80歳の日々の暮らし

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尊良親王流人日記抄(3)

2009-09-21 15:49:45 | 日記
2 王野山より、米原の土地へ,お遷りになること、親王も快く、お聞き届になり、
有井、大平野警護のもと,王野を出られた親王は,行く手には、中尾山の急坂、
今に言う「王ざこ」のけわしい道があった、またその先,断崖絶壁の、山鹿さえ通らない崖道。今の[わるざこ」などが横たわっていた。宮はそこを難儀しながら、ようやく伴太郎というところに出られたのである。また「箸木殿」(はしきでん)の曲がりくねった坂道を休み休み上り、ここでひるめしをとられて、そこよりさらに、だらだら坂を下って、有井川の上流になる、米原の土地へ御着きになったのである。



 宮のお遷りなされた、米原の土地は、王野の如く、人里離れた深い山中ではないが、人家といへば、わずか数戸、海辺からは二里あまりも離れた、草木深く生えた、片田舎である、宮のご心中に常に浮かぶ思いは,ありし日の都のまぼろしを忍び,雅やかな、毎日を思い出していたであろう.夜な夜な里人の打つ、砧の音を聞きながら詠まれた歌は

   聞きなるる契もつらし衣打つ
         民のふせやに軒をならべて(新葉和歌集)  と詠まれた。

 元弘二年もくれようとした,ある夜,寒月は澄みきった、中天に掛かり、下界の
万物は、墨絵のごとく地に映ずるをご覧になり、

   我が庵は土佐の山風さゆる夜に
          軒洩る月もかげこほるなり(新葉和歌集) と詠じられた。

 この田舎の生活を、やる瀬ない気持ちを詠われた、歌も数知れず、あるが、すべて新葉和歌集に書き出されているようだ。中でも,元弘三年の正月、有井、大平両
名の忠誠には感謝しつつ、ひたすら都を恋しく思われて、御所のすぐ東上の月見山
の頂上に立って、東にある、佐賀の海、興津の沖を眺めつ



   春霞かすむ波路はへだつとも
           便り知らせよ八重の高潮(新葉和歌集)  と、

 波にさえ都の便りを知らせてほしいとはかない望みを寄せられ、また闇夜に一声
皐月闇になく時鳥の声を聞かれては、

   なけば聞くきけば都の恋しさに
          この里すぎよ山ほととぎす  と

 都恋しさの念切なく胸に迫り,時鳥にさえ、鳴かずに行き過ぎてくれ、きけば
都が恋しくてならぬーと断腸の思いをうたに託したのである。


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2 コメント

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Unknown (じょうます)
2009-09-22 12:02:45
 東山の月見山って、どの山かしら・・・


  東山と言えば、お芋を思い浮かべる私・・・

       食欲の秋です

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Unknown (kuroshio-yaso)
2009-09-24 16:00:33
東山三十六方(鞍馬天狗の活弁によくい出る言葉)しかしそれは、京都ですか?

この東山は米原行在所の東側にある、高い山の
ようです、昔月見の場としてもてはやされた 
と思います。
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