モンゴル人は、見知らぬ人のお葬式の参列に遭遇するとその一日運がいいと考えます。亡くなった人が不運を取り去って、まだ使ってない運を残してくれるといいます。そう信じるから遭遇した者は忌み嫌うことなく、南無阿弥陀仏を唱えます。モンゴル人の葬式は仏教と密接な関係にある。
その一日というのがお葬式の行列は大体早朝に行われるからです。
モンゴルには日本のような葬儀屋はいない。死に備えることは縁起が悪いことだと考えられている。だから一般に霊柩車はトラックが勤め、それに親戚などは乗用車などでついて行きます。
土葬が主流ですが、まれに風葬が残っている地方もあります。昔はほとんど風葬だったようです。高い山に置き、鷲などに早く持っていかれれば、行いのいい人だったからその分早く天に召されたと考えられた。
現在は共同墓地のようなところがあり、山の裾や斜面にある。場所は、お坊さんの言葉に従えます。亡くなったら、お坊さんのところに行き、「黄金の箱を開けて」もらいます。「金の箱」は亡くなった人の最後の願いや言い残したこと、お墓をおさめる場所などを教えてくれる。
葬儀屋がないから土を掘ったりするのも親戚の人、棺に納めたりするのは、親戚で、十二支で相性のいい年の人になる。(十二支の相性については前この記事でも触れましたが、十二支の中で自分と相性のいい年は2つあります。つまり自分から数えて4番目と8番目の年は相性がよく6番目の人とは対立するといいます)
棺には亡くなった人の好きなものなどのほかに、「九宝」を入れる。九宝とは金、銀、銅、真珠、サンゴ、瑪瑙、瑠璃、ターコイズ、鉄/鋼鉄をいい、全部そろえれば完全になるという仏教の象徴で、九宝で作られた仏像や書かれた仏経などが残っている。
棺は全体的に黒く、真ん中に赤い線が入っていることが多い。棺の赤と黒の色はロシア式で、ソビエト時代からの名残だと思います。
行列から帰ってきたら、お酒で手を清め、ご飯を食べ、親戚、近所、同僚などがくる。
香典は個人ではなく団体で金を集めて渡すのが一般的。またシャルトス(黄色い油という意味)乳の油をあげることもある。仏壇に灯すZUL(上の写真、専用の器に芯をさし、シャルトスで満たして作るろうそく)のためです。
礼服などはあまり着ない。派手じゃない服装であれば普段着ている服で大丈夫となっています。
香典返しはお香、マッチ(zulを灯すため)、などが一般的。
近所の子供何十人を集め、おいしいものを食べさせ喜ばせるという儀式がある。子供だから笑ったりしてもよく、むしろ子供の幸せで不幸を清めようという意味合いだと思います。
仏教だから49日の意味合いは日本と同じです。49日目に親族で肉の入っていない料理食べるなどの風習がある。お墓参りは日本のように毎年行かない。10年に一回とかでしょうか。家庭によって違います。基本的に家の中で仏壇に遺影を置き、毎日お供えをし、祈ります。
モンゴル人は、さっきも言ったように、死ぬ前から死に備えることを嫌いますから遺書を書くこともあまりない。そもそも社会主義のときは個人財産というものがあってはいけなかったから、相続するものもなかったし、その前の時代にも、死ぬ前に言い残す、そうできなかったときは親戚で話しあう、ということだったのだと思います。
資本主義になった今はきっとお金持ちは遺書を書くということは出てくるでしょう。
ところで49日がなぜ49日なのかわかりますか?
玄侑宗久『中陰の花』という小説に、仏教で極楽浄土は十万億土のかなたにあるという、地球からそこまでの距離を光速で進むと49日で着く、とあります。信じるか信じないかはあなた次第!
写真:www.batkhuu.mnよりダウンロード。
その一日というのがお葬式の行列は大体早朝に行われるからです。
モンゴルには日本のような葬儀屋はいない。死に備えることは縁起が悪いことだと考えられている。だから一般に霊柩車はトラックが勤め、それに親戚などは乗用車などでついて行きます。
土葬が主流ですが、まれに風葬が残っている地方もあります。昔はほとんど風葬だったようです。高い山に置き、鷲などに早く持っていかれれば、行いのいい人だったからその分早く天に召されたと考えられた。
現在は共同墓地のようなところがあり、山の裾や斜面にある。場所は、お坊さんの言葉に従えます。亡くなったら、お坊さんのところに行き、「黄金の箱を開けて」もらいます。「金の箱」は亡くなった人の最後の願いや言い残したこと、お墓をおさめる場所などを教えてくれる。
葬儀屋がないから土を掘ったりするのも親戚の人、棺に納めたりするのは、親戚で、十二支で相性のいい年の人になる。(十二支の相性については前この記事でも触れましたが、十二支の中で自分と相性のいい年は2つあります。つまり自分から数えて4番目と8番目の年は相性がよく6番目の人とは対立するといいます)
棺には亡くなった人の好きなものなどのほかに、「九宝」を入れる。九宝とは金、銀、銅、真珠、サンゴ、瑪瑙、瑠璃、ターコイズ、鉄/鋼鉄をいい、全部そろえれば完全になるという仏教の象徴で、九宝で作られた仏像や書かれた仏経などが残っている。
棺は全体的に黒く、真ん中に赤い線が入っていることが多い。棺の赤と黒の色はロシア式で、ソビエト時代からの名残だと思います。
行列から帰ってきたら、お酒で手を清め、ご飯を食べ、親戚、近所、同僚などがくる。
香典は個人ではなく団体で金を集めて渡すのが一般的。またシャルトス(黄色い油という意味)乳の油をあげることもある。仏壇に灯すZUL(上の写真、専用の器に芯をさし、シャルトスで満たして作るろうそく)のためです。
礼服などはあまり着ない。派手じゃない服装であれば普段着ている服で大丈夫となっています。
香典返しはお香、マッチ(zulを灯すため)、などが一般的。
近所の子供何十人を集め、おいしいものを食べさせ喜ばせるという儀式がある。子供だから笑ったりしてもよく、むしろ子供の幸せで不幸を清めようという意味合いだと思います。
仏教だから49日の意味合いは日本と同じです。49日目に親族で肉の入っていない料理食べるなどの風習がある。お墓参りは日本のように毎年行かない。10年に一回とかでしょうか。家庭によって違います。基本的に家の中で仏壇に遺影を置き、毎日お供えをし、祈ります。
モンゴル人は、さっきも言ったように、死ぬ前から死に備えることを嫌いますから遺書を書くこともあまりない。そもそも社会主義のときは個人財産というものがあってはいけなかったから、相続するものもなかったし、その前の時代にも、死ぬ前に言い残す、そうできなかったときは親戚で話しあう、ということだったのだと思います。
資本主義になった今はきっとお金持ちは遺書を書くということは出てくるでしょう。
ところで49日がなぜ49日なのかわかりますか?
玄侑宗久『中陰の花』という小説に、仏教で極楽浄土は十万億土のかなたにあるという、地球からそこまでの距離を光速で進むと49日で着く、とあります。信じるか信じないかはあなた次第!
写真:www.batkhuu.mnよりダウンロード。
日本でも、40年位前まで地方によって、土葬はありました。今はほとんど火葬です。風葬というのは、日本の「姥捨て山」の考えに似ていますね。
49日の考えは、私の解釈では少し違います。
近しいものを亡くした今、一番私の中で納得のいく話なのでご披露します。
日本では、死者は7日毎、7回の試験を受けて人から仏になると言われています。
今では「初7日」と「49日」がクローズアップされてますが、本当は「初7日」「ふた7日」「み7日」
、、、、と7回で「49日」を迎えます。
7日毎に死者は試験を受けているので、残された者は「がんばれ!」という意味でお経を唱え、「励まし」ます。
第1回が「不動明王」、次が「釈迦如来」「文殊菩薩」「普賢菩薩」「薬師如来」「地蔵菩薩」「弥勒菩薩」と順に試験を7回うけ仏になります。
「49日」までは「お骨」(おこつ)は家においておきますが、仏になるとお墓に入れ、「戒名」(かいみょう)といわれる仏の世界の名前を書いた「位牌」を家の仏壇に祀ります。
いろいろな考えがありますが、私はこの考えが一番納得できたのでこれを信じています。
49日の解説ですが、書いてくれた解説は前読んだことがありました。
光速の解説は、きれいだな、と思った解釈だからです。
しかし、遺族が「がんばれ」と応援を送っているのだということははじめて知りました。いい話ですね。ありがとうございました。
姥捨て山ですが、モンゴルにも昔、移動の邪魔になるからとお年寄りをわざと羊の尻尾の脂肪をのどに詰まらせて死なせおいていった、という伝説があります。
わざと死なせたのも、亡くなったのも、置いていって振り返らないという点では同じかも知れませんね。
風葬は今で言えばエコーだなとも思いますが。モンゴル人は土を掘ることを怖れるということもあるのだと思います。
とても勉強になりました・・・
やっぱり国が違えば、いろいろ違いますね。でも日本とモンゴルでは、以外なところが共通してたