9/1礼拝の聖書箇所はエペソ人への手紙1章でした。
そこから教えられたこと…
「愛される資格なし」で大丈夫!ということです。
仕事を探すとき、よく聞かれることは
「資格ありますか」
「経験ありますか」
小さい子がいれば
「なにかあったとき見てくれる人はいますか」などなどの
条件です。
条件にあわなければ、面接すらしてもらえないこともありますね。
結婚はどうでしょう。
「年収は?」「お年は?」「健康ですか?」
そのように条件で受け入れられたり、切り捨てられたり…という経験は日常茶飯事です。
このクセがついている私たちは
神様の前でも「救われる資格は…?」と自分の中を探したり、たりなければ 資格を得ようと、良い人にならなければ落ち着きません。
ところが
エペソ 1:7には
「私たちは、…御子(イエス)の血によるあがない、すなわち罪のゆるしを受けているのです。
これは、神の豊かな恵みによることです」
と書いてあります。
恵みとは、働いた分の給料とは違い、一方的に与えられるプレゼントです。
聖書の神様の救いは
「価値のないものがいただける救い」
だ・か・ら
「愛される資格なし!」のままで
神の子ども とされるということなのです。
それにはただ、悔い改めて、神様のプレゼントを「ありがとうございます」と
受けとるだけなのですね。
そこから教えられたこと…
「愛される資格なし」で大丈夫!ということです。
仕事を探すとき、よく聞かれることは
「資格ありますか」
「経験ありますか」
小さい子がいれば
「なにかあったとき見てくれる人はいますか」などなどの
条件です。
条件にあわなければ、面接すらしてもらえないこともありますね。
結婚はどうでしょう。
「年収は?」「お年は?」「健康ですか?」
そのように条件で受け入れられたり、切り捨てられたり…という経験は日常茶飯事です。
このクセがついている私たちは
神様の前でも「救われる資格は…?」と自分の中を探したり、たりなければ 資格を得ようと、良い人にならなければ落ち着きません。
ところが
エペソ 1:7には
「私たちは、…御子(イエス)の血によるあがない、すなわち罪のゆるしを受けているのです。
これは、神の豊かな恵みによることです」
と書いてあります。
恵みとは、働いた分の給料とは違い、一方的に与えられるプレゼントです。
聖書の神様の救いは
「価値のないものがいただける救い」
だ・か・ら
「愛される資格なし!」のままで
神の子ども とされるということなのです。
それにはただ、悔い改めて、神様のプレゼントを「ありがとうございます」と
受けとるだけなのですね。