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財団日報

月4回が目標です

日高

2008-12-13 08:08:00 | Weblog
 FMのラジオを聞くことは、ほとんどない。FMといえば怪しげな英語日本のちゃんぽん。耳から入ってきた瞬間に声色をまねて疲れてしまう。人口3~5万人程度の町のコミュニティFMにはそういう心配がないので、ドライブに出かけたときにはFMの電波が入らないかどうか探すことがあるが、それ以外はだいたいAMだ。

 北海道の民放AM局、HBCとSTVのうち、私はHBCを聞く。STVで聞くのは松山千春の番組くらい。ほかにも面白い番組はあっても、日高晤郎という人の声がラジオから流れてくる恐れがあるから、私は絶対に聞かない。実際には出演は週末だけのようだが、農薬が入っているのがごく一部でも全体が敬遠される中国産冷凍ぎょうざと同様、成分として日高晤郎を含んでいるラジオ局は、曜日を問わず嫌いなのだ。

 津軽海峡から南では、日高の知名度はほぼゼロであろう。もともとは歌手だか俳優だかを東京でしていたがパッとせず、北海道に渡ってきてラジオに出たら人気に火がつき、以来数十年にわたってSTVで「日高悟郎」の名を冠した番組が放送されている。いまは土曜日の朝から夕方にかけて、数時間の番組を持っているようだ。

 しばらく前の話になるが、週末に昼食をとりに近所の食堂に妻と入ると、日高の番組が大きな音で流れていた。日高がスタジオ内にいて、女性のリポーターが外から中継していた。リポーターの伝え方が気に入らなかったのか、日高は明らかに不機嫌。AMラジオの中継リポーターは昔からハイテンションと相場が決まっているものなのに、スタジオが相手にしないと空回りするしかない。

 そのうちに別のコーナーになり、スタジオに来たゲストとの対談が始まった。手元に用意された資料でゲストの名前が間違っていたことに日高が怒り出し、スタッフを何度もバカヤローと叱った。スタッフに対する「いじり」でリスナーを喜ばせようというのではなく、本気で怒っていた。仕事に厳しいのは結構だが、番組のなかで反省会を始めるのはリスナーに失礼だろう。

 自宅のテレビならリモコンでチャンネルを替えればいいのだが、外出先だとそうもいかない。他にも客がいたので、両耳を指をふさいで「アーウーアーウー」のも格好悪い。いたたまれなくなりながらも、妻が全部食べ終えるまで待った。この店のエビフライ定食はなかなか美味しかったが、それ以来足を運んでいない。

 以前から、日高晤郎が好きではなかった。声はいいし、教養も豊かで、しゃべりもうまい。ジョークも(狙っている年齢層が私よりもやや上だが)おもしろい。気に入らないのは、自分がその番組のためにどれだけたくさんの時間を費やしてどれだけ入念な準備しているのか、努力しているのかを、番組のなかで言ってしまうということ。結果としての番組が面白いと評価してもらうだけでは満足できず、そこまでに至る過程も評価して欲しいようなのだが、これって日本人の価値観からかけ離れていないだろうか。周囲の人間が「この人が立派な結果を残したのは、こんなに努力したからだ」と裏話を明らかにするのはありだが、自分から「私はこんなに努力していますから」と吹聴するのは、かっこいいものではない。

 ところが、ある日インターネットで、日高晤郎の番組の聴取率が5%台であることを知った。ラジオで5%といったら、テレビに換算して何%なのかは知らないが、他の人気番組はせいぜい2%台だったから、怪物クラスであることは確かだ。

 さて、少し前に休日出勤したときの話。同僚の50代の女性が事務室のラジオで日高の番組を聞いていた。私は、日高の番組がいかに不愉快なものであるのか語ったあとで、この人がファンだったらどうしようとちょっと後悔したのだが、その人は「そうそう、そうなのよ」と一通り相槌を打ったあとで、「それでも」と反論を始めた。

 この人も、時々日高の番組を聞いて嫌な感じがしていたのだが、あるとき日高を絶賛する人に出会ったのがきっかけでなんとなく聞くようになり、いつのまにか自分もすっかりファンになってしまったという。この人にとっては、傲慢さと毒舌がいいスパイスになっているようだった。

