オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「秀才」 と 「凡才」

2019年08月26日 | 雑感

 「知識は人をアホにする。」は武田先生の動画ですが、「知識の危険性」を良く説明していると思います。

 要約すると、学習能力(学力)の優秀な高校生が、一般に優秀と言われる大学に「学問」の為に入るのですが、高校で学んだのが「学力」ではなくて「知識」であったことが悲劇の始まりと云う事です。

 「学問」の字義は「問い方を学ぶ」事で、「学力」を持った人が「過去に得た知識の正誤を問う力」を得る事を意味します。これが本来の大学の存在意義であり、決して「外国人を、国費補助を出してまで、入学させる」事では有りません。

 「学問」を習得した人が、新しく「正しいとされる知識」を創造するのが大学院などにいる「学者」の役割で、これを実用化するのが民間企業になります。

 ところが、今の日本には「有識者」なる職業が有り、現在では通用しない過去の知識を根拠に、現在を評論します。つまり、「学問を忘れた評論家」と言ったところでしょうか。

 「有識者」は、自分の知識を根拠に意見を言いますが、その知識自体の根拠を訊くと過去の学者の有名な「理論」を、立て板に水の如く説明します。それが正しいかどうかは二の次です。一般に「理論」とは、現実社会を「仮定の条件下」に置いて、その一部を切り取った環境で成り立つモノです。「理論は事実の一部分」に過ぎません。

 報道機関は「一部を全体の如く語る」単なる「かたり」を、代弁者として「有識者」の名で重用しますが、その程度の「知識」はインターネットには、溢れかえっています。

 「秀才」でも学問を忘れた「学者」は、その知識を自分の頭の中に「腐る程貯蔵」しているせいで、新しい「知識」が入り込む余地は無いようです。一方、学校で勉強をしなかった「私の様な凡才」は、頭の中は隙間だらけなので幾らでも新しい「知識」を吸収できます。

 現在の日本は「天才」が創り出した新機軸を「凡才」が実用化する社会構造になっていて、政治経済の支配的地位を占めている「秀才」が、その果実の多くを中抜きします。これが現在の日本を停滞させている元凶と言えます。

 



3 コメント

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Unknown (原左都子)
2019-09-30 09:45:39
偶然ですが、私も「原左都子エッセイ集」初期頃のバックナンバー内に「問いを学ぶ」と題するエッセイを公開しております。
その主論とはまさに、大学とは法的にも「学問の府」であり「問いを学ぶ場」として機能するべき、等々の持論を展開した記憶があります。
「有識者」に関するご記述にも同感申し上げます。 これに関しても、我がバックナンバー内で「有識者って何なんだ!! ろくくでもない論評しか出来ない奴らを何故論客に招いているんだ?!!」云々としばしば叩いております。
最後に少しだけ反論ですが、「問いを学ぶ」ためにはあるレベルの学習能力の蓄積を要すると考えるのが我が持論です。 凡才も様々でしょうが、そのためには脳内があまりにもスカスカでは如何か?と、少しだけ懸念致します。
突然のコメントで失礼申し上げました。 また立ち寄らせ頂きます。
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Unknown (yk-soft-85)
2019-09-30 10:27:53
原さんへ。
コメ有難う御座います。

私は、学習能力は「知恵・知能」で、学習結果が「知識・常識」と、「認識」しています。

「知識・常識」は、常に更新され覆される運命にあるので、書き換えが必要になります。これを怠っているのが「利権知識人」です。

私は、利権も知識も無いので、知恵を頼りに生きています。
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Unknown (4456hs)
2019-10-01 19:04:07
それ程細かく分類する必要があるのでしょうか?
面白ければ学問に励めばよいか、と我が経験から考察しますが…
学問とてその実践こそが命との感覚も抱きますが…
もしも更なるご異論がある場合、我がブログを十分にお読み頂いた上でご反論頂けましたら幸甚です。 
少なくとも私自身は「利権知識人」なる言葉とはまったく無縁の人生を歩んでいると自負しております。
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