●読み・書き・パソコンの日々(1)
今年の元旦、正確には昨年の10月から、一日一頁の日記帳を使い始めてもう5ヶ月が経過した。この間自室で過ごす時間は読み・書き・パソコンの日々である。本や新聞を読み、パソコンに向かい、そして愛用しているペンでノート、メモ、日記帳の記入で過ごす。一日も欠かさずこの日記帳書きが続いているのは、どうやら手書きに拘っているからのようだ。
最近、以前と比較して、手書き文章、手書きメモに時間を費やす機会が多くなったような気がする。デスクの側に設置している小型テレビを見ながらメモしたり、録画の再生画面から書き留めたりもする。一日一頁の記入欄が残り少なくなると別の随筆ノートに書き続ける。テーマもありきたりの平凡な内容が多く、文字も乱筆で他人には到底読めない。しかしパソコンのキーを叩きたくなる心境と同じで、無性に筆記したくなるのだ。
ところで、リタイア後8年経過して新たに、現役時代の仕事に関係した活動を始めた。まだ本格的ではないが、最新の科学技術、経済に関する講演会の受講の機会が出来つつある。この際、大型スクリーンに次々と展開する研究、調査の成果を手元のノート、配布資料にメモし続ける。
科学技術の講演会では、大半スクリーンを使った科学者、技術者のプレゼンテーションがあるが、リタイア後に時々参加した、妻の関係する食品・健康に関する講演会では違った。たまに壇上に準備されたホワイトボードを使った説明はあるがほとんど講話、お話である。この際も耳から入る情報をメモした。
最近、この手書きによる発想についての著書を購入した。「思考・発想にパソコンを使うな……「知」の手書きノートづくり」(増田剛己、幻冬舎新書)。読み進むに連れて「目からうろこが落ちる」思いを共有している。
今年の元旦、正確には昨年の10月から、一日一頁の日記帳を使い始めてもう5ヶ月が経過した。この間自室で過ごす時間は読み・書き・パソコンの日々である。本や新聞を読み、パソコンに向かい、そして愛用しているペンでノート、メモ、日記帳の記入で過ごす。一日も欠かさずこの日記帳書きが続いているのは、どうやら手書きに拘っているからのようだ。
最近、以前と比較して、手書き文章、手書きメモに時間を費やす機会が多くなったような気がする。デスクの側に設置している小型テレビを見ながらメモしたり、録画の再生画面から書き留めたりもする。一日一頁の記入欄が残り少なくなると別の随筆ノートに書き続ける。テーマもありきたりの平凡な内容が多く、文字も乱筆で他人には到底読めない。しかしパソコンのキーを叩きたくなる心境と同じで、無性に筆記したくなるのだ。
ところで、リタイア後8年経過して新たに、現役時代の仕事に関係した活動を始めた。まだ本格的ではないが、最新の科学技術、経済に関する講演会の受講の機会が出来つつある。この際、大型スクリーンに次々と展開する研究、調査の成果を手元のノート、配布資料にメモし続ける。
科学技術の講演会では、大半スクリーンを使った科学者、技術者のプレゼンテーションがあるが、リタイア後に時々参加した、妻の関係する食品・健康に関する講演会では違った。たまに壇上に準備されたホワイトボードを使った説明はあるがほとんど講話、お話である。この際も耳から入る情報をメモした。
最近、この手書きによる発想についての著書を購入した。「思考・発想にパソコンを使うな……「知」の手書きノートづくり」(増田剛己、幻冬舎新書)。読み進むに連れて「目からうろこが落ちる」思いを共有している。