芽育塾ブログ

宇治市五ヶ庄一里塚にある学習塾。小さな個人塾の今日をつづります。

2018年03月15日 11時48分01秒 | 学習
 春にはさまざまな変化がおきる。

 進級。進学。卒業。

 変化は希望を与えてくれる。変化はドキドキ、ワクワクする。変化がつらいときもある。

 変化は負荷を与える。ぼくたち人間に。


 いいことも、そうでないことも心の筋トレみたい。負荷をかけて強くなっていく。

 喜びも、落胆も心のストレッチみたい。伸ばしたり縮めたりすると「こり」がほぐれていく。




 各学年が4月からの勉強をスタートさせている。次の学年の先取りだ。
 5月には1学期中間テスト、6月には期末テストがある。終業式もまだなのにそんな先の話、と生徒たちは思っているかもしれない。当然だ。しかし、今しかない。5月はゴールデンウィークもある。5月6月は目の前の定期テストのことでいっはいいっぱいになり予習をすることもままならなくなる。毎年そうなんだ。できれば今のうちに1学期期末テストの範囲まで学習し終えたい。3月と4月の1か月半は、春の日差しのうららかさとは裏腹に、全力疾走をよぎなくされるかもしれない。

 今しかないんだ。





 突然だが、運命というものはあるのだろうか? 多くのひとが一度は運命について考えたことがあるのではないだろうか。そしてそれぞれが自分なりの結論を持っているのではないだろうか。
 ぼくも考えたことはある。ぼくなりの結論もある。これからそれをここに書くけれど、読まなくってもいいし、共感しなくっていい。だってあなたにはあなたの考えがある。自分の思うとおりに思うのがいい。


 運命があるかどうかはわからない。

 これがぼくの結論だ。あってもなくてもいい。本当はあったとしても、実は運命なんてなかったとしてもどちらでもかまわない。昔の人が、地球が太陽の周りを回っているのか、はたまた、太陽が地球の周りを回っているのかわからなくても幸せに暮らしていたように、ぼくにとっては運命もこれと同じことだ。

 でもぼくはこうも考えている。

 運命はあるけど、運命はない。

 もう少し詳しく言えば、運命は存在するけれど、たった1つの運命というのは存在しない、ということ。運命は自分で決めているのだと思う。生まれる前に空の上で自分で決めた。綿密に。何パターンも。例えるなら、恋愛シュミレーションゲームのように、この選択をすればこのキャラクターと親密になり、次のこの選択をすれば恋仲になれる、しかし、別のせんたくをすると不仲になってしまうが新たなキャラクターと知り合う…、そんなふうに、いくつものストーリーが設定されている。それを今、選んでいる。そう思っている。
 自分が自分のために書いた物語を自分で選びながらたどっている。自分が自分のためになるように描いたストーリーだからどうなっても自分にとっては善いことになるようになっている。好きな人との恋が実らなくても、受験がうまくいかなくても、仕事で辛い想いをしても、全部自分のためになっている。

 でも、だから、自分が選びたい運命を選択できるんだと思う。勉強しないっていう運命もあるけど、勉強を頑張るっていう運命も自分でちゃんと用意してある。スマートフォンを触り続ける日々を選択してもいいし、その時間を別のことに使ってもいい。すべて自分で選べる。



 春は変化の季節だ。嬉しいことも辛いこともある。ぼくはいろいろと考えてしまう性分なので辛いときは本当に辛い。でもそれは心の筋トレ、心のストレッチだと後になればわかる。でも、今が辛い。そんなときは、どうなろうとこれまで大丈夫だったのだからこれからもきっと大丈夫、運命は自分のためにぼくが決めた、だからどうなろうと最終的には自分のためになっている、いい方向にむかっている、そう思ったりしている。


 明日は合格発表だ。運命とかどうでもいいから、全員合格してほしい!(^-^)

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