化物園 /  恒川光太郎

2022年09月14日 | た行の作家
 

猫どろぼう猫
窮鼠の旅
十字路の蛇
風のない夕暮れ、狐たちと
胡乱の山犬
日陰の鳥
音楽の子供たち

七編の連作短編集。
共通の登場人物は人間ではありません。ケシヨウと呼ばれている摩物。
時を超えて、犬、猫、人間等々に姿を変えて、人間社会をさすらう魔物。

このケシヨウを説明するわずか約1ページで化物園へ引き込まれます。
おそろしい魔物です、化物園。

どの物語もどんどん物語が進んでいくので、思ったよりも早く読めます。
ただ、何分おそろしいので、おもしろいおもしろいと読んでいると、やられます。
やっぱり魔物です。

私は胡乱の山犬でやられました。
かなり美形な男が人を殺め人肉を噛む…このグロいホラーに少し休憩を要しました。
でも、次の日陰の鳥から物語は方向転換します。
グロい、から せつない に 登場人物もケシヨウも、なっていきます。

いや、せつない は最初からあったのです。あったけれどそれを感じないくらいな魔物だったのです。

なぜ、こうなってしまったのか。
どこで, 間違ってしまったのか。

辿っていくと、「勘違い」に行き当たります。個人個人の思い込みが魔物を生んでいくような。
人間の業とかカルマとか。欲とか、下心とか。

それを無にして生きるリュク。
リュクに救われて、リュクに希望を見ます。

本文より

人間はいつでも、一時的な勝利を束の間味わいはするが、どのみち最後は負ける。(胡乱の山犬)

港町を徘徊する薄汚れたリュクは誰の目にも不幸の極みに見えたが、リュク自身は不幸を感じたことがない。そもそも幸福や不幸といった概念がない。己の暮らしが底辺だと思ったこともない。目に映るのは森であり砂浜であり川べりであり町であり、空であり動物である。
そこに上も下もない。
最初から家族も資産もなく、失うものがない。文字も言葉もなかったから、思想もない。国家の概念もない。






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