公園を散歩していて、足が疲れたので築山の頂上にあるベンチに腰掛けたら、傍らのテーブルの上にゲームソフトがあった。透明のプラスチックケースのなかに、マリオなんとかが2つ、ケロロなんとかがひとつ、あとは聞いたことのないソフトが数枚入っていた。名前や住所などは書かれていない。公園で遊んでいた近所の子どもが忘れていったのか。正直に言うとソフトを見つけた瞬間、「ラッキー」という感情が湧いたが、ゲームソフトはティッシュや書道の半紙と同じ消耗品と教えられて育った富豪の子でもない限り、これらのソフトは持ち主にとってかけがえのない宝物のはず。いまごろ人生で5本の指に入るほど深く落ち込んでいるに違いない。
そこで交番に届けることにした。交番の在り処というのは意外と意識していないもので、その公園の最寄りの交番がどこにあるのかがわからない。しばらく車を運転して、国道に面した交番を見つけた。公園からは1㌔ほど離れてしまい、しかも途中の道路は大半が鉄道で分断されているので、直線距離以上の隔たりがある。これではまるで持ち主が落し物にたどり着くのを故意に邪魔しているようだ思いつつも、交番探しに時間を費やしているわけにはいかない。
中に入ると、「交通指導員」という胸章をつけた60代らしき男性が、交番の奥のほうから出てきた。本物の「お巡りさん」の留守役を務める警察OBかなにかなのだろう。私が「落し物を拾ったんですけど」と言うと、手慣れた様子で背後のスチールロッカーを開けて、ファイルを2冊取り出し、机の上に広げた。
交通指導員は私の名前、住所、拾った時間と場所を尋ね、それを丁寧に、見間違える恐れのないきれいな字で書類に記録した。私も仕事でメモを取るさいにこれくらいの時間的余裕が与えられれば、後日解読に苦労することもないだろうと、貧乏ゆすりを我慢しながら思った。机の上に私が置いたゲームソフトを見つめながら、交通指導員は「これは何ですかね」と困った表情を浮かべた。「異星人が地球人をコントロールするためにコメカミにインプラントするためのチップですよ」と私が言えばそのまま記録したかもしれないが、持ち主の少年が色眼鏡で見られるのも気の毒なので、「携帯ゲーム機のソフトでしょう」と正直に答えた。
交番に入ったときから気になっていたことを質問してみた。「持ち主はこの交番まで来ないと、落し物を取り戻せないんですか?」
「いえ、データは本署のほうで全部管理するので、今日から3ヶ月のうちに持ち主が現れれば、交番でも本署でも、何をどこで落としたさえ届け出てくれれば、落し物を引き渡せることになっています。それで、その場合にあなたの名前と住所を教えてもいいですか?」
持ち主の小学生から「おじさんありがとう。この恩は一生忘れないよ。お礼に僕が大好きなケロロのゲーム、受け取ってくれるかな?」と差し出され、「いやあ、偶然だけど、おじさんの娘もこのゲーム機を持っているんだ。でも飽きちゃったらしくて本棚でほこりをかぶっているんだ。娘は勉強で忙しいみたいだし、かといってこのまま使わないのもねぇ」と受け取るのも気が引けるので、教えないでくださいと答えた。
「では、3ヶ月間のうちに持ち主が現れなければ、これはあなたのものになりますが、その権利を放棄しますか?」
持ち主が現れず、拾った人も権利を放棄した遺失物がオークションにかけられて益金が孤児院に寄付されたといった美談を、少なくともこのまちでは聞いた記憶がない。迷わず「放棄しません」と答えた。
交通指導員は本署らしき場所に電話をかけ、書類に書いたことをひとつひとつ伝えた。パソコンとネットワークで伝えるより、こっちのほうが安全で確実で安上がりだと思った。電話を置いたあと、交通指導員が私に書類を渡しながら言った。
「3ヶ月経ったら、本署にこの紙を持って行ってみてください。それまでに持ち主からの申し出がなければ、この落し物をお渡ししますから」
意外だったので、「あれっ、そちらから電話とかで連絡してくれるんじゃないんですか」と尋ねた。
「申し訳ないんですが、本署まで直接来てください。電話でのお問い合わせにも答えられないことになっています」
顔の見えない電話で、警察のほうから連絡してくれると思ったのに。いまから3ヶ月後、私はどういう顔で本署の遺失物係に行けばいいのだろう。小学生がなくした宝物のゲームソフトが欲しくて、3ヶ月間、この小学生からの届け出がないことを願いつつ、ニヤニヤしながら窓口を訪れるいい年をした大人。かといって、ゲームソフトなんていらないんだが、成り行き上、受け取らないわけにはいかないのでと迷惑顔を浮かべるのもわざとらしい。そんなことなら最初から権利を放棄すればいいのだ。
3ヶ月後を考えると今から気が重い。向こうから連絡が来ないのなら、こちらも忘れたことにして(忘却力なら自信のある私だが、こういうことは忘れない)、ずっと連絡しないでおこうか。いや、届け出た以上、それは大人としてだらしないような気がする。取り寄せてもらった商品を買いに行かないのと同じだ。いやいや、取り寄せてもらったた商品に喩える時点であさましい。
