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財団日報

月4回が目標です

拾得

2009-06-27 16:46:22 | Weblog
 公園を散歩していて、足が疲れたので築山の頂上にあるベンチに腰掛けたら、傍らのテーブルの上にゲームソフトがあった。透明のプラスチックケースのなかに、マリオなんとかが2つ、ケロロなんとかがひとつ、あとは聞いたことのないソフトが数枚入っていた。名前や住所などは書かれていない。公園で遊んでいた近所の子どもが忘れていったのか。正直に言うとソフトを見つけた瞬間、「ラッキー」という感情が湧いたが、ゲームソフトはティッシュや書道の半紙と同じ消耗品と教えられて育った富豪の子でもない限り、これらのソフトは持ち主にとってかけがえのない宝物のはず。いまごろ人生で5本の指に入るほど深く落ち込んでいるに違いない。

 そこで交番に届けることにした。交番の在り処というのは意外と意識していないもので、その公園の最寄りの交番がどこにあるのかがわからない。しばらく車を運転して、国道に面した交番を見つけた。公園からは1㌔ほど離れてしまい、しかも途中の道路は大半が鉄道で分断されているので、直線距離以上の隔たりがある。これではまるで持ち主が落し物にたどり着くのを故意に邪魔しているようだ思いつつも、交番探しに時間を費やしているわけにはいかない。

 中に入ると、「交通指導員」という胸章をつけた60代らしき男性が、交番の奥のほうから出てきた。本物の「お巡りさん」の留守役を務める警察OBかなにかなのだろう。私が「落し物を拾ったんですけど」と言うと、手慣れた様子で背後のスチールロッカーを開けて、ファイルを2冊取り出し、机の上に広げた。

 交通指導員は私の名前、住所、拾った時間と場所を尋ね、それを丁寧に、見間違える恐れのないきれいな字で書類に記録した。私も仕事でメモを取るさいにこれくらいの時間的余裕が与えられれば、後日解読に苦労することもないだろうと、貧乏ゆすりを我慢しながら思った。机の上に私が置いたゲームソフトを見つめながら、交通指導員は「これは何ですかね」と困った表情を浮かべた。「異星人が地球人をコントロールするためにコメカミにインプラントするためのチップですよ」と私が言えばそのまま記録したかもしれないが、持ち主の少年が色眼鏡で見られるのも気の毒なので、「携帯ゲーム機のソフトでしょう」と正直に答えた。

 交番に入ったときから気になっていたことを質問してみた。「持ち主はこの交番まで来ないと、落し物を取り戻せないんですか?」

 「いえ、データは本署のほうで全部管理するので、今日から3ヶ月のうちに持ち主が現れれば、交番でも本署でも、何をどこで落としたさえ届け出てくれれば、落し物を引き渡せることになっています。それで、その場合にあなたの名前と住所を教えてもいいですか?」

 持ち主の小学生から「おじさんありがとう。この恩は一生忘れないよ。お礼に僕が大好きなケロロのゲーム、受け取ってくれるかな?」と差し出され、「いやあ、偶然だけど、おじさんの娘もこのゲーム機を持っているんだ。でも飽きちゃったらしくて本棚でほこりをかぶっているんだ。娘は勉強で忙しいみたいだし、かといってこのまま使わないのもねぇ」と受け取るのも気が引けるので、教えないでくださいと答えた。

 「では、3ヶ月間のうちに持ち主が現れなければ、これはあなたのものになりますが、その権利を放棄しますか?」

 持ち主が現れず、拾った人も権利を放棄した遺失物がオークションにかけられて益金が孤児院に寄付されたといった美談を、少なくともこのまちでは聞いた記憶がない。迷わず「放棄しません」と答えた。

 交通指導員は本署らしき場所に電話をかけ、書類に書いたことをひとつひとつ伝えた。パソコンとネットワークで伝えるより、こっちのほうが安全で確実で安上がりだと思った。電話を置いたあと、交通指導員が私に書類を渡しながら言った。