 日高の人気は知っていたが、これほどとは知らなかった。毒舌で傲慢だから人気なのか、人気があるから毒舌で傲慢なのか。おそらくは両方なんだと思う。

数学

2008-12-11 12:14:46 | Weblog
 2カ月ほど前だろうか、娘の通う高校で進路説明会があった。娘が大学を受験するまでにはまだかなりの時間があるのだが、直前になって厳しい現実を突きつけられた親がパニックに陥らないようにという学校側の配慮からか、早い時期に開くことにしたらしい。妻は用事があったので、私が代わりに行った。

 学校側からはまず、全国の大学や短大、専門学校の情報が載ったカタログのような本2冊が配られたが、説明会の開始早々、先生から「うちの学校の生徒は、その本に出ているような学校にはほとんど行かないと思います」との説明があった。開いてみると、聞いたことがないような学校ばかりだった。ちょっと軽蔑を覚えたあとで、いやうちの子がこれらの学校のうちどこかに行くのかもしれないと考え直した。

 先生の説明を聞きながら考えていたのは、うちの娘は数学をあきらめて、国、社、英の3教科に集中したほうがいいのではないかということだ。娘は数学の勉強にもかなりの時間を割いているようなのだが、簡単な計算でミスしてしまうため、たとえ解き方がわかったとしても正解にたどり着くことがほとんどない。どうせ点数が稼げないのなら、数学はできないものとあきらめて、伸びる可能性がより大きい教科に時間を振り向けたほうが効果的なのではないか。

 娘だけでなく、日本全体でたくさんの子どもや若者が算数や数学の勉強に時間を費やしている。将来、仕事で数学の知識を活用する人はもちろん、数学とまったく縁のない一生を送る人もだ。学力の低下ばかりが指摘されるが、その前に、その「学力」とやらが必要なものなのかどうか、もっと議論があってもいい。

 端的な例が円周率の「約3」。私は約3.14だと習った世代だが、高校を卒業したあとで円周率を覚えていることが役に立った記憶がない。「3」という概数さえ覚えておく必要がなかったように思う。「円周率? なにそれ?」でも、円周率が-45.91と誤解していても、半径から円周の長さや円の面積を求める機会がない限り、実生活にはなんの支障もない。

 私はある程度数学ができたほうがだが、技術者や研究者にはならなかったので、不等式や因数分解、微積分を活用する機会もない。娘がこれからの人生でこれらの知識を活用する状況も想像しにくい。もちろん数学が好きな生徒、数学が不得意でも、科学者や技術者になりたいと願う人が数学を勉強するのはいいのだが、数学をそっくり選択科目にしたほうが、中学生全体、高校生全体でみた学力上昇につながるのではないか。

 無駄な学習の典型例として、私はよく高校の英語の時間にならった「鯨が魚でないのは馬が魚でないのと同じだ (A whale is no more a fish than a horse is.)」を挙げる。これまで少なからぬ英文を読んできたつもりだが、この文型に当てはまる文章を読んだ記憶がない。日常生活で必要とされないという意味では、数学は「鯨が魚でない~」的情報のオンパレードだ。

 進路説明会では、最後に質問の時間が用意されていたので、私は「数学捨ててもいいですか」と進路指導担当の先生に尋ねるつもりだった。ところが敵もさるもの。質問コーナーの前に「伸びる子と伸び悩む子の違い」について説明しはじめた。

「数学が不得意だからといって、さっさとあきらめてしまうようなお子さん。そういうお子さんはなかなか伸びません。不得意でもねばり強くがんばる子の学力は、2年生・3年生になったときにきっと伸びてきます」

 この先生は私の疑問を先読みしていたわけではなく、おそらくあらゆる機会に親から同じような疑問をぶつけられるので、先回りしたのだろう。

 しかしうちの娘がどんなに数学に時間を費やしても、点数は伸び悩んでいる。たとえ「伸びの伸び率」が小さくても、継続していれば少しずつ目に見える「伸び」につながるようになり、やがてはテストで高い点数を得ることができるようになるのだろうか。数学が得意だったとはいえ、所詮文系レベルの微積分しか習っていない私には、正直よくわからない。

職業

2008-10-24 15:08:57 | Weblog
 仕事上の打ち合わせのため某施設に行ったところ、先方の都合でしばらく待たされることになった。ロビーの壁の大型の液晶テレビでは、日本語に吹き替えられたアメリカの通販番組が「H2Oスチームモップ」を紹介していた。

