横山専務の闘う営業日誌

福島県の不動産屋です、42歳で大腸癌を患って健康と日常の「当たり前」に感謝。闘う不動産屋として情報発信していきます。

大腸がんとの闘い⑪「抗がん剤投与」

2022年04月14日 20時05分46秒 | 日記

主治医から術前診断ではステージⅠの見込みであったが、病理検査の結果、ステージⅡのハイリスクとの説明があり。抗がん剤(ゼロックス療法3ヶ月)をすすめられました。その日のうちに投与開始を決めました。

新型コロナウィルス(オミクロン株)の流行により投与開始が1週間遅れることとなりましたが3月31日にスタートしました。

〇XELOX(ゼロックス)療法とは

初日に点滴(エルプラット※一般名:オキサリプラチン)を投与、その日の夜から2週間朝と晩に錠剤(カペシタビン※製品名:ゼローダ)を接種する療法である。

ユーチューバー兼外科医の「パンダ校長」によると大腸がんの再発と転移のリスクを15%~20%程度下げる効果が期待できる。

〇2022年3月31日

副作用の影響で車が運転できなくなる可能性を考えていたので、妻に病院まで送迎してもらって朝から病院に入った。体重と血圧を計ってまずは血液検査、1時間待って結果が出た後に診察を受けて抗がん剤投与の最終確認。

専用の投与室に入ってテレビ備え付けのソファにて点滴の抗がん剤投与開始。

吐き気止めの錠剤⇒吐き気止めの点滴⇒抗がん剤点滴投与⇒生理食塩水投与・・・の流れでした。

エルプラット(オキサリプラチン)の点滴薬が250mlで投与されていたのですが、150mlを過ぎたあたりから左手、左腕に激痛が走り右手と顔にしびれが出始めました。

残り投与時間が40分程度だったと思うのですが、痛みはドンドンと酷くなりで油汗が出て痛みを我慢するのに歯を食いしばっていないと駄目なほどでした。

看護師さんに痛みを訴えたのですが、対処療法がなく腕を温め直すことしかできないとのことでした。

点滴終了後、気合で身体を動かしましたが・・・左手・左腕が脈を打つたびにナイフで切りつけられるような痛みが出て皮膚の表面は紙やすりか剣山で擦られているような痛みが常時起きている状況でした。左腕・左手が全く動かなくなってしまい、右手もまともに動かすことができなくなったため、妻に連絡して急いできてもらい会計と薬の受け取りなどをお願いしました。

会計前に待合室で待っている時に一緒に抗がん剤の点滴をうけた年配の男性の方が普通にスタスタと歩いている姿を見て自分とこんなにも違うのかと目を疑いました。

病院の外は気温が12度ぐらいだったと思いますが、空気に触れるだけで顔もうでもビリビリと痺れてしまい何かに触れるだけでも激痛が走りました。妻が心配して手を握ろうとしてくれましたが、激痛で振り払ってしまいました。

帰り道は車の振動でも激痛が走りかなりきつかったです。

妻の実家に震災後、同居させてもらってましたが・・・そのまま寝室に入って倒れこむように寝込みました。

その後辛かったのが「強い吐き気」と「喉のしまり」でした・・・喉のしまりについては、事前の説明で「冷たいものに反応する場合がある」とのことでしたが、常温の水にも反応して喉がしまり、喉の急激なしまりは嗚咽と吐き気を引き起こすので31日は少しのお湯しか口にできず予定していた1回目の錠剤は薬局に確認を取った上で翌日にのめれば服用する・・・という形にしました。

〇2022年4月1日・4月2日・4月3日・4月4日

4月1日は朝起きて喉のしまり具合が少し軽くなったのを確認してお粥を少したべて錠剤を予定の1回分を飲みました。点滴の副作用の強さには驚いていましたが、大抵で2日・3日でおさまると聞いていたので「我慢するしかない」と考えて寝て過ごしていました。

ところが・・・4月1日の15時頃からかなり強いめまいと吐き気が襲ってきて身体をおこしておくこと自体が困難になってしまい夕方から寝込んでしまいました。食事をとることすらままならなかったためにその晩の薬の摂取を断念・・・常時吐き気が発生しているのでゴミ箱を抱えながら寝ていました。胃が空っぽなのにも関わらず吐き気が襲ってきて胃が口から飛び出るのではないかと思いました。