 「3ヶ月経ったら、本署にこの紙を持って行ってみてください。それまでに持ち主からの申し出がなければ、この落し物をお渡ししますから」

 意外だったので、「あれっ、そちらから電話とかで連絡してくれるんじゃないんですか」と尋ねた。

 「申し訳ないんですが、本署まで直接来てください。電話でのお問い合わせにも答えられないことになっています」

 顔の見えない電話で、警察のほうから連絡してくれると思ったのに。いまから3ヶ月後、私はどういう顔で本署の遺失物係に行けばいいのだろう。小学生がなくした宝物のゲームソフトが欲しくて、3ヶ月間、この小学生からの届け出がないことを願いつつ、ニヤニヤしながら窓口を訪れるいい年をした大人。かといって、ゲームソフトなんていらないんだが、成り行き上、受け取らないわけにはいかないのでと迷惑顔を浮かべるのもわざとらしい。そんなことなら最初から権利を放棄すればいいのだ。

 3ヶ月後を考えると今から気が重い。向こうから連絡が来ないのなら、こちらも忘れたことにして(忘却力なら自信のある私だが、こういうことは忘れない)、ずっと連絡しないでおこうか。いや、届け出た以上、それは大人としてだらしないような気がする。取り寄せてもらった商品を買いに行かないのと同じだ。いやいや、取り寄せてもらったた商品に喩える時点であさましい。

 結局、持ち主の小学生に、ゲームソフトを取り戻してもらうしかないのだ。公園に赤ちゃんを連れてきている母親連中に聞き込みすれば、「ああ、その翌日、あの築山で休んでいるサラリーマンらしき中年男がいて、車で交番のほうに去っていきましたよ」との証言も得られよう。交番に問い合わせて、めでたく宝物を取り戻して、久しぶりに遊んでケロロの素晴らしさを実感したあとで「名前は知らないけれど、親切な大人っているんだな。ぼくもまじめに生きていこう」と誓ってほしい。そのためなら、遺失物係の窓口で「そうですか。無事に持ち主のもとに戻りましたか」と自然に微笑む練習を3ヶ月間積む甲斐もあるというものだ。


消去

2009-06-07 20:49:51 | Weblog
 朝、スケジュール帳を見た。2件の用件が書いてある。午後1時に市内の某施設。そして午前11時に、市内の別の住所。その横に小さく電話番号が走り書きされている。午後の用事は、誰からどのよう依頼を受けたのかはっきり覚えている。何を持参して行き、向こうでなにをすべきか、考えないでもわかる。ところが、午前11時の用事は、心当たりがなにもない。

 忙しいときにはよくあるミスだ。場所と時間だけ書いて、どんな用件なのか、誰と会うのかを書き忘れてしまう。しかし、ほとんどの場合には、落ち着いて考えたり、別のノートを見たりしているうちに思い出すものだ。恥を忍んで同僚に聞いたら、「あ、それはオレが頼んだ用事だよ」と、改めて用件を教えてくれたこともある。

 ところがその日に限って、午前の用事がなんなのか思い浮かばなかった。大きな住宅地図を出してみるが、スケジュール帳に書かれていた場所は空き地になっている。不動産業でもスポーツが好きな小学生でもないから空き地で待ち合わせとは考えられず、おそらく地図が出来たあとでそこになにか建物ができたのだろう。いずれにせよ、なんの約束なのかを教えてくれる手がかりはなかった。

 いてもたってもいられなくなった。これはよくテレビの再現ドラマや映画に出てくる認知症の兆しではないのか。約束よりも2時間も早く出発し、その住所に偵察に行ってみると、真新しい民家があった。表札は奥まったところにあり、住人の名はわからない。チャイムを押して出てきた住人に「つかぬことをお伺いしますが、私と今日の11時に約束していませんか?」と聞くわけにもいかず、そのまま帰ってきた。

 会社に帰って考えつづけても、何も思い出せなかった。このまますっぽかしてしまおうかとも思ったが、相手が大切なお客かなにかで、なにか準備して持っていく約束でもしていたら困るので、意を決して電話した。

