荒川選手の特集番組を昨夜見てて、凄いなあと感心しました。いろいろ感嘆するところはあったんやけど、一番感銘を受けたのが得意技イナバウアーをプログラムに入れる決断をしたところ。上体を後ろへ大きく逸らす荒川選手のこの得意技は、技術点の採点では1点にもならないらしい。でも、世界の採点員に「Shizukaのイナバウアーが見たい」と言わせる美しい技。美しさを追求するのか、点数稼ぎのためにはずすのか、結構葛藤したらしいね。
結局、荒川選手はイナバウアーを入れたわけやけど(もちろん芸術点に貢献するというねらいはあったやろうけど)、プログラムの間、他の部分ではスピンの回数だの姿勢を維持する時間だのをずっとカウントしながら滑ってるらしいけど、イナバウアーのときだけは頭を真っ白にできて、観客の声援もそのときだけ聞こえたとか。そう聞いて再び見ると、確かにイナバウアーのときの荒川選手の表情がそれまでと全然違って解放されたように見えるし、それがその直後の勝負の3連コンビ・ジャンプに非常にいい流れを作ったみたい。フィギュアのことはよく分からんけど、つまり、点にならないイナバウアーが実は全体の得点を上げるのに大いに貢献したんやろなと。
蟻は、コロニー(アリ塚)を作って、ピラミッド型の組織構造によって生存していく社会的生物。当然働きアリが、それぞの役割をしっかり果たしていくのが一番、コロニーの生産性・生存率を高めるんじゃないかという気がするけど、最近の研究によれば、全員が全員、しっかり働いている蟻塚よりも、うろうろ道草食ったりしてサボり癖のある働きアリがいるコロニーの方が、最終的には生産性が高いらしい。
サボり癖のあるアリさんとイナバウアーをいっしょにすると怒られそうやけど、こういう心の余裕、遊び心、「ハンドルのあそび」なんかがあった方が、何事もうまくいくというのが僕の信条にも通ずるものがあるなあと思うねんな。それに、これって環境問題にも当てはまるし。環境問題は、経済的に見れば「外部性」、つまり経済のしくみの中で、「お金にならない」「経済価値がない」「コストを負担する必要がない」ものとして、「経済的効率の追求」の中でおざなりにされてきた結果、いろいろ不都合があっちこっちで生じてきたようなもんやん。でも、実は(自然)環境って、実は得点にはならないけど全体のパフォーマンスを高める無形の価値を持つ経済のイナバウアーなんちゃうかなあ。たとえば日本でいえば、世界自然遺産に指定されてる知床半島とか屋久島、あるいは絶滅危惧にあるトキとかジュゴンとかは、直接経済にほとんど影響を与えない(むしろ保全していくコストがかかる)かもしれないけど、そういう生態系や生き物がいるのと、いないのでは、長い目で見れば日本の発展にとって大きな違いを生み出してくるんちゃうかなと。持続可能な開発ってそういうことなんやろね。
あと、逆のことも言えて、日本で環境NGOっていうと、崇高な理念の下にストイックに「活動」に取り組むもの、みたいなイメージが一般の間にもNGO自身にも感じられるねんけど、これって「あそび」が無いわなあ。こんなんじゃ、一般の人や企業の理解やサポート得られへんし、続けへんと思うねんな。日本のNGOにはイナバウアーを持つ余裕が無いねんやなあ。
【写真は、ネットから拾ってきたオーストラリアの蟻塚】