結局、持ち主の小学生に、ゲームソフトを取り戻してもらうしかないのだ。公園に赤ちゃんを連れてきている母親連中に聞き込みすれば、「ああ、その翌日、あの築山で休んでいるサラリーマンらしき中年男がいて、車で交番のほうに去っていきましたよ」との証言も得られよう。交番に問い合わせて、めでたく宝物を取り戻して、久しぶりに遊んでケロロの素晴らしさを実感したあとで「名前は知らないけれど、親切な大人っているんだな。ぼくもまじめに生きていこう」と誓ってほしい。そのためなら、遺失物係の窓口で「そうですか。無事に持ち主のもとに戻りましたか」と自然に微笑む練習を3ヶ月間積む甲斐もあるというものだ。
そこで交番に届けることにした。交番の在り処というのは意外と意識していないもので、その公園の最寄りの交番がどこにあるのかがわからない。しばらく車を運転して、国道に面した交番を見つけた。公園からは1㌔ほど離れてしまい、しかも途中の道路は大半が鉄道で分断されているので、直線距離以上の隔たりがある。これではまるで持ち主が落し物にたどり着くのを故意に邪魔しているようだ思いつつも、交番探しに時間を費やしているわけにはいかない。
中に入ると、「交通指導員」という胸章をつけた60代らしき男性が、交番の奥のほうから出てきた。本物の「お巡りさん」の留守役を務める警察OBかなにかなのだろう。私が「落し物を拾ったんですけど」と言うと、手慣れた様子で背後のスチールロッカーを開けて、ファイルを2冊取り出し、机の上に広げた。
交通指導員は私の名前、住所、拾った時間と場所を尋ね、それを丁寧に、見間違える恐れのないきれいな字で書類に記録した。私も仕事でメモを取るさいにこれくらいの時間的余裕が与えられれば、後日解読に苦労することもないだろうと、貧乏ゆすりを我慢しながら思った。机の上に私が置いたゲームソフトを見つめながら、交通指導員は「これは何ですかね」と困った表情を浮かべた。「異星人が地球人をコントロールするためにコメカミにインプラントするためのチップですよ」と私が言えばそのまま記録したかもしれないが、持ち主の少年が色眼鏡で見られるのも気の毒なので、「携帯ゲーム機のソフトでしょう」と正直に答えた。
交番に入ったときから気になっていたことを質問してみた。「持ち主はこの交番まで来ないと、落し物を取り戻せないんですか?」
「いえ、データは本署のほうで全部管理するので、今日から3ヶ月のうちに持ち主が現れれば、交番でも本署でも、何をどこで落としたさえ届け出てくれれば、落し物を引き渡せることになっています。それで、その場合にあなたの名前と住所を教えてもいいですか?」
持ち主の小学生から「おじさんありがとう。この恩は一生忘れないよ。お礼に僕が大好きなケロロのゲーム、受け取ってくれるかな?」と差し出され、「いやあ、偶然だけど、おじさんの娘もこのゲーム機を持っているんだ。でも飽きちゃったらしくて本棚でほこりをかぶっているんだ。娘は勉強で忙しいみたいだし、かといってこのまま使わないのもねぇ」と受け取るのも気が引けるので、教えないでくださいと答えた。
「では、3ヶ月間のうちに持ち主が現れなければ、これはあなたのものになりますが、その権利を放棄しますか?」
持ち主が現れず、拾った人も権利を放棄した遺失物がオークションにかけられて益金が孤児院に寄付されたといった美談を、少なくともこのまちでは聞いた記憶がない。迷わず「放棄しません」と答えた。
交通指導員は本署らしき場所に電話をかけ、書類に書いたことをひとつひとつ伝えた。パソコンとネットワークで伝えるより、こっちのほうが安全で確実で安上がりだと思った。電話を置いたあと、交通指導員が私に書類を渡しながら言った。
「3ヶ月経ったら、本署にこの紙を持って行ってみてください。それまでに持ち主からの申し出がなければ、この落し物をお渡ししますから」
意外だったので、「あれっ、そちらから電話とかで連絡してくれるんじゃないんですか」と尋ねた。
「申し訳ないんですが、本署まで直接来てください。電話でのお問い合わせにも答えられないことになっています」
顔の見えない電話で、警察のほうから連絡してくれると思ったのに。いまから3ヶ月後、私はどういう顔で本署の遺失物係に行けばいいのだろう。小学生がなくした宝物のゲームソフトが欲しくて、3ヶ月間、この小学生からの届け出がないことを願いつつ、ニヤニヤしながら窓口を訪れるいい年をした大人。かといって、ゲームソフトなんていらないんだが、成り行き上、受け取らないわけにはいかないのでと迷惑顔を浮かべるのもわざとらしい。そんなことなら最初から権利を放棄すればいいのだ。
3ヶ月後を考えると今から気が重い。向こうから連絡が来ないのなら、こちらも忘れたことにして(忘却力なら自信のある私だが、こういうことは忘れない)、ずっと連絡しないでおこうか。いや、届け出た以上、それは大人としてだらしないような気がする。取り寄せてもらった商品を買いに行かないのと同じだ。いやいや、取り寄せてもらったた商品に喩える時点であさましい。
結局、持ち主の小学生に、ゲームソフトを取り戻してもらうしかないのだ。公園に赤ちゃんを連れてきている母親連中に聞き込みすれば、「ああ、その翌日、あの築山で休んでいるサラリーマンらしき中年男がいて、車で交番のほうに去っていきましたよ」との証言も得られよう。交番に問い合わせて、めでたく宝物を取り戻して、久しぶりに遊んでケロロの素晴らしさを実感したあとで「名前は知らないけれど、親切な大人っているんだな。ぼくもまじめに生きていこう」と誓ってほしい。そのためなら、遺失物係の窓口で「そうですか。無事に持ち主のもとに戻りましたか」と自然に微笑む練習を3ヶ月間積む甲斐もあるというものだ。