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かつこのテラス

日々の思い、時には物語を綴ります!

「ゾッ~」とする自民党改憲草案

2013-05-06 14:46:33 | Weblog
昨年12月の総選挙で圧勝した、自民党は、2012月4月に「日本国憲法草案」を出している。その危険な中身について、講演や学習を通して知るにつけ、いよいよ正念場だとの思いを強くする。

9条の会事務局長の小森陽一氏が、2013年2月14日、「あぶない憲法のはなし」として、「自民党改憲草案」の危険な本質を解読。http://www.youtube.com/watch?v=Qlteyva6ya4
より多くの人々に知って欲しい、知れば知るほど「危ない!」その話。
もし、改正案がそっくりそのまま憲法として国民を縛り付けることになったら…具体的に自分たちの暮らしにあてはめて考えてみると、よりわかりやすく「ゾッ~」とするのではないだろうか。

以下、エッセンスを書き起こした。(少し長いが、活用しやすいように一気に掲載)

◆自民党は改憲を目指して結党された政党◆
 注意をしなければならないことは、憲法改正の手続きをめぐる第96条です。
そもそも自民党という党(1955年11月自由党と日本民主党が合体して結党)は、既に作ってしまった自衛隊を認めるために「憲法9条を変える」ことを目指した改憲政党です。国民を説得する理由として「GHQ支配による押しつけ憲法だ。自主憲法を制定する」と主張し続けてきました。そして今までは常に全文を変えると言っていました。
それが、今回の安倍政権では、「まずは96条から改正する」としています。第96条を、他の改憲政党(維新の会、みんなの党など)と協力して、まず変えてしまおうというわけです。(すでに96条改正をめざす議員連盟もできています)

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。…

自民党の改憲草案では、そのハードルを下げ、両議院のそれぞれの過半数の賛成で発議するとしています。
近代の立憲政治は、「憲法は、国家権力が好き勝手なことをしないよう、国民が国家権力に対して縛りをかけるための最高法規」という考え方です。発議のハードルを低くするということは、「権力が好き放題する」危険がうまれるということです。

◆憲法を守らなければならない人はだれでしょうか。

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

これが近代立憲政治の原点であるのに、自民党改憲草案では、逆転して「憲法は、国民が守らなければならないものとされています。

改正草案102条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

ここでは、憲法は国家を縛るものではなく、他の法律とおなじく「国民を縛るもの」となっています。かつての大日本帝国憲法のように、天皇は前文で元首だと宣言され、さらに特例で元首は、憲法を守らなくても良い存在になっています。
それと連動して、第3条「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」とも。東京や大阪の公立学校で、卒業式や入学式の際に、君が代を歌うときに起立しないで座ったままの先生が処分されましたが、全国民に対して縛りがかけられる、国民主権を踏みにじる草案だと言えます。

◆草案は前文から平和的生存権を削除◆

日本国憲法の基本は、基本的人権・主権在民(民主主義)、国際平和主義です。
自民党案では、現行憲法前文にある「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を削除し、
替わりに「日本国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る。国土を防衛する義務がある」としています。
そして改正案では、憲法9条の生命線ともいえる、第2項を削り、国防軍を保持。 
国防軍は
・治安維持 (国民が集会・デモへの弾圧も可能)
・邦人救出 (名のもとに海外へ出て行く)
・国民保護
・審判所という軍事法廷所ができる
かつての日本の軍国主義の中心である軍隊の復活をもくろむ。

98条
「外部からの武力攻撃」
内乱などによる社会秩序の混乱に対しても政府は緊急事態を敷くことができる

99条
国会という立法府を無視して、行政権力である内閣が法律と同等の効力をもつ政令を制定できる 「戦時独裁制」を敷くことができるということが憲法上規定されている
9条2項の削除と98条、99章の緊急事態が連動していて、戦争する国家を作っていこうという意思が露わです。

現行97条 を全面削除しています。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

大日本帝国憲法下では認められていなかった基本的人権を、人類史的な総括の中で入れたのが97条です。これを全面削除し、さらに国家によって、家族に対する規定が盛り込まれることも見逃すことはできません。
とりわけ「家族は互いに助け合わなければならない」 ということ。
憲法25条に保障されている、国が社会福祉や保障や医療についてきちっと責任をもたなければならないはずのに、自民党案では家族による共助や自助を求めるもの、ひとりひとりの人間の尊厳、基本的人権を踏みにじる内容になっています。

