2 王野山より、米原の土地へ,お遷りになること、親王も快く、お聞き届になり、
有井、大平野警護のもと,王野を出られた親王は,行く手には、中尾山の急坂、
今に言う「王ざこ」のけわしい道があった、またその先,断崖絶壁の、山鹿さえ通らない崖道。今の[わるざこ」などが横たわっていた。宮はそこを難儀しながら、ようやく伴太郎というところに出られたのである。また「箸木殿」(はしきでん)の曲がりくねった坂道を休み休み上り、ここでひるめしをとられて、そこよりさらに、だらだら坂を下って、有井川の上流になる、米原の土地へ御着きになったのである。
宮のお遷りなされた、米原の土地は、王野の如く、人里離れた深い山中ではないが、人家といへば、わずか数戸、海辺からは二里あまりも離れた、草木深く生えた、片田舎である、宮のご心中に常に浮かぶ思いは,ありし日の都のまぼろしを忍び,雅やかな、毎日を思い出していたであろう.夜な夜な里人の打つ、砧の音を聞きながら詠まれた歌は
聞きなるる契もつらし衣打つ
民のふせやに軒をならべて(新葉和歌集) と詠まれた。
元弘二年もくれようとした,ある夜,寒月は澄みきった、中天に掛かり、下界の
万物は、墨絵のごとく地に映ずるをご覧になり、
我が庵は土佐の山風さゆる夜に
軒洩る月もかげこほるなり(新葉和歌集) と詠じられた。
この田舎の生活を、やる瀬ない気持ちを詠われた、歌も数知れず、あるが、すべて新葉和歌集に書き出されているようだ。中でも,元弘三年の正月、有井、大平両
名の忠誠には感謝しつつ、ひたすら都を恋しく思われて、御所のすぐ東上の月見山
の頂上に立って、東にある、佐賀の海、興津の沖を眺めつ
春霞かすむ波路はへだつとも
便り知らせよ八重の高潮(新葉和歌集) と、
波にさえ都の便りを知らせてほしいとはかない望みを寄せられ、また闇夜に一声
皐月闇になく時鳥の声を聞かれては、
なけば聞くきけば都の恋しさに
この里すぎよ山ほととぎす と
都恋しさの念切なく胸に迫り,時鳥にさえ、鳴かずに行き過ぎてくれ、きけば
都が恋しくてならぬーと断腸の思いをうたに託したのである。
有井、大平野警護のもと,王野を出られた親王は,行く手には、中尾山の急坂、
今に言う「王ざこ」のけわしい道があった、またその先,断崖絶壁の、山鹿さえ通らない崖道。今の[わるざこ」などが横たわっていた。宮はそこを難儀しながら、ようやく伴太郎というところに出られたのである。また「箸木殿」(はしきでん)の曲がりくねった坂道を休み休み上り、ここでひるめしをとられて、そこよりさらに、だらだら坂を下って、有井川の上流になる、米原の土地へ御着きになったのである。
宮のお遷りなされた、米原の土地は、王野の如く、人里離れた深い山中ではないが、人家といへば、わずか数戸、海辺からは二里あまりも離れた、草木深く生えた、片田舎である、宮のご心中に常に浮かぶ思いは,ありし日の都のまぼろしを忍び,雅やかな、毎日を思い出していたであろう.夜な夜な里人の打つ、砧の音を聞きながら詠まれた歌は
聞きなるる契もつらし衣打つ
民のふせやに軒をならべて(新葉和歌集) と詠まれた。
元弘二年もくれようとした,ある夜,寒月は澄みきった、中天に掛かり、下界の
万物は、墨絵のごとく地に映ずるをご覧になり、
我が庵は土佐の山風さゆる夜に
軒洩る月もかげこほるなり(新葉和歌集) と詠じられた。
この田舎の生活を、やる瀬ない気持ちを詠われた、歌も数知れず、あるが、すべて新葉和歌集に書き出されているようだ。中でも,元弘三年の正月、有井、大平両
名の忠誠には感謝しつつ、ひたすら都を恋しく思われて、御所のすぐ東上の月見山
の頂上に立って、東にある、佐賀の海、興津の沖を眺めつ
春霞かすむ波路はへだつとも
便り知らせよ八重の高潮(新葉和歌集) と、
波にさえ都の便りを知らせてほしいとはかない望みを寄せられ、また闇夜に一声
皐月闇になく時鳥の声を聞かれては、
なけば聞くきけば都の恋しさに
この里すぎよ山ほととぎす と
都恋しさの念切なく胸に迫り,時鳥にさえ、鳴かずに行き過ぎてくれ、きけば
都が恋しくてならぬーと断腸の思いをうたに託したのである。
東山と言えば、お芋を思い浮かべる私・・・
食欲の秋です
この東山は米原行在所の東側にある、高い山の
ようです、昔月見の場としてもてはやされた
と思います。