「もしもし、私は○○の▽▽で、つかぬことを…」

 言い終わらないうちに、電話の相手が不快感をあらわにしながら言った。

「電話しないでくれって言ったじゃないですか」

 私はその瞬間にすべてを思い出し、「あ、すいません」と詫びて電話を切った。

 数日前、ある用件があってその人に電話をかけた。いったんは快く私の希望を聞いてくれて、この日の1時にその人物の自宅で会うことにしたのだ。メモに書かれていたのは、その住所と「今後はここに電話を」と指定された番号だった。ところがこみ入った事情があって、数十分後に向こうから電話が入り「やはり会いたくない。もう連絡もしないでくれ」と告げられた。嫌がっている人と無理矢理会うような性質の仕事でもないので、「わかりました」と答えた。

 その瞬間に私は、メモ上の住所と時間に2本の横線を引き消去するのではなく、「その人といったん会う約束をしたがキャンセルされた」という経緯の記憶をまるごと消去してしまったのだ。約束をあとで取り消されるという経験は私にとって快いものではなく、深く記憶に刻まれたはずなのだが、その人物の声を電話を通して聞くまではまったく思い出せなかった。

 おそらく私は、記憶力の低下がいよいよ危機的な段階に達したと受け止めて、病院に行ったり、脳トレに励んだりするべきなのだろうが、あまりにもあっぱれな忘れっぷりだったので、照れ隠しや負け惜しみではなく、むしろ晴れ晴れとした気分になった。冷蔵庫の中をきれいに掃除したような快感。絵の具やジュース、赤ワインで汚したTシャツを司会者が着たまま、超強力しみ取りを大量に注ぎ込んだバスタブに飛び込むアメリカの通販番組があるが、あのしみ取りだってこんなにきれいには消せない。

 ……さすがに、ここにこう書いておけば、また同じ番号に電話して「もしもし、私は○○の▽▽で、つかぬことを」と尋ねることはないと思う。万一、2~3日後に同じような内容のエントリーがあったら、どなたかお医者様を呼んでください。

投影

2009-02-19 18:05:56 | Weblog
 記憶力が悪くなったり顔の皮膚がたるんだりして自分のなかで加齢を感じることはよくあるけれど、それとは別に、他者との比較で自分が歳をとったことに驚く瞬間がある。

 これは多くの人が共有する感覚だろうが、たとえば自分と同い年のプロスポーツ選手が引退したとき。私は桑田清原よりも学年がひとつ上だが、とくに桑田が引退したときには感慨があった。40歳を超えた松本伊代がテレビで「伊代はまだ16だから~」と歌っているのを見れば、まず醜悪だなと感じ、次の瞬間に「そういえばおれも40過ぎてるんだ」と暗い気持ちになる。

 かなり前のことだが、金八先生のなかで杉田かおるが産んだ子どもが、その後も順調に育っていれば中学生になっていることに気がついた。いま調べてみたら、最初の金八先生の放送が1979年。今年30歳になったあの子は、「親はおれが小さいときに死んだから」と語り、母が杉田かおるであることを隠しているような気がする。

 架空の人物の大半は年齢が固定されているので、実在の私は彼らの年齢を追い抜いていくことになる。ちょっと驚いたのは、いつの間にかカールおじさんに追いついていたという事実だ。

http://www.meiji.co.jp/inquiry/kyakusou/sweets/snack.html

 によれば、カールおじさんの年齢は「推定40歳前後」。子どものころははるかに年上だったのに、いつの間にか肩を並べてしまった。

http://nakaji.up.seesaa.net/image/karl01.jpg

 そういえば滑らかな肌も表情も、私より若いような気がする。

 動物の場合には歳のとり方が人間とは違うので、受け止め方は状況による。このまちの動物園にザブコとゴンというカバのつがいがいる。ゴンは44歳、ザブコは45才。2~3年前、ぼんやりとカバを見ていたら、3~4歳のころに動物園に連れてきてくれた父に向かって「パパ、カバだよ!」と叫んだときのカバが他ならぬザブコとゴンであることに気がついた。