母の夢

2013-05-05 16:50:45 | Weblog
日中に夢を見た。
日中からの夢とは、どうにもこうにも起きていられなくて、ふとんをひっかぶって眠ったからだ。数日前から微熱がひかず、からだじゅうのあちこちがひりひりと痛い。咳が時折こんこんとでていた。

夢の中の家は、おしゃれで日当たりの良いマンションだった。明るい南向きの部屋に少し大きめの湯船。少しだけお湯を張って手を入れる。ぬるすぎるので、暖かい湯を足そうと、湯沸かしのほうへ行く。湯を足す準備をして湯船に戻ってみると、母が服を着たまま、浸かっている。
「あれ、そのまま入ったの? まだぬるいでしょう。待ってね、今暖かくするから」
あせってお湯を足しながら、母が冷めないように湯をかけ、服をぬぐ手助けをする。
「待ってね。着替えを取ってくるから」
私は、湯船の母に声をかけて、隣の母の部屋に行く。
着替えが見つからなくて、奥の部屋に行く。
そのときの私は、「母の部屋、母のベッドに母がいない喪失感」を抱えている。身のうちに寂しさを沈めたまま、母の着替えを捜しに次の部屋に行く。
「母はもうじきこんな風にいなくなるのだろう。ものだけ遺して…」
ベッドの母の隣、端っこのほうに横になった自分を想像しなから、歩き回る。そして、今のうちに甘えておいたほうがいいんだ、と思う。
引っ越したばかりでもないのに、奥の部屋のその奥には、見慣れぬ書斎があって、壁に埋め込まれた回転本棚がすこし斜めにずれて、奥が見通せることに気付く。こんなところに「隠し部屋」があったのかとのぞいてみると、そこは、本棚で埋められた小さな図書室だった。
服を早くというあせりと、隠し本棚へのわくわく感。そして私は思うのだ。
「知らなかった。こんな部屋があったのか。あとで探索しよう」
同時に思う。早く服を!
服がみつかったのかどうかはわからない。
私は湯船の母の所へもどる。「大丈夫だった?」
母は言う「すまんねぇ。世話になるね。ありがとう。」

目を開けると、私が寝ているのは自分のベッドだった。「母のいない母の部屋」は現実のものであることは、熱のある頭にうすぼんやりと甦ってきた。
あの喪失感は、現の自分が夢に知らせたものだったのだろう。
昨年12月初めに母を自宅で看取った。
あのころ母は、もう本を読む力はなくなっていて、本棚に陳列した夫(父)の写真、両親の写真を眺めていた。

私の家は、おしゃれなマンションではなく小さな民家で、母の部屋は電気なしでは薄暗く、でも夢のように本に囲まれてはいた。
夢のようにと言うのは、夢に出てきた光景というだけではなく、母の夢、若くて元気だった頃、「心ゆくまで思いっきり読書がしてみたい」と母が言っていたことがあるからだ。
昨年の冬、母は、その念願を果たし、ベッド脇の本棚から抜いては、読書に浸っていた。
認知症だった母が読書に親しめたのは、日記や手紙を書き続けた人だったからに違いない。その読書は、たぶん、筋や話の展開を追うことより、情景描写や心理描写に純粋に心を寄り添わせたものだったのだろうと、私は思う。
昼間っから読書に浸る、そんな母を私は、とっても好もしく嬉しく思ったものだった。
母にとっては、94年の生涯で、禁欲と勤勉、働かざる者云々…の縛りから解き放たれたほんの一冬のことだった。


憲法を読む会 感想は…

2012-11-06 21:35:45 | Weblog
「憲法を読む会」で、柴野さんの講演は1時間でしたから、ごくごく短い報告になりましたが、参加されなかった方々にも広くニュースでお知らせすべく、今、準備をすすめています。

この会では、憲法前文、第9条と合わせて、あらおしゅんすけ(福島県二本松市在住・獣医)さんの詩も朗読されました。
詩は、ブックレット「核兵器と原発の方向には日本の未来はない」にも掲載されていますので、ぜひご一読を。

講演への感想は、
「話の流れがよくわかり、ほんとに感動した」
「10万円くらい払ってもいいほどの値打ちがある話だった」(実際にはぜんぜん…ちょっとでしたけど…(^^;))
「実体験に基づいた話で説得力があった」
「自分の日常をふり返るよいきっかけを与えられた」など