2日は熱があがり脱水の症状がでていました、食事もまともに取れない状況のため薬局に再度連絡を入れて相談の上、錠剤の摂取を身体が回復するまで断念することにしました。

フラフラの状態で食事も取れない、お風呂にも入れない・・・状態で回復を待ってひたすら寝て過ごしました。トイレにすら倒れそうになりながらやっと行く始末でした。

完全に無気力になってしまいました。正直なところこのまま行ったら、衰弱して寝たきりになってしまうか、下手したら死んでしまうのではないか・・・という考えが頭によぎりました。

〇2022年4月5日

病院に相談したところ、「明らかな脱水症状がみられるため点滴の投与が必要である」との説明を受けて妻に支えてもらいながらなんとか病院に向かいました。

点滴を2本投与してもらってその後にベットで横になりながら主治医の診察を受けました。

「ここまで酷い副作用を起こすのは稀である」

「抗がん剤の投与は一時中断するしかない」

「回復を待って今後の治療をどうするか決めていきましょう」

との説明でした。

先生から「横山さんが悪いわけではないから気にしないでくださいね」と言われたのですが、複雑な心境になりました。

付き添ってくれた妻と今後のことを話合いましたが・・・先にことを考えると涙が止まりませんでした。

点滴をうけていた両隣のベットにいた患者さんの話がカーテン越しに聞こえてきたのですが、治療ができず緩和ケアを受けていることがわかりました。・・・死を目前にしている人達と一緒に時間を過ごしていることについて強い不安を感じつつ覚悟を決める時が来たのだと考えました。

〇2022年4月6日以降

点滴の投与を受けて脱水症状が改善されてから、果物を中心に少しずつ食事がとれるようになり回復してきました、4月10日になって漸く普通の食事がとれるようになり、11日から仕事に復帰することができました。

オキサリプラチンの投与で発生した冷感によるしびれと喉のしまりについては症状が軽くなってきてはいますが2週間経過した現在でも続いています。

再発が起きた場合には、肺切除、肝臓切除の手術が必要になると思われるため、それに備えて体力作りに励むとともに食事に気を使いながら過ごす毎日です。

<横山専務のコメント>

副作用がどの程度強くでるのか不安ではありました、周りには「這ってでも仕事はするから!」と断言していたにも関わらず副作用が強すぎて一発ノックアウトで寝て過ごす10日間となってしまいました。

自分の死が改めて目の前に迫ってきたことに対する気持ちの整理と今できることを精一杯する、1日1日を大切に生きようと心に誓ったところです。

抗がん剤の副作用は個人差がかなり大きく、私の場合には「投与を中止または中断せざるを得ない」程度の強いものでした。

抗がん剤は投与するほど副作用が強くなっていくため、2クール目を無理して打てば衰弱して死んでしまう可能性があることも想像ができました。また後半のクールで副作用が強くでて生活に支障がでることがあっても初回からここまで強くでるのは珍しいようです。

私は東洋医学には否定的な立場です。事前に調べた限りでは抗がん剤が最善の治療であることは頭で理解していたつもりなので、中断するしかないほど副作用が強くでたことにはショックが大きかったです。食事がとれなかったため10日間で3kg痩せました・・・手術前から合計で8kg痩せたことになります。服のサイズがLからMに代わり今持っている衣服の全てがブカブカになってしまいました。

妻に介護してもらいながらなんとかお風呂に入りましたが、その際に鏡に映った痩せた自分の身体にはガッカリというかショックを受けましたね。

<記事の最後に・・・>

アガリスクに始まり色々なものが「癌に効く」とされています。中には本当に効くものもあるでしょうが、現在の医学では手術以外の治療法で最善の治療法が抗がん剤であると思います。

自分の身体で身をもって抗がん剤の副作用の怖さを知りました、だからこそこれから化学療法を行う予定の方、迷っている方も含めて私の体験が参考になれば幸いです。

癌と闘うには死やその他の不安から目をそらさずに闘う覚悟と情報収集、そして諦めないことが重要だと感じました。1人で苦しまないでほしい、同じような想いで闘っている人がいる。そして周りに心配してくれる人がいるならその人達のために少しでも長生きをして笑って過ごしてほしい・・・そう思います。

私自身、医学の進歩で新しい治療法を確立されることを期待しつつ常に情報をあつめ治験に参加できる機会があれば率先して参加していきたいと考えています。

今回の記事はかなり長文になってしまいましたが、ともに癌で苦しんでいる方、闘っている方、悩んでいる方の参考になれば有難い限りです。今後も闘う専務として情報発信していきたいと思います。


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