 周囲がうるさかったので音はあまり聞き取れなかったが、画面を見る限り番組の内容は毎度おなじみのパターン。まず身振りが大げさな男女の司会者がスタジオで商品の使用方法を実演、再現VTRで従来製品との違いを強調、そして「ユーザー」が商品の魅力をそれぞれの視点で語り、値段を示したあと、時間限定の特典の発表という手順だ。

 ぼんやりと画面を眺めていて気が付いた。口々に商品のすばらしさを目を輝かせて語る「ユーザー」の名前だけでなく、職業も字幕で表示されている。「経営者」「保育園経営」「イベントコーディネーター」「広報」……。「主婦」もいた。

 これまで気が付かなかっただけなのかもしれないが、過去に見たこの類の番組では、名前も職業も表示されていなかったと思う。アメリカの業者が方針を変えたのかもしれないし、日本の通販業者がアメリカで制作された通販番組の原版をもとに日本語版を作ったさい、これまでは削除していた字幕を、何か狙いがあって表示するようにしたのかもしれない。日本で作られる通販番組では、職業は出ていないと思う。

 通販番組で「ユーザー」の職業を提示することにどんな意味があるのか考えてみた。

・「主婦」よりも「イベントコーディネーター」などの肩書きを持っている人のほうが、証言の信憑性が高い(私の意見はむしろ逆だが、社会一般の受け止め方がそうなのではないかという意味)。

・職業の内容にかかわらず、社会的な立場をはっきりさせるほうが信憑性が高まる。

・この商品は仕事で忙しい女性をターゲットにしているので、働いている女性に語らせたほうが視聴者の共感を得やすい。

……といったところまで大学ノートに走り書きしているうちにようやく打ち合わせが始まった。番組に登場したフローリング専門家、「アーロン・フェラーチオーリ」なる中年のおっさんの名前を字幕で表示することにどんな狙いが込められているのか、考える時間的余裕がなかったのが残念だ。

東京

2008-10-21 12:48:08 | Weblog
 のどぼとけあたりに詰まったかのように、これまですんなりと言えた人名が出てこなくなることがある。道ですれ違った人が自分とどういう関係で、なにをしている人で、時にはどんな趣味をもっているかさえはっきりと思い出せるのに、肝心の名前が思い出せない。そういうときでも、私から「○○社の△△です」と話しかければ、相手の名前をすっかり失念していることなどおくびにも出さずに会話を成立させることができる。主語を曖昧にしたまま会話できる日本語ってすばらしい。

 芸能人や歴史上の人物など、面識はないが知識として知っている名前もよく忘れる。最近、思い出せないことを「発見」したのが、TOKIOのメンバーのうち3人だ。長瀬は、高校の同級生に「長勢」というのがいたので覚えている。国分は「こくぶ」なんだろうか、「こくぶん」なんだろうか、と疑問に感じた経験が幸いして、すんなりと思い出せた。問題は、東南アジア系の顔をした奴と、ぽっちゃり型と、「リーダー」だ。

 この3人は、これまでに強く意識することがなかった。テレビのなかで歌ったりしゃべったりしているのをぼんやりと眺めたことはあっても、脳裏の奥まったところまで入ってきたわけではない。10年前なら、細い記憶の糸をたどって印象の薄い人物の名前も思い出せたはずなのだが、いまでは糸がすぐ切れるようになってしまい、なかなかたどりつくことができないでいる。

 芸能人や歴史上の人物の場合、道ですれ違ったり、会合で近くのテーブルに坐ることがないので、思い出せなくても全然困らない。インターネットで「TOKIO 東南アジア系 名前」を検索すれば「TOKIOの東南アジアっぽい顔をした人の名前はなんでしたっけ?」という表題のQ&Aサイトのページがいくつも表示され、そこには正解も書いてあるはずだが、私にとっては周囲からの助けを借りず、思い出せない名前をなんとかして独力で思い出すことが、一種の娯楽になっている。

 頭のなかで「あ」から順番にカードをめくる。東南アジア系の顔を思い浮かべながら「あいだ? あいはら? あべ?」。該当する名前がなかったら、「い」へ。「いいだ? いいの? いのうえ?」。車を運転しながらカードをめくり続ければ、目的地に着くころには「わ」まで一通り検索が終わっている。

 実は、このような脳内カード検索ですぐに名前を思い出すことはほとんどないのだが、記憶中枢が活性化されるのか、検索をやめたあとでパッと名前が思い浮かぶことがある。今朝、出勤の途中にリーダーの名前が「城島」であることが、「濁音のじょう【じ】まなのか、清音のじょう【し】まなんだろうか」とかつて疑問に感じた経験とともに思い出された。

 以前、「キャメロン・ディアス」という名前も忘れてしまったことがあり、やはりカード検索した翌日か翌々日に、突然浮かんできた。

 難関だったのが「福山雅治」だ。車を運転し、曲名表示のない安物のMP3プレイヤーで1時間おきにその歌声を聞きながら、「あ」から「わ」へと、そして再び「あ」から、何度も検索を繰り返した。「福」でピンときたが、その次が「島」なのか「田」なのか「井」なのか定かでない。そこで2文字目でも検索を始め、ようやく「山」でピンポンが鳴った。「福山」まで出れば、あとは勢いで「雅治」も出てくる。

 それはたしか、一昨年の夏、私用で稚内の少し南まで車で向かい、到着して、帰途につき、音威子府あたりに達したころだった。思い出すまでの走行距離はざっと400㌔。だから仮に3日の休みをもらって、車を運転して函館に行き、フェリーで青森まで下り、さらに高速道路で東京まで行けるなら、TOKIOの残り2人も思い出す自信がある。

 突然、別の疑問が浮かんできた。「あ、国分って、V6?」

声楽

2008-08-29 09:04:17 | Weblog
 知人からチケットをもらって、オペラユニット「レジェンド」のコンサートに行った。

公式サイト:http://legend.jp.org/

 「これまでのオペラ界にはない、新しくてかっこいい、そして面白いことをやりたい」と2005年夏、リーダーの吉田知明を中心に始動したオペラ歌手5人によるユニット。全員が国立音大出身で、“友情”という絆で結ばれたLEGENDが伝えるテーマは「愛…そして平和」。

 ……と、公式サイトには書いてあるが、実際に公演に行ってみた私の感想は、

「これはオバサンに受けそうだ」

 オバサンの若い男欲求は年ごとに増していると思うのだ。ヨン様、氷川きよし……。しかしコテコテの韓国ドラマや演歌に熱中するのは格好が悪い。本格的なクラシックなら……。「おはかの前」の歌でクラシックに興味を持ったオバサンが、次のスターを求めていることも好材料だ。

 では実際の公演内容が本格的なクラシックだったかというと、いい意味で、必ずしもそうではなかった。第一部こそクラシックの声楽をよく知らない私でも知っているような名曲が次々と出てきたが、第二部は細川たかし新宿コマ劇場公演かと思うようなコント仕立て。メンバー5人がホストに扮して歌ったり踊ったりすると、おそらく会場の7割を占めていたオバサンがたは大喜びであった。

 なお、5人のなかではステージの一番左に立っている海坊主みたいな人が一番歌がうまいと、うちの妻は言ってました。

選考

2008-08-27 19:04:04 | Weblog
 北京五輪のソフトボールでは、日本代表全員に金メダルのご褒美として1人300万円の報奨金が与えられたという。神様仏様および稲尾様の領域に達した上野投手はもちろんのこと、レギュラーではあるがそれほどの活躍はしなかった選手、控えだった選手もすべて同じ扱いだというが、これは正しい。

 世間の注目は上野にばかり集中している。たまたま観たテレビ番組では上野が「スカートを1枚も持っていない」と照れながら話していた。ほかにも、どう見てもスカートを持っていなさそうなソフトボール選手がたくさんいるが、テレビ局が取材に行くのは上野だけだ。せめて報奨金くらい同じ扱いにしなければ、ほかの選手はふてくされてしまう。

 団体競技では建前上、ポジションがどこでもレギュラーでも控えでも選手は平等でなければならない。外野にだって、勝敗を左右する重要な状況で難しいボールが飛んでくるかもしれない。試合中にレギュラーがケガをすれば、控え選手が代わりに能力を100%発揮しなければならない。勝敗が決まったあと、活躍した選手とそうでない選手の注目のされ方に差が出るのはやむをえないが、制度のうえではどの選手も平等というのが大前提だ。

 会社をはじめとする組織も同じ。開発部門が花形の企業があったとしても、生産部門がなければモノが作れないし、営業部門がなければ売れない。総務部門がなければ企業全体の運営ができない。仕事の内容に違いはあったとしても、それぞれの仕事が組織全体の運営に欠かせないという点では何ら差がない。少なくとも建前上はそうだ。

 前置きが長くなったが、電卓に平方根キー(「√」)がなぜ必要なのか、わからない。私は5年ほど前からダイソーで買った105円の安物を使っているが、それでもしっかり平方根キーはついている。数字、小数点、四則演算、クリアー、メモリー、%などと並んで、どんな安物の電卓にも備わっている「レギュラー選手」のひとつが平方根キーだ。

 電卓に並ぶ数々のキーから花形プレーヤーを選ぶとすれば、「+」や「=」だろうか。これらの機能キーを使う以前に、数値を入力するための「0」~「9」、小数点も欠かせない。新たな計算を始める前に必ず押す「C」や、数字を間違えたときに入力をやり直す「CE」も重要だ。金銭の計算を頻繁に行う人にとっては、「%」やメモリー関連のキーも重宝しているのではないだろうか。

 平方根だけは異色の存在だ。通常の電卓で(たとえ末尾が切り捨てられているとしても)無理数をはじき出すのは平方根キーだけ。「1」「÷」「7」「=」でも中途半端な数字が出てくるが、これは循環小数。液晶の表示桁数にゆとりがあればどこまでも循環しない数字の羅列が続くことのある「√」とは根本的に性質が異なる。

 平方根がどういうものなのかは、学校を卒業して何十年も経った人でも覚えている。しかしその平方根を日常生活で使う人は、ごくごく限られている。平方根と聞いて私が思い出すのはピタゴラスの定理だが、たとえば不動産会社が土地を探している人に有望な物件の間口、奥行き、面積を知らせるのは当然としても、「参考までにお伝えしておきますと対角線の長さは20.1246メートルになります」とは言わないだろう。文系の仕事で平方根が必要になる状況が、ちょっと思い浮かばない。過去5年間、間違って押してしまったときを除けば、私が「√」を押したことは一度もないと思う。飲み代の分担方法を平方根も交えて計算するようなややこしい集まりはおそらくないし、そんな集まりが存続するとは思えない。

 もちろん技術者なら電卓で平方根を求める機会が多いだろうが、数値を扱う技術者なら立方根や対数やサインコサインタンジェントも必要なはず。つまり、平方根はこれらの関数と同様、関数電卓が備えていればいい機能だ。ダイソーの105円電卓には到底必要ない。にもかかわらず、世の中のありとあらゆる電卓で平方根が計算できるのはなぜなのか。

 想像するに、電卓で平方根を計算する回路を発明したメーカーが「√」ボタンを電卓に載せて、ライバルよりも一歩進んでいることをアピールし、すぐに業界他社がこぞって追随したのではないだろうか。平方根が計算できるようになり、電卓は見かけ上、無理数の時代に突入した。しかし実際に無理数を扱うユーザーは少数派なので、ちょっと足を踏み入れただけで十分。平方根のほか立方根、三角関数、対数などを本格的に活用するユーザーには関数電卓で対応し、通常の電卓には販売上の配慮から、時代遅れでないことを示すために平方根キーが残った……。

 スポーツ全般について言うなら、日本代表の選考が実力本位ではなく、人気やマーケティングなどさまざまな思惑の下で行われ、外部には理解できない結果に落ち着くことがあるようだ。だとすれば、電卓に平方根キーが載っていることも、割り切れないものが残るとはいえ、理解できないことではない。まあ、以上は推論に基づく考えであり、世間の平方根マニアを侮辱するつもりはまったくないけれど。

懸賞

2008-08-24 20:08:00 | Weblog
 外での仕事中にノドが乾いて、自販機で「おーいお茶」を買ったら、ボトルの「肩」に自販機限定拡販キャンペーンの応募シールが貼ってあった。

http://08s.itoencp.jp/

 私は宝くじのロト6やサッカーくじのBIGをときどき買うが、懸賞は応募した記憶がない。小学校に上がる前、母に頼んで子供雑誌の読者向けプレゼントに応募してもらったのだが、それからしばらくは誰かが玄関のチャイムを押すたびに、郵便屋さんが景品のおもちゃを届けてくれたのかもしれないとの期待を裏切られ続けた。以来40年近く経ったいまも、そのおもちゃは届いていない。

 そんな私が、伊藤園のキャンペーンには挑戦する気になっている。おーいお茶やその姉妹品をよく飲むし、それ以上に、考えれば考えるほど応募する人が少なく、当選確率が高いように思えるからだ。1等のソニーブルーレイDVDレコーダーは手に入ったも同然。テレビの下に入っているVHSのビデオはもう使っていないから捨ててしまい、空いたスペースにブルーレイを入れることにする。ビデオは燃えないゴミとしては捨てられないし、中古品屋が引き取ってくれそうな品でもないので、どうすれば処分できるのか市環境部のホームページで調べてみよう……。

 さて、キャンペーンの応募者が少ないだろうという予想の根拠は、まず第一に、自販機で1本飲料を買うごとに1ポイントを貯めて、ブルーレイが当たる可能性が出てくる35ポイントまで増やすにはかなり根気ということ。自販機で飲料を買うのは散歩や野外での仕事のさいにのどが渇いたから、つまり突発的なニーズが生じたためであり、長期的に伊藤園製品を買いつづけてキャンペーンに応募する行動にはつながりにくい。

 第2に、ポイント対象となる6種類の飲料の顔ぶれだ。「おーいお茶」「おーいお茶濃い味」「天然ミネラルむぎ茶」「天然水で割った300%のビタミン」「パワーハイポトニック」(スポーツ飲料)「エビアン」はいずれも健康志向の低カロリー飲料。ブルーレイDVDレコーダーに対する物欲や、数千円の投資で数万円の商品を手に入れてやろうという狡猾な心理を感じないのだ。これが砂糖たっぷりのコカコーラや濃厚なコーヒー、あるいはドデカミンなら、私は潔くあきらめる。

 第3に、ポイント対象が自販機での購入に限定されているという点。たとえば500mlペットボトル入りのおーいお茶は自販機で150円だが、スーパーなら99円や98円で売っている。まったく同じ商品を、キャンペーンに応募するためだけに50%も割高な価格で購入することに抵抗を感じない消費者がいるだろうか。

 応募するのが大変で、ユーザーの性向から外れていて、応募すれば割高になる。こんな三重苦のなかで、メーカーのしかけたわなにまんまと引っかかり、「私だけには当たるはずだ」と信じて、欲深そうな笑いを浮かべ、自販機のボタンを押しつづける消費者は、全国的にみてもそう多くないはず。見方を変えれば、分母が小さければ小さいほど、当選確率は高まることになる。

 以上のような分析結果を妻に話したところ、「ばかげている。そんなに都合よく物事が進むわけがない、絶対に当たらない」とバッサリ切り捨てられ、一段と自信が深まった。

昆布

2008-08-19 07:41:11 | Weblog
 大麻を吸った容疑で逮捕されたロシア人の現役力士が、「六本木で外国人から買った」と供述しているという。私は大麻もタバコも吸わないが、昔、外国で会った大麻常習者の日本人は、警察につかまったら「六本木で外国人から買った」と説明して芋づる式の逮捕を防ぐのが仲間内のしきたりになっていると言っていた。ロシア人力士の財布から大麻を混ぜたタバコが見つかったのは6月。それから2ヶ月間、警察は入手先を問い詰めたが、力士の口が硬かったので逮捕に至ったのかもしれない。

 ニュースを見ていたら、おそらく事前に撮影された間垣部屋前の映像が流れた。3階か4階の窓から、黒っぽいまわしが垂れ下がっていた。洗濯したまわしを干しているのだろう。長さといい幅といい、洗い終わったあとのしわのより具合といい、まるで利尻島の昆布のようだった。相撲部屋で利尻昆布を天日干しにするのは、まぎらわしく危険なのでやめたほうがよさそうだ。今朝の生中継ではまわしは片付けられていたので、日本昆布普及促進連絡協議会から抗議が来たのかもしれない。

二輪

2008-01-21 19:50:20 | Weblog
 消えてしまったものはたくさんある。コカコーラの販促グッズだったバンバンボール。レーザーディスクのプレーヤー、派手なウィンカーのついた自転車……。ここで列挙したものは、消えたと思ったらどこかで再び見つけたり、ラーメン屋での待ち時間に開いた週刊誌で記事を読んだりして、記憶が復活したものなのだ。ほかに無数の「消えてしまったもの」が、記憶からも消えてしまったのだろう。

 バンバンボールとは、シャモジのようなラケットにゴムひもをつけて、その先端にスポンジ製のボールを固定したおもちゃ。手首でシャモジを動かしてボールを打つと、ボールが飛んでいき、ゴムにひっぱられて戻ってきて、再びシャモジで打つことができる。この繰り返し。慣れてくると固有のリズムで短時間のうちに何度も打ったり、いろんな技を使うことができるようになる。

 コカコーラの販促品といえばなんといってもヨーヨーだ。バンバンボールは、その後継品だったのだと思うが、ヨーヨーブームに貢献した外国人の「チャンピオン」がバンバンボールについては(少なくとも私の小学校の近くにある駄菓子屋には)派遣されなかったことが影響したのか、ブームになることなく消えてしまった。

 バンバンボールは、ほかの名称でもっと前から存在したのだと思うが、私がその存在を知ったのはたしか小学3年生のころだったと思う。朝、学校に行ったら、2、3人の男の子が教室のベランダで見せびらかしながら遊んでいた。が、流行らなかったため、2度と見かけることはなかった。ただテレビのCMで流れていた「バンバンボールだバンバンバンバン」という歌だけが記憶に残った。

 二度目の目撃は大学2年か3年のころ。当時私は、建築物の築年数と老朽化の状況を調べるアルバイトをしていた。いつもは都心部や足立区一帯が仕事場だったのだが、一時期、八王子の奥に毎朝通った。調査のために入った家の子供部屋の机の上に、バンバンボールがあった。私は年配の正社員と組んでいたが、おそらく目を輝かせて、その人に「バンバンボールがありましたよ」と報告してしまったのではないかと思う。東京の流行には引け目を感じていたが、このときばかりは「八王子になら勝てる」と思った。

 それから20年以上がたち、バンバンボールのことはそろそろ忘れてもいい頃なのだが、思い出してしまったのは先日テレビで久しぶりに「バンバンボールだバンバンバンバン」のメロディを耳にしてしまったから。これは堺正章らスパイダースの曲の替え歌だったということを初めて知った。当時の小学生なら、この原曲は知らないはず。ということはバンバンボールは意外と高校生や大学生をターゲットにした販促品だったのだろうか。

 思い出したといえば、先日、アジア室内大会というスポーツ大会があって、その報道のなかで「サイクルサッカー」というマイナー競技が紹介されていた。その名の通り、自転車に乗ったままプレーするサッカーのことだ。

 正確にいつごろだったのかは思い出せないが、サイクルサッカーをテレビで見たことがある。土居まさるの「TVジョッキー」だったかもしれないし、同じく土居まさるの「本物は誰だ」だったかもしれない。当時もマイナー競技として紹介されていたのは確かだ。

 その後、おそらく30年にわたって、サイクルサッカーのことは一度も見たことも聞いたこともなかった。その競技の特異性と、まるで蒸発してしまったかのような音沙汰のなさが、逆に印象的だった。このため私の頭のなかでは、忽然と姿を消したものの象徴がサイクルサッカーになっていた。

 サイクルサッカーが新聞に写真つきで紹介されているのを見たときには驚いた。アジア室内スポーツ大会という好事家アスリートの祭典で日本人選手が優勝だか入賞を果たしたらしいのだ。メジャーな競技に比べてあまりにもお粗末な練習環境に耐えながら、必死で練習している選手の話が紹介されていた。

 この大会と関係があるかどうかわからないのだが、数日後の朝日新聞で、東京工業大学の「サイクルサッカー班」が取り上げられていた。記事によればドイツに遠征する熱の入れようだが、選手は皆、大学に入ってから競技をはじめるので、ドイツの中学生チームと互角くらいのレベルらしい。ということは、サイクルサッカーは国際的な競技ということになる。

 自転車に乗らない普通のサッカーの歴史を振り返ると、かならず「不遇の時代」「冬の時代」という言葉が出てくる。かつてオリンピックで金メダルをとったのに、いまではオリンピック参加もままならない男子バレーが冬の時代まっただなかということになるらしい。しかし私にとってのサイクルサッカーはもっとすごい。冬の時代というより、シベリアの永久凍土のなかで30年以上にわたり眠っていた選手が、氷解と同時にペダルを漕ぎだしたような印象だ。

 私にはよくわからないのだが、サッカーの魅力を「本当なら自由に使いたい手をあえて使えないことにしたストイックさ」と表現した文章を読んだことがある。およそボールを蹴ったりパスしたりするのに向いていない自転車をあえて使うサイクルサッカーのストイックさは、本家サッカー以上だろう。「しばり」を好むサイクルサッカー選手にとっては、知名度が低く選手層も薄いという現状も、むしろ魅力的なのではないだろうか。


落下

2008-01-20 21:33:17 | Weblog
 中古品の店が好きなのだが、パソコン、MDラジカセ、ワープロ、MP3プレイヤーなど、ほしいものを一通り購入してしまい、買うべきものもないのに物欲しそうな顔で売場をウロウロするのもなんだかわびしくて、足が遠のいていた。

 先週、娘を塾に迎えに行くまでに30分ほど空き時間があったので、塾の近くにある中古品屋に入ってみた。いかにも10代、20代向けといった店構えで、中には派手な古着やゲームやスケボーが並んでいるかと思ったのだが、実際には家電やテレビ・ビデオも多く、ほかの店と大して変わらなかった。ということは、興味のある商品はほとんど購入済みだ。残念。

 店の奥にあるファミコンの互換機に目が止まった。モニターには、テトリスが流行ったあとで任天堂から売り出されたドクターマリオのデモが映っている。1990年ごろだと思うのだが、このドクターマリオにはかなりはまった。私が過去の人生のなかで脳からα波が出ていると実感できたのは、インベーダーとドクターマリオに集中していた瞬間だけだ。

 思わずコントローラを手にして、2~3回遊んだら、またほしくなった。値段が書かれていなかったので、レジに行って店員に尋ねた。店員はファミコンを持ち上げたりしてしばらく調べていたが、ふりかえって「これは備品で、売り物じゃありません」と言った。では、この店で買うものはない。

 翌日、DVDを返しに行った店の中古ゲームソフトコーナーで、ゲームキューブ用のドクターマリオを見つけた。1480円。すぐに買って帰り、ゲームキューブを引き出しから出してテレビに接続し、電源を入れて遊んだ。夕方になり、暗い茶の間で遊んでいると電話がかかってきた。画面から目を話さないまま電話に出ると外出中の妻。出掛ける約束をして切った。帰ってきた妻は、テレビ画面に久しぶりのドクターマリオを見つけると、黙ってもうひとつのコントローラーを接続した。外出は中止し、それから2時間ほど対戦した。

 最初はなかなか操作に慣れず、へんなところでレバーをへんな方向に倒したりしていたが、徐々に十数年前の感覚が戻ってきた。その日の夜、布団に入って目をつぶると、上から赤、青、黄色のカプセルが落ちてきた。これも昔と同じ感覚だ。

 数日後、ドクターマリオの話を同僚にしたが、ゲームが話題になることなど全然ない職場なので、ほとんど通じなかった。ただ、うちの会社に出入りしている業者のEさんだけが反応した。聞けばEさんは、私と同じころに最初のドクターマリオを買い、それから現在までずっと遊び続けているという。Eさんは個人事業主なので、仕事場にゲーム機があり、ちょっとした待ち時間をドクターマリオでつぶしているらしい。

 Eさんにどれくらいの面までクリアーしたことがあるか聞いてみたら、65面という驚異的な数字が返ってきた。ドクターマリオは20面が最高のレベルで、それ以降は同じレベルの面が繰り返される。65面なら、最高レベルに達してから45面、そのレベルをクリアしつづけたことになる。「25面まで行ったことがあるんですよ」と言ってEさんをビックリさせるという私の目論見はすっかり狂ってしまった。

 私の印象は、「Eさん、すごい」ではなく、「よく社会人として生きていけるな」だった。私の経験では、レベル20以上では極度に集中していないとすぐゲームオーバーになってしまう。あの集中力を45面にわたって維持するとは。私がそんなことしたら、目を開けていても空から3色のカプセルが落ちてくるのが見えるようになってしまう。

 よく聞いてみると、Eさんはスピードを3段階のうちの真ん中にしていた。65面というのはすごい数字ではあるけれど、私が遊んでいたのは高速モードとは、かなり差がある。それなら65面まで行った男が真っ白い灰にならなかったのもうなずける。

 なお、私はドクターマリオを遊ぶときは決まって音楽をオフにしている。あの耳に残る単純なメロディが、15分も聞いていると腹立たしくなってきて、集中力の妨げになるためだ。Eさんは今日も正常な精神状態で私の会社に来ていたので、65面にわたって遊ぶ間、やはり音楽をオフにしていたとしか思えない。