年に数回でも、こうした勉強会を続けることこそが、力になっていくと思う反面、どんな取り組みをするにしろ、様々な世代の様々な人たちにも広げていけるようにするには? などの悩みも尽きません。

ファシズムを許さない希望の道―腹の底から憲法で行こう

2012-11-01 21:23:09 | Weblog
わたしの住んでいる街で、年数回、「憲法を読む会」を開いている。小さなしゃべり場で、参加者の半数は、戦争体験者でもある。先日、ここに柴野さんを招いて、「原発と憲法9条」と題して、話をしてもらった。


柴野さんの講演要旨

昨年12月に、政府は、福島原発事故の収束宣言を出しましたが、あれは大ウソです。
1号機~3号機はメルトダウン、メルトスルーが今なお進行中。4号機はもっと深刻です。使用済み核燃料プールには防護壁もなくむき出しの燃料棒が貯蔵されていました。4号機の動向は、国内外の専門家がハラハラしながら見守っているところです。事故処理にあたっている何千人という人びとは、高線量下での被曝労働を余儀なくされています。

福島の浜通り・中通りの人びとは、故郷に帰りたくとも帰れません。政府は「除染をしている…」と言っていますが、一部の除染はできても、田畑・川・森などあらゆる場所の除染はできるものではありません。雨が降れば汚染域も変化します。避難していない地域の人びとも、丹精込めた作物を食べてよいか、出荷してよいか、などを巡っての家庭内・地域内での対立や沈黙、疑心暗鬼も生まれています。原因不明とされる突然死、子どもたちの甲状腺の腫れも増えています。

「地震列島に54基もの原発(敦賀・美浜・大飯原発は、活断層の真上)!?」何故でしょうか。

占領国が他国を支配する鉄則は、次の5つです。
①軍事 ②エネルギー ③食料 ④おつむ(マスメディア・文化・教育・思想など)⑤金融
アメリカは、戦後、対日支配戦略として、この5つを貫徹してきました。

オスプレイ配備、大飯原発再稼働、大間原発建設、TPPへの積極的参加姿勢など、国民が猛反対をしているなかで政府が強行する、その大元には、対米従属の日米同盟があります。
災害のどさくさには、ファシズムが台頭します。歴史的に見ても、関東大震災後、大正デモクラシーを弾圧して戦争へ突入していった時代と、今の状況は酷似しています。

以下は、今年4月にだされた自民党の「憲法改正」草案です。
「第9条の2」(国防軍)我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。 (略)
戦前との違いは、主権在民の平和憲法があること。

ファシズムを許さない希望の道は「憲法」です。「憲法」のあらゆる条項を国に守らせること。
選挙で、改憲議員を当選させないこと、その道を主権者が選び取ることが大切です。

2004年、K9MP立ち上げの頃 コラムより

2012-08-31 21:40:37 | Weblog
2004年、K9MP立ち上げの頃 コラムより

▼「あのー誰が来るのですか」9月25日、四条烏丸産業会館前は、通りすがりの若者が関心を寄せるほどの長蛇の列ができた。掲げられたプラカードを見て若者は訊く「9条って何ですか」。9条は、日本国憲法「第9条」戦争放棄を謳った条項だ。この日、京都の「9条の会」が大江健三郎、鶴見俊輔、奥平康弘の3氏を招いて「世界に輝け憲法9条」の講演会を開いた
▼21日、有名・無名の市民グループが「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」を立ち上げた。平和への思いを様々な表現方法で募り、発表していこうとするものだ
▼作家・瀬戸内寂聴さんも、このプロジェクトへメッセージを寄せている。その中で寂聴さんは「やりたいことが一杯あるから戦争に征って死にたくない」という少年に「憲法が改定されないよう戦いましょう。いっしょにがんばろうね」と応えている
▼改憲の動きが具体的な年号をもって語られる今、「9条を守れ」の声も少しずつ動き始めている。70年代、「戦争を知らない子ども達」といわれた世代が親になり、その子らも大人になった。彼らは「改憲」をどう考えるのだろう
▼「イラク戦争がはじまった時、『まちの人インタビュー』をTVで何度も見かけた。『戦争はよくない。・・・けど、仕方ないのかな』幾人もの人が、そう応えていた。(略)『自分たちが何かの形で戦争に関わること』『どこか遠くで、子どもたちが怖い目、悲しい目にあっていること』『大切な人、大切なくらしを失うこと』想像して抱く率直な気持ち。『そんなん、イヤ』『だって、こわい』(略)『人が死ぬのはイヤ』(略)そんな自分のあたりまえの想いを、もっと信じたっていいはずだ。むずかしい問答に答えられなかったとしても、『仕方ない』なんて言わなくていい。自信を持って『そんなんイヤ!』と叫びたい」
▼戦後生まれに育てられた娘が、「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」に寄せた言葉だ。(桐)

