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オメガねこ

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「ノーベル賞」 と 「政治・経済」

2019年10月14日 | 雑感

 「工学研究」は、「かも知れない」とか「あって欲しい」との思いを、先入観を持って研究する事ではなく、「科学的」に正しいとされている事の「経済的検証」をする事です。なので、多くの「工学研究」は、その動機そのものが、その時点では「経済的」でなくてはなりません。万が一の可能性に期待する事は間違いで、結果的に間違いが判明した場合は、「改善」を必要とします。知識による「多くの科学的正しさ」の組み合わせでは、ほぼ無限の組み合わせが有るので、ここでは「知恵」が必要になります。

 「科学研究」は研究対象を細分化し、局所的な理論を構築します。それぞれの理論が正しくても、組み合わせた場合の相互作用では違う結果が出てくる可能性を研究するのが「工学研究」なので、失敗した場合は「科学研究」にフィードバックしなければなりません。当然、「合成の誤謬」も検証の対象です。

 「ノーベル経済学賞」の受賞者や元FRB副議長等の経済専門家で1994年から運営していた「ロングタームキャピタルマネジメント(LTCM)」は5年ほどで倒産しました。LTCMは「高度な金融工学」を駆使し、取引債券の僅かな金利差に巨大なレバレッジをかける手法で、最初は利益を上げましたが、取引主体である自身の売買が相場に影響する「合成の誤謬」に陥り、アジア通貨危機と共に破綻しました。

 「ノーベル賞」は、世界に対する影響度を最大の価値判断に置いている事から、「科学研究」や「工学研究」も「経済的」かどうかが重要な要素になっているとは思いますが、実際には「影響の良し悪し」を考える能力は「ノーベル財団」には無いようです。

 「世界に対する影響度」と言えば「ノーベル平和賞」も、本来は「良い影響」を考えるべきなのですが、実際には「政治的」な意図と手法が優先され、プロパガンダと化していて、「謀略としての効果」以外には、世界には殆ど影響していない事案が多いようです。元々の戦争当事者が平和的な事を言っただけとか、ノーベル委員会が知らない筈のない「密約の存在」を隠してまで「ノーベル平和賞」を与えています。とは言っても、ノルウェー人の5人が決定する権限を持っているだけなので、本来は世界が、少なくとも日本人は右往左往するまでも無い事かもしれません。

 創設者のノーベルは遺言で「平和賞は国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体に授与すべし。」としている事から、昭和憲法を起草したGHQが、その時点での「ノーベル平和賞」に最も相応しい団体だと思います。但し、朝鮮戦争が始まると、日本に再軍備を要求したのもGHQなので、これを拒否した吉田茂首相が、この時点では「平和賞」受賞者に相応しく、3回ほど候補になったそうです。

 「憲法9条にノーベル平和賞を」の社会運動をしている団体が有りますが、受賞者は「日本国民」を予定していたそうです。しかし、「ノーベル平和賞」の受賞対象は「個人や組織・団体(代表として3人以下)」なので、地域や国全体は対象外だそうです。つまり、この団体は「日本国民は組織であり、その組織の代表である9条の会の3人が受賞対象。」と理解していたと解釈でき「9条の会が日本国民を代表する」と云う、独裁主義思想の団体である事が判ります。

 これに負けない「ノーベル平和賞」のノミネート例としては、ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、があるので、珍しい事でも無いようです。

 また、「自薦の排除」の原則が有る事から、次に考え付いたのが、韓国人による「九条の会」推薦です。憲法9条と日米安保は一対になっている事から考えると「平和時に9条を守る事は、米国の利益」になる事は明らかで「経済的動機」が考えられますが、「戦時に9条を守ると、米国の負担」になる事は想像に難くなく、現在はその境界線上にあります。

いつ迄「平和賞騒動」が続くのか、見ものです。



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