 カバ年齢の人間年齢の換算方法は知らなくても、45歳のカバがかなりの高齢であることは想像できる。このときばかりは、カバと比べれば自分はまだまだ若いとポジティブに受け止めることができたが、その時点でゴンとザブコの関係がまだアツアツで、夫婦の営みにも励んでいると聞いたときには、自分がドッと歳をとったような気がした(さすがに最近では健康への悪影響を考えて控えさせているようだが)。

日清

2009-02-12 11:22:34 | Weblog
 結論から言うけれど、日清製粉と日清食品がまったく別の企業だということを、ついさっき知った。

 美智子さまの実家、正田家が日清製粉の創業者だということは知っている。チキンラーメンの会社からおきさき様というのも不自然な話だが、同じ「日清」を社名に冠している以上、松下と、松下の幹部がドロップアウトして設立した三洋のような関係だと思っていた。

 こういう勘違いが自分の頭のなかだけならとくに問題ない。困ったことに、どこかで「皇室は毎日高級な料理ばかり食べているが、美智子さまだけは実家から送られてくるカップヌードルをときどき召し上がっているらしい」といった話をどこかでしたような記憶がある。娘にも言ったことがあるはず。今夜にも訂正しなければ。

 日清製粉と日清食品が紛らわしいのは、(日清食品が日清製粉から原料を実際に仕入れているかどうかは知らないが)粉が麺の原料という川上・川下の関係であることに加え、日清製粉が乾麺、スパゲティなどを作っており、日清食品の業務範囲と重複はしていなくても、隣接はしているからだ。

 三菱グループと三菱鉛筆など、関係がありそうでない企業はいくつかある。ほとんどの場合、事業分野がはっきりと分かれていて混同されにくい。三省堂(出版社)と三省堂書店(書籍販売)のように、もともとは関係があったのに、いまは関係がないというパターンもある。ちょっと考えてみたが、もともと関係がないのに名前と事業が似ていて混同しやすいのは、日清のほかには朝日新聞社と朝日出版社くらいのものか。実はこの文章を書くまで富士電機とフジテック(エレベーター)が他人のそら似関係だと思っていたのだが、調べてみたら前者が後者の株主だった。

 そういえば高校生のころ、兄がバイク雑誌を読んで「このバイク、ブレーキがNISSINだって。カップヌードルのメーカーのブレーキなんて格好悪いなぁ」と言ったのに対し、たまたま自動車部品メーカーの日信工業のことを知っていた私が得意になって間違いを指摘したことがあった。それから20年以上、自分も大きな誤解をしたままだったとは……。

 両社のウェブページで商品構成を確認してみると、小麦粉や乾めんは「製粉」、即席めんは「食品」のようだ。ではサラダ油はどうかというと、メーカーの日清オイリオは「食品」とも「製粉」とも関係のないまた別の企業だというから、これまたややこしい。3社とも、誤解にもとづく問い合わせに広報部門は辟易としているだろうから、「日清他人のそら似アライアンス」を立ち上げてはどうだろうか。

胡蝶

2009-02-10 12:31:03 | Weblog
 中国に胡蝶の夢という話がある。荘子が蝶になる長い夢を見た。目が覚めたが、考えてみれば自分は人間で蝶になった夢を見ているのかもしれないし、実は自分は蝶で、いま人間になった夢を見ているだけなのかもしれない。そんな内容だったと思う。

 蝶が夢をみるのか、そもそも蝶が眠るのかどうかはわからないが、私が仕事をしているそばで眠っている犬を見ていると、四肢、耳、口が細かく動き、夢を見ているとしか思えないことがある。かつて公園で出会い、仲良くなったのもつかの間、飼い主が病気で入院し、泣く泣く別の街の新しい飼い主にもらわれていった大型犬のマックスと、夢のなかで戯れているのだろうか。

 犬の眠りは浅いから、ほんの小さな物音でも目を覚ます。大きく目を見開いて、耳をピンと立てて警戒体制に入る。そのあとうちの犬は「ああ、ついさっきまで遊んでくれたマックスは夢だったのか」と失望するだろうか。