このときからまもなく8年が経とうとする。
改憲を標榜する安倍晋三が今また動き出し、ぼろぼろになった9条の旗を引きずり下ろそうと画策。

全国に9条の会がたくさんできたが、果たして、9条の理念は広く行き渡ったか。
震災を契機とした一層の日米同盟の強化、普天間基地へのオスプレイ配備、原発再稼働の強行、選挙制度にまで手を加えた弱小政党の切り捨て、とファシズムのほうが着々と足固めをしてきている。
新聞を開いては、そんな危機感を募らせる。


豊かな時を得た合宿シンポ~2004.9コラムより

2012-08-24 14:58:44 | Weblog
 【「山猫軒シンポ」は一泊2日の合宿を長野県で行いました。長野市川中島のひとミュージアム・上野誠版画館、松代大本営跡、無言館などをめぐる旅でした。
 往きの車中で、参加者と「緊急よびかけ」案を読み合い、意見交換をして練り上げました。合宿後、須田稔・安齋育郎両先生に相談。趣旨に賛同していただくと共に代表、事務局長を快諾してくださいました。「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」(略称・K9MP)の名付け親は須田先生です。】
ホームページ「活動報告」で紹介されている「K9MPスタート」の 2004年夏。
当時私は、まだ在職中で、会社での通常の業務に加えて、社内報の編集もおこなっていた。月1回の定期刊行に産みの楽しみと苦しみをかかえて、それでも毎月15日に出し続けることに意地にもなっていたころ、土日の休暇を利用して、この合宿シンポに参加した。以下は、その後の社内報9月号に掲載したコラム。

2004年9月
▼夏に、娘と連れ立って信州「無言館(戦没画学生慰霊館)」と「人ミュージアム(上野誠版画館)」へ行った。版画館だが、展示にとどまらず周辺地域に交流の場を提供する「人ミュージアム」。「無言館」は、志半ばで倒れた戦没画学生の作品を収集展示、訪れた人へ「無言で向き合ってください」と伝える。いずれも私設美術館だ。▼帰途、上田から別所温泉に繋がる私鉄、上田電鉄「別所線」に乗った。2両編成の座席の半数ほどは空席だったが、土地のお年よりや通勤客の他、楽器を手にした若いグループや、カップルも乗り込んで、車内は明るい雰囲気で満たされていた▼「別所線はがんばります」車内吊り広告に目がとまった。「車社会の影響で、利用者が減っています」広告裏面には、様々な取り組みが紹介されていた。「オペラ歌手の車内コンサート」「サンタ列車」「周辺のまつり・行事案内と特別列車」「スキーシーズン列車」そして、もう一枚の吊り広告。「大学前(長野大学)駅に無料駐車場オープン!!=新幹線にご乗車の方も、安心して別所線をご利用ください」▼乗客が減ることを嘆くだけではない。周辺住民や、通勤、通学、観光の足としていかに利用されるか。子供から若者・働き盛り、お年寄りまで、各世代の喜ぶ顔を浮かべた取り組みに、心の内で拍手した▼娘が開けた窓から、涼風とセミ時雨が車内に届いた。ポケットには、駅員がハサミを入れた昔ながらの厚紙乗車券。メッセージの発信基地となっている「2つの会館」と「別所線」は、歴史を尊び、受け手に依拠しながらも、「未来に何を残すのか」という視点の大切さを私達に告げる。その姿勢は、事業体の運営と存続だけではなく、一人ひとりの暮らし方に何が大切か、という問いを投げかけているように思う(桐)

社内報という制約もあって、合宿シンポの内容や紹介には直接触れていないが、豊かに充実した時を得たことが、このコラムからも伺える。
体調不良だった娘との参加で、行きも帰りも団体行動のバスからは離れて、列車でゆっくり行動した。上田電鉄別所線には、そのとき乗った。現在、この別所線も経営危機に直面し、上田市の公的支援が入っているようだ。


懸命に生きる

2012-08-16 15:56:14 | Weblog
▼数年前、田舎からダンボール一杯のきゅうりをおくってきたことがあった。半分は人におすそ分け、3分の1を冷蔵庫にいれた。入りきらなかった20本ほどは、そのまま、蓋をしておいた。4-5日してダンボールを覗いてみると、どのきゅうりも軸側が萎びてやせ細り、尻側がぷくんとふくらんでいた。まるで緑色のコブラが頭を並べているようだった。

▼これは悪環境の中に放置されたきゅうりが、身を守り、子孫を残すために、滋養分を種のまわりへ送り込んだ結果なのだそうだ。

▼戸棚の隅っこに忘れられていたサツマイモ。これも、同様、甘くむっちりしたデンプン質が片側に集まってぼこぼこに瘤をつくっている。今朝、発見者の娘が、調理してくれた。すの入ったところは、味噌汁の実に、むちむちは、ご飯と一緒に炊飯器へ。(いのち丸ごといただいて、ごちそうさま)

▼フランス映画「皇帝ペンギン」は動物行動学を研究するフランス人、リュック・ジャケ氏らが過酷な自然の中で撮影したドキュメンタリー映画。ペンギンが何千年も繰り返してきた生活を、その子育てを中心に淡々と描いていた。100キロ以上の道のりを何週間もかけて繁殖コロニーまで歩く皇帝ペンギン。父親は、マイナス40度の極寒のなか、3ヶ月間何も食べずに、風速160キロの嵐に対峙して卵を守る。母親は、海に戻って餌をお腹にいっぱい貯め、再び繁殖コロニーへ。そこで生まれた子供と初めて対面する。

▼自然の摂理の強靭さ、動植物の懸命さに引き換え、懸命に生きられないのは、種の絶滅へ向かうとも限らない戦争をくりかえす人間だけなのだろうか。
戦争民営化・戦争請負会社の問題をはやくから指摘してきた本山美彦京大大学院教授は、「戦争をおこすのは時の施政者と民衆だ」と力説する。

▼かつて、ヒトラー総統はドイツの民主的なワイマール憲法下で、民衆の熱狂的な支持を受けて誕生した。日本は、平和憲法下で原発の闇、軍備増強を許してきた。補償にも謝罪にも真摯に向き合ってこなかった、終戦を歴史上のできごとと言ってはいられない戦後67年目。


匂い考 ~臭いと結果 ~ いのちより数値

2012-07-19 16:31:19 | Weblog
さわやかな営業マンらしき若者が、背広を肩にかけ、今まさに颯爽と営業活動に出かけようとしている。ふり返りざまの彼に「ニオイをのこすな 結果をのこせ」のキャッチコピー。
JR車内のステッカー、消臭スプレー○×○の広告に目がとまり、隣席の娘と思わず笑ったのだが、このコピーのできの良さ(今風に言えば、「ドヤ顔」とでも言うのだろうか)に対抗して、ステッカーをもう一枚貼ってみたくなった。

猫が用を足す。後ろ足で土をかける。「臭いを残せ 結果を残すな」
こんなのも…。
犬が後足を上げて、木の根本におしっこをする。「臭いを残せ 結果も残せ」
イタチが「最後っ屁」をするってのもいいかな。敵がひるんだ隙に、さっと逃げるイタチ。これはやっぱり「臭いを残せ 結果も残せ」

「この広告の斜め下か上に、手製で作って貼ったら面白くない?」という私に
「すぐにはがされるだろうね」と娘。

「生態系と匂い」についてのサイトにこんな考察がある。
「生物の世界は、においに満ちており、植物も動物もにおいを仲立ちにしてさまざまに生命を営んでいる。
 美しく咲く花は、においで昆虫を誘って受粉を行わせ種の保存を図り、昆虫はその花の蜜を吸って個体を維持するように、においは動物と植物の垣根を越えて生物界全体の交流を橋渡ししている。…動物にとっては、においは生きるために必要な食物を探す手がかりであり、敵味方を見分けて身を守る、異性を誘引する、生活圏や群社会を作るなど、種と個体を保存するための貴重な情報である」

