お医者さんと一緒に、音楽が脳の活動にどんな影響を与えるかをMRI(磁気共鳴画像化装置)を使って調べたりしています。僕自身、音楽を作りながら傷を癒やして生きてこられた。音楽が命の恩人なんです。音楽の力を信じています。
--お父さんのために作った曲はありますか?
例えば「Tears」は父を思いながら作りました。でもあまり露骨な表現はしていないし、曲の意味は聴く人がそれぞれに想像してくれればいいと思っています。
--25日に半生をつづった「YOSHIKI/佳樹」(角川書店)が出版されました。
10年にわたりノンフィクションライターの小松成美さんから取材を受けました。生い立ちから父の自殺、そしてHIDE(X JAPANのギタリスト、98年に急逝)についても、初めて本音でじっくり語りました。自分をさらけ出すようでなんだか恥ずかしくて、自分で読み返しても泣いてしまいそうなくらいです。
--最後に、同じような体験をした遺児にメッセージを。
僕らは(親の死を)経験してしまったから、命の尊さとはかなさを両方感じていると思うんです。自分自身、まだその傷を克服したわけではないので何とも言えませんけれど、一緒に頑張っていきましょう、と伝えたい。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090528dde012040020000c.html