 失望するためには、夢からさめたあとのこの世界こそが現実であり、夢のなかの世界は現実ではないという認識が必要だ。私は子どものころからそう教わってきたから知っている、というよりもそう信じ込んでいるが、「ハウス」という簡単な命令さえ覚えなかったうちの犬に、夢だの現実だの世界観だの、抽象的な概念を教えるのはとても無理。うちの犬に限らず、夢という現象を人間のように理解している犬はいないはずだ。

 夢はなんとなくぼやぼやっとしたもので、夢から覚めたあとはものの輪郭がはっきりしている。夢ではものごとの展開が早く、夢から覚めたあとの世界は変化に乏しく、大半の時間が退屈だ。そういう2つの世界の違いがわかっているとしても、どっちが本当でどっちがウソ、どっちが主でどっちが従という認識はないのではないか。

 私が犬を散歩に連れていくこの世界で、マックスと再会する可能性はまずない。うちの犬が1日に20時間も寝ているうちのは、できるだけ長くマックスと遊べるよう、この世界で過ごす時間を切り詰めた結果なのかもしれない。

 私はもうほとんど夢を見ないので、夢が本当の世界という感覚はないけれど、自分が実在しているのか、それとも犬の夢の中に出てくる脇役に過ぎないのかと問われれば、ちょっと自信がない。

松屋

2009-02-04 12:32:06 | Weblog
 札幌出張のさい、松屋に久しぶりに行った。前回、松屋で食事したのは、たしか7、8年前のことだったと思う。いまから20年ほど前、東京で暮らしていたころには、私の取引先リスト上位には確実に松屋が入っていたし、松屋の大口顧客リストには私が名を連ねていた。とくに「豚生姜焼定食」。私の身体の少なからぬ部分がこの定食によって形づくられている。

 最近、テレビなどで餃子の王将について語る芸人が多いが、なぜか私が住んでいた地区の周辺には王将がなかったので、王将についての思い出はまったくない。吉野家についてもネットやテレビ、ラジオで熱く語る人がいるのに、松屋がとりあげられる機会がほとんどないのが残念だ。

 松屋は食券方式をとっていて、現金の出し入れを機械に任せている。この店で注文をするとは、食券をカウンターの上に乗せることを意味している。食券の採用は効率化や事故の防止が狙いだと思っていたが、「豚生姜焼定食」と口に出して注文することさえ嫌うほど人と人のコミュニケーションが苦手な現代人のニーズを意識したんだろうかと、いま思った。

 私は松屋派だったが、それはとくにイデオロギーに根ざした好みではなく、牛丼や朝食を食べたいときなどには吉野家も利用していた。ところが松屋に行く頻度のほうが高いために、吉野家で食べ終わったあと、すでに食券を買って店員に手渡したような気になってしまい、最後のお茶を飲んで席を立ち、ドアを開けて店の前の商店街をながめ、あれさっきまで降っていた雨がもうやんでいる、今日は帰って洗濯でもしようかなと考えた次の瞬間、そういえばまだ勘定を済ませていないと気がついたことが何度かあった。そういうときはもちろん慌てて店内に戻ってお金を払うけれど、気が付かないまま無銭飲食で帰ってしまったことがあったかどうか、20年も経過したいまでは検証のしようがない。

 久しぶりに訪れた札幌の松屋で最初に気がついたのは、女性の店員がそこそこ美人だったということだ。20年前、吉野家や松屋には女性1人の客がまず行かなかった時代。そんな店に外見が魅力的な店員が働いていることなど考えられなかった。しかしこれは、単純に私が中年のオッサンとなり、許容範囲が広がったからかもしれない。もう1人の50代とおぼしき女性店員は、この種の店の歴史と伝統を体現しているような人だった。

 もう一つの変化はメニューの増加。主力の牛丼、焼き肉系定食のほか、ハンバーグ、チゲなどが加わっていた。こういうメニューは短期的なもので、別の新メニュー登場とともに消えていくものだと思うが、運悪く人気商品になったりして、定番メニューに加えたいがそれでは店員の負担が大きすぎるので、従来の定番のなかでは比較的目立たない豚生姜焼定食を廃止しよう、なんてことになったらたまらない。

 さて豚生姜焼定食は、少し焦げ目のついた豚肉におろし生姜のからんだふつうの豚生姜焼き。とりたてて言うほどの特徴はない。たまたま、最寄り駅の近くにあるから寄ってしまう店の、惰性で食券自販機のボタンを押してしまうメニュー。それ以上でもそれ以下でもない。これぞ、私が若いころに数えきれないほど食べた松屋の豚生姜焼定食だ。久しぶりだな、同志。私もこの20年間、ぶれることなく惰性で生きてきた。

 その15分後、私は帰りの電車に揺られながら、歯の間に残っていた生姜のかけらを改めてかみしめた。口の中に広がった辛みに、これからも惰性だけで生きていくことを誓った。

塩分

2009-01-10 20:31:21 | Weblog
 いまなら当たり前のことが、あと10年もすれば当たり前でなくなっているだろうという予感が、心のどこかに常にある。20年前なら携帯電話やインターネットがここまで普及しているとは誰も予想していなかったが、私が言いたいのはそれとは逆の現象。いまは当たり前に存在するものや行われている行為が、しばらくするとさまざまな理由のためにできなくなるということだ。

 いまは一定以上の年齢になれば多くの人が年金をもらっているし、長年共働きしていた元公務員の夫婦なんかだと毎年海外旅行に出掛けて楽しい老後をエンジョイしているけれど、近く年金制度は崩壊し、年金で豪遊するなどはもちろんのこと、つつましい暮らしさえできなくなるはずだ。

 自動車も温暖化ガス規制が厳しく行われるようになり、いまのように個人の判断で行きたい場所に行きたい時にドライブするようなことはできなくなるだろう。どこに行くにも電動バスや鉄道が基本。電話やネットで済む場合には極力移動そのものを控えるよう命令される時代が来るかもしれない。

 食料需給の変化や、気候変動のあおりを受け、環境の負担が大きい肉食は、滅多にできなくなる。長い間、日本人の食卓からクジラが消えていたように、世界中の食卓から牛肉、豚肉、鶏肉が姿を消し、かわってどの国でも「豆腐ステーキ」や「豆腐ハンバーグ」がごちそうになる。

 ……などと予想しながら、そうなるのも悪くないかと思う。マイカーよりも自家用飛行機が普及している世の中のほうがいろいろと便利だと思われるが、マイカーしかもっていない現状にとくに不満があるわけでもない。マイカーを没収されればしばらくは腹も立ち、不便も感じるだろうが、没収に合理的な理由があり、社会全体が不便を共有し、不完全ながらも代替手段が提供されるなら、1、2年もしないうちに不便な生活がその時代の当たり前になり、慣れてしまうような気がする。

 とはいえ、これらは私がすべて頭のなかで考えたことだ。実際には夕食には少なくとも一品、肉料理が含まれているし、含まれていなければなぜ肉がないのかと多少の不満を込めて妻に尋ねる。うちには車が私用と妻用で合計2台あり、歩いて行ける距離でも車で行く。まだ多少は豊かな日本経済と、地球環境に悪影響を与え続けている文明社会の生活にどっぷりと漬かっている。本当の意味で覚悟ができているのは、最初から期待していない年金制度の崩壊くらいのものだ。

 先日、ホテルでバイキング形式の朝食をとったさい、テーブルに「昔なつかしいニシンの○○漬け」が山盛りになっているのを見つけた(○○は失念)。ニシンは比較的好きな魚なので、皿に2切れほど載せてテーブルに戻り、食べてみると、塩の塊を口に入れたかと思うくらい塩辛かった。そのレストランには台湾人の観光客も多くいたのだが、彼らは日本の食文化では岩塩の形をニシンの形に整えて色を塗るんだと感心したのではないか。

 かつての魚が塩辛かったのは、冷凍ではなく塩を大量に振りかけることで腐敗を防いだからなのだろう。さすがにこれほどではないが、冷蔵庫が十分に普及した私の子供のころにも、サケの切り身はいまよりもかなり塩辛かったと記憶している。また、塩辛い料理には生理的な必然性もあったのだろう。いまはどうなっているのか知らないが、北海道や東北、北陸では人々が寒い冬に耐えて生活しているために関西や西日本と比較して塩分の摂取量が多く、このため心臓や脳血管の病気が多いと、むかし聞いたことがある。