人間だけが、こうして消臭剤、芳香剤を商品化して、それによって救われるケースも実際あるのだろうが、(私も毎朝、母のポータブルトイレを洗浄した後、水を張り、消臭シートを一枚入れている。部屋の中に便器があることの不快感はそれによってずいぶん和らいでいる)臭いを絶ち続けることで、生きものとして大事な「信号」を見落とす、あるいは鈍化させているとも言えるだろう。

無臭のさわやかさと、売り上げ数値という結果。そればかりが求められる社会は、一見清潔感に溢れてはいるが、生命力を奪われた社会、いのちより数値(お金)に重きを置くゆがんだ社会でもある。そして多くの生命を危険に曝し、反対の声をこれほどたくさんの人たちが上げているにもかかわらず、原発再稼働へと突き進もうとする今の日本のありようともダブってくる。

匂い考~首相官邸デモに呼応して~

2012-07-13 21:22:33 | Weblog
公衆トイレから出て手を洗う。拭く。その手を鼻先へ持って行って臭いを嗅ぐ。「女の人がよくそうしている場面をみるのですが、男の人はあまり見たことがありません。ほんとうでしょうか?」依頼者の質問に答えて実際にカメラ撮影で確認する。確か「探偵ナイトスクープ」(TV番組)で、ずっと以前に放映していた。

まるで示し合わせたように手を鼻先で嗅ぐ人が続出して、その無意識の行為が笑いをさそった。手のみならず、ものの臭いを嗅ぐという行為を頻繁に行うのは、女性に多いという結論が導き出されたが、改めて意識してみると、確かに、自分も折りに触れてくんくんやっているな、とそのとき気付きもした。

女性にしきりと臭いを嗅ぐ場面が多いのは、守るべき命が身近にある、そうした歴史を繋いできたからなのだろう。
5感のなかで、平均値で女性が男性よりも劣っているのは、動体視力のみで、色彩、視力、聴力、皮膚感覚、嗅ぎ分ける力などは、全て女性が優れているという。赤ん坊を育てるのに好都合な能力を持つものが、より多く子孫を残す可能性が高かった、と動物行動学では説明する。(個別のさまざまなケースはさておき、種として…)

放射能汚染は、そうした優れた5感をいかに研ぎ澄ませても、人間には判別できない。
だからこそ、小さな子どもや赤ちゃんを持つお母さんたちが、苦しんでいるのだ。

営々と築いてきた生命を絶やしてしまうような事態が、政府・電力会社・専門家(原子力村)の手によって、今も進められている。「責任を持つ」というのは、歴史の流れのなかで、次世代の命を守り繋いでいくことだ。

原発再稼働反対! 核兵器NO! 
官邸前のデモに呼応して…

舌鋒鋭く、はやりの回文 

2012-07-11 21:55:41 | Weblog
上から読んでも下から読んでも同じ文を回文というらしい。
子どもの頃、「とまと」「しんぶんし」「たけやぶやけた(竹藪焼けた)」とかを紙に書いて友達と遊んだものだが、他にもいろいろあるようだ。

るすになにする(留守に何する)
かんけいないけんか(関係ないケンカ)
そうだんとはとんだうそ(相談とはとんだ嘘)
さんにんはいがいやいがいはんにんさ(三人は意外や意外犯人さ)
うかつにだむをひく、こくひをむだにつかう (うかつにダムをひく、国費を無駄に使う)

こう並べると、永田町界隈の連中をいいあてたような言葉だ。

「おもしろいことを教えてやろう。今子どもたちのあいだではやっている言葉しってるかい」昨夜の柴野さんの電話。
それは、回文だったのだが、

ほあんいん ぜんいん あほ(保安院、全員、あほ)

「あほ」と言うからには、出所は関西か? こどもは、こんなことを考え出す天才だ。そして、伝播の天才でもある。情報が駆け巡る早さはネットに勝るとも劣らない。
原子力安全保安院ともあろうものが、子どもたちの揶揄の対象にされて笑っている場合ではないのだが、あたっているだけに情けない。子どもたちは、大人のウソを見抜く直感も、切れ味も鋭そうだ。

再稼働反対! 
私も回文をひとつ、ふたつ掲げて、デモに参加…(身動きが取りにくいのでせめてこんな形で)。

せかいはこえを えこはいかせ(世界は声を エコは活かせ)
おこる あるこお(怒る 歩こお)