処置法研究室

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遺体の見方の相違

2005-03-10 08:12:47 | Weblog
 昨日の会議でも話しましたが、立場により「遺体を見る目が変わります」。
葬儀業界は遺体を見ると「儲けを考え、金を絡めて考えます」。
即ち、葬儀業界にとっては「遺体はお金」であり、葬儀業界の遺体処置には社会的意義をあまり感じません。
私は今まで年に数件ですが「司法・行政・外国政府・教育機関から依頼された犯罪被害者や災害被災者、外国人に対し無料のエンバーミングを行って来ました」。

 昨日の会議でも話しましたが、「社会的意義のない遺体処置は単なる利益行為でしかなく、社会的認知や受け入れが難しい」と考えています。
しかし、「業として遺体処置を行う以上は収益は必要です」。
問題は「方法と対象」です。
昨日の会議でも「近隣他都道府県からの無償エンバーミングの受け入れがポイント」と話しましたが、これを行う事により人件費を除き1遺体に要するエンバーミング・コスト1万円より、それ以上の効果は明らかにあり、「社会的存在意義は上昇します」。

 病院やスーパー・マーケットの様な「日常生活に不可欠な物には法令があります」。
しかし、「葬儀業には法令はありません」。
社会生活では葬儀社は必要な部分もありますが、「必ずしも日常生活に必要とは考えられていません」。
自治体では「玉野市方式」は葬儀を福祉の一環と考えているため、葬儀は行政の仕事と考えています。
社会構造や国民の意識の変化により葬儀の変貌は著しく、「セレモニー行為の縮小は明らかです」。
特に葬儀社のブローカー化が著しく、電話器1台で葬儀を施行している業者も東京には増えて来ました。

 葬儀業界では「火葬だけのプラン」を行う葬儀屋が増えていますが、これは利幅が薄いですが社員も道具も殆ど必要もなく、業者への連絡だけで葬儀が行えます。
ただし、これらのプランでは「葬儀社のプロとしての存在意義は見出せません」。
これら程度の仕事であれば「行政の福祉や民生担当でも行っています」。
私から見れば「ラーメン専門店がお客にお湯を入れるだけのカップ麺を出している」と同じです。
葬儀業界の厳しい現状は理解出来ますが、「レベルを落とすと元には戻れません」。

 今回のプロジェクトは「収益も考えていますが、社会的意義と存在を重視」しています。
利益重視から社会的意義重視の過渡期は当に過ぎていますが、最後の時期かも知れません。

 最近、私の周りで新たにベンツを買った遺体屋が増えて来ました。
決してベンツに恨みはありませんし、1,500万円のベンツに遺体屋が乗っても構いません。
しかし、「ベンツでおネーチャンの元へ通うより遺体処置に通え、ベンツを磨くヒマがあったら腕を磨けと言いたい」。
日本的には「色即是空 空即是色」、外国的には「バベルの塔 パンドラの箱」です。

コメント
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