「生物」は、種として子孫を残す事は自然現象であり、道理と言えます。子孫を残さなければ当該生物は種として途絶えるので「種の保存は生物の運命」と言えます。但し、生物の定義が「種の保存」と言えるかどうかは検証が必要です。
この話を進めるには、最も生物らしい「人間」は生物か?と云う命題を解決する必要が有ります。キリスト教では「神の計画」を摂理と言い、現在の世界(宇宙)が現存している事実からすると、今も神は現存していて「神は、生殖なしに種が保存されている(一神教なので女神は存在しない)」と言え、これは「神は生物である」可能性を示唆していますが、公理と言えるかどうかは分かりません。
創世記では、
1日目 神は天と地をつくられた。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、虚しく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてを覆っていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
2日目 神は空をつくられた。
6 神はまた言われた、「水の間に大空があって、水と水とを分けよ」。そのようになった。
7 神は大空を造って、大空の下の水と大空の上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。
4日目 神は太陽と月と星をつくられた。
5日目 神は魚と鳥をつくられた。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。
7日目 神はお休みになった。
「1日目の1」で、天と地が創られ、地に水の存在が確認できますが太陽は未だ核融合反応は起こっていなかったようです。この時の「地の水」は、固体だったようで「CO₂」の2倍程度の温暖化係数を示す「H₂O(気体)」を利用する為には「1日目の3」で「光」が現れる迄待つしかありません。熱の源である赤外線(波長が0.7μm~1000μmの電磁波)はヒトの目では見えませんが「光」の一成分です。神ならば、私が説明するまでもなく、知っているとは思いますがww
「2日目の7」で、H₂Oは地上の液体と大気の水蒸気に分かれることが出来て「3日目」以降は、H₂O(ガス)の温暖化効果を利用して植物も育つことが出来るようになりました。
ところが、太陽が創られたのは「4日目」です。つまり、神は太陽以外の光を創った事になり、これは「神の偉大さ」に敬服するしかありません。
それは兎も角、「ヒト」が生物か、或いは神の玩具(モノ)なのかは「創世記」を読んでも分からないのですが、一週間を7日にする事は「神の行為」を真似た宗教的行為と言えます。この「創世記」は神の直筆では無く、神を信ずる「教祖」の教え(神の啓示)をその信徒が書いたので、「日本の公務員」が公務中にこれに従う事は宗教の一環と言えます。つまり、公務員の日曜日の出勤に対し「休日出勤手当」を支給したり受給する事は、「宗教的行為」に当り憲法違反になりますww
これもさておき、神は自らの意志で動いている事から考えると「神は生物」である事は明らか・・・と云うよりも、これを「公理」としなければ、他の「生物」に対するインヘリタンスが出来ません。
次回は偉大な「神の存在」はさて置いて、科学的な「生物の定義」について考察します。
この話を進めるには、最も生物らしい「人間」は生物か?と云う命題を解決する必要が有ります。キリスト教では「神の計画」を摂理と言い、現在の世界(宇宙)が現存している事実からすると、今も神は現存していて「神は、生殖なしに種が保存されている(一神教なので女神は存在しない)」と言え、これは「神は生物である」可能性を示唆していますが、公理と言えるかどうかは分かりません。
創世記では、
1日目 神は天と地をつくられた。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、虚しく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてを覆っていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
2日目 神は空をつくられた。
6 神はまた言われた、「水の間に大空があって、水と水とを分けよ」。そのようになった。
7 神は大空を造って、大空の下の水と大空の上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせられた。
4日目 神は太陽と月と星をつくられた。
5日目 神は魚と鳥をつくられた。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。
7日目 神はお休みになった。
「1日目の1」で、天と地が創られ、地に水の存在が確認できますが太陽は未だ核融合反応は起こっていなかったようです。この時の「地の水」は、固体だったようで「CO₂」の2倍程度の温暖化係数を示す「H₂O(気体)」を利用する為には「1日目の3」で「光」が現れる迄待つしかありません。熱の源である赤外線(波長が0.7μm~1000μmの電磁波)はヒトの目では見えませんが「光」の一成分です。神ならば、私が説明するまでもなく、知っているとは思いますがww
「2日目の7」で、H₂Oは地上の液体と大気の水蒸気に分かれることが出来て「3日目」以降は、H₂O(ガス)の温暖化効果を利用して植物も育つことが出来るようになりました。
ところが、太陽が創られたのは「4日目」です。つまり、神は太陽以外の光を創った事になり、これは「神の偉大さ」に敬服するしかありません。
それは兎も角、「ヒト」が生物か、或いは神の玩具(モノ)なのかは「創世記」を読んでも分からないのですが、一週間を7日にする事は「神の行為」を真似た宗教的行為と言えます。この「創世記」は神の直筆では無く、神を信ずる「教祖」の教え(神の啓示)をその信徒が書いたので、「日本の公務員」が公務中にこれに従う事は宗教の一環と言えます。つまり、公務員の日曜日の出勤に対し「休日出勤手当」を支給したり受給する事は、「宗教的行為」に当り憲法違反になりますww
これもさておき、神は自らの意志で動いている事から考えると「神は生物」である事は明らか・・・と云うよりも、これを「公理」としなければ、他の「生物」に対するインヘリタンスが出来ません。
次回は偉大な「神の存在」はさて置いて、科学的な「生物の定義」について考察します。
地球も海も植物も動物、そして人間も、神(宇宙人)が創造した。と考える方が自然に思えて来ました。
TV版『新世紀エヴァンゲリオン』最終話で、『碇シンジが限りなく自由な世界に不安を覚え→線を一本引けば大地ができた→その代わりひとつ不自由になった』という話がありましたが、創世記で最初に天地ができる話と、非常に類似していました。
創世記は、例えば『赤子が周囲の世界を認識していく過程』ではないでしょうか。
人類がいない所に世界はあるのか❔
宇宙の果てに岩だけの小惑星があっても、その世界は『ある』といえるのでしょうか❔
探査機が飛ばされ『リュウグウ』と名付けられて初めて存在したのでは❔
ゆえに『最初に言葉ありき』なのです。
>>人類がいない所に世界はあるのか?<<
人類がいない所には「世界(この世とあの世の境界)」は無いと思いますが、空間の歪み(物質)は有ると思います。あとは、人間が認識すれば世界が完成します。
同時に、「世界」が無ければ人類はいないので、循環型定義を避けるには「最初に線を引いたのは神」である必要性を感じたと思います。