 ということは、温暖化ガス排出量の抑制のために電力消費、さらには冷蔵庫の使用が厳しく制限され、室内のストーブも没収されるようになれば、毎朝の食卓にニシンの○○漬けのような塩辛い魚が登場するということだ。見えない将来のことをこれまで漠然と「悪くないと思う」などととらえていたけれど、味覚の作用で不便な未来が突如生々しく感じられるようになった。あんなにしょっぱい未来には適応できそうもない。

 なお、そのホテルでの食事ではニシン料理があんまり塩辛かったので、ご飯が進んだ。冷蔵庫の規制強化と減反政策の撤廃はセットで実行する必要がありそうだ。

連帯

2009-01-09 12:40:13 | Weblog
 犬の散歩のコースの途中に、千堂あきほをあまり上手でない映画館の看板職人が描いたような、大きな女の顔の看板がある。掲げられてから長い時間がたっているのか、かなり色あせていて、髪型や服も、千堂あきほが十数年前に出演したドラマのように古くさい。片方の八重歯が、それが八重歯だとわかる程度に少し長い。これは看板職人が注目を集めるためにわざとバランスを崩したのかもしれないと、その点だけが気になっていた。

 それはテレクラの看板だ。十数年前、この街にもバブルの風が少しだけ吹いたころに出来たもののあえなく閉店、今日に至るまで放置されているのだろうと思っていたのだが、先日、裏通り側の入り口で照明がついているのを見つけた。まだ営業しているらしい。

 最近、ある擬態語について、自分の使い方が一般的なのか検索サイトで調べてみたら、テレクラで働く女性が集まるインターネットの掲示板を偶然見つけた。擬態語の用法調べのことは忘れてしまい、しばらく読みふけってしまった。

 男と会うためではなく、あくまでも業者から収入を得るための手段としてテレクラを利用している、いわゆるサクラの女性たちが、悩みを書き込んだり、慰め合ったり、情報を交換するための場だった。テレクラという業態についてはほとんど何も知らなかった私だが、この掲示板を読むだけで、この業界の大まかな状況がわかってきた。

・彼女たちの職業は「テレホンレディ」、略して「テレレ」と呼ばれる
・声だけで女性の年齢を予測するのが難しいことに乗じて、年齢を大幅にサバ読んでいる女性が多い
・男に突然電話を切られる「ガチャ切り」は、サクラのテレレにとっても、精神的にかなり堪える。この仕事を続けるためには、ガチャ切りのストレスをまず克服しなければならない
・主婦として掃除や洗濯、料理をこなしながら、その合間に「OL」や「女子大生」に化けて男の相手をしているテレレがいる
・心身の病気を抱えている、容姿に自信がないなどの理由で外では働く気になれず、テレレで生活している人がいる
・テレレには業者の用意する場所に出勤する人と、在宅で働いている人がいる。出勤組はヘッドセットを着用して横一列に並んで卑猥な会話をそれぞれの相手と続けている(日本文化センターのコールセンターか)。在宅は気楽な反面、孤独との戦いでもある
・かつてはテレレの仕事だけで月40万、50万の収入を得ていた人もいた
・インターネットの登場と「出会い系」の隆盛でテレクラは衰退しつつあり、テレレがテレクラからの収入だけで生きるのは次第に難しくなっている
・そんな状況に多くのテレレが不安を感じており、高収入を求めて、テレビカメラを通じて客の男に体を見せる「チャットレディ」に落ちぶれる、またはグレードアップする人もいる。
・世間に大声で言えない職業への引け目と、それでも必死になって働いているという誇りが心のなかで同居しているためか、生活保護世帯を痛烈に批判する人がいる

 私が面白いと思ったのは、というよりも正直言って感動したのは、テレレたちの仲間意識だ。職業に貴賤無しというのは、職業に貴賤があるからこそ誰かが考え出したスローガンであって、社会的には明らかに「賤」に分類されそうなテレレたちが、正直に不安を吐露し、励まし合っている。

 ある独り暮らしのテレレが、これからもテレレで生きていけるかどうかとの不安を書き込めば、同じような境遇の女性たちから「(電話の)つながりが徐々に悪くなり、これからを考えると不安。パートと兼業で行こうかと思う」「私は会社がなくなるまでがんばる。会社がなくなったら田舎に帰る」「将来の不安はあるが、できるだけ考えないようにしている」「それぞれ事情はあるけど、一人暮らしは戦い」とコメントをつけるという具合だ。

 ブログ全盛のいまとなっては「掲示板」という響きも懐かしい。その媒体で、過去の仕事となりつつあるテレレについて語り続ける女性たちの絆。この絆にも、いい意味の古くささというか、懐かしさを感じてしまうのだ。

蟹座

2009-01-03 14:09:33 | Weblog
 正月の連休を利用して函館を旅行した。函館には過去何度か来ている。ただ漠然と見物するのは面白くないので、ある視点を心掛けた。それは「高度な文明をもつカニ星人が函館に来たらどう思うか」ということだ。

 元日の朝、ホテルを抜け出して歩いて数分のところにある朝市に行ってみた。この時期、どの店も主力商品はカニだ。タラバガニ、毛ガニ、ズワイガニなどが生きたまま、冷凍、ボイル直後などさまざまなかたちで売られている。まずこの光景にカニ星人は卒倒するであろう。商品のカニが品定めされ、お呼びがかかるのを静かに待っている生け簀は、まるで死刑囚を収容している牢屋のようだ。カニが十字型に太い輪ゴムで固定されている様子は、拘束服を連想させる。店先でボイルしたカニを分解し、少しずつ味見させて購買意欲を刺激するという商法も、「おまえらの口に合わなかったら無駄死にかよ」とカニ星人の逆鱗にふれそうだ。

 しかし、カニ星人はとなりの店で、この惑星の主要な住人である人間の残酷性が、カニ星人の遠い親戚であるタラバガニ、毛ガニ、ズワイガニだけに向けられているわけではないことに気がつくであろう。となりの店では「裂きイカ製造マシン」なる機械が、回転しながらイカの身を裂いている。まさに殺人マシンだ。傍らには気前良く試食用の裂きイカが山と積まれていて、行き交う人がつまんで口に運ぶが、美味しそうな顔で咀嚼する人が多いのに、お金を払って購入する人はまれにしかいない。試食はしてもいいが、金銭を払う価値はない存在。それがイカなのだ。

 そんなイカに比べれば、高級品として扱われているカニはある意味、リスペクトされている。人間があと数千年経てば少しは高等動物に進化することを期待しつつ、今日のところは大目にみてやろうとカニ星人が寛大な気持ちになったところで、ある事実に気がついた。

 毛がには3500円。タラバガニは19200円。タラバガニのほうが圧倒的に高い。店員からタラバガニの値段を聞いたあと「しかたないか、毛がにで我慢しよう」とぼやいている客までいる。そこでカニ星人は自分の体をまじまじと見つめた。全身にびっしりと生えている毛は毛がにそっくりだ。悪いことにカニの星ではタラバ族と毛族が血で血を洗う抗争を長年続けており、一時はタラバ族の手で毛族が絶滅寸前のところまで追い詰められた。いまでこそ毛族が盛り返し、タラバ族を完全に支配しているものの、毛族にとりタラバ族はなおも激しい憎悪の対象だ。

 そのタラバ族に近いタラバガニが、毛族の親戚と言ってもおかしくない毛がによりもはるかに高い地位を、人間から与えられている。これは、伝統の冒涜にほかならない。先祖の名誉に傷をつけるものは、正義のはさみによって裁断されねばならぬ。

 怒りのいかづちを振り下ろそうと思った瞬間、「お客さん、本州からかい」という店員の言葉と、「買う気がないならさっさとどかんかい」と言わんばかりの鋭い視線に私はカニ星人から人間に戻り、函館の朝市一帯は危ないところで木っ端微塵に粉砕されるのを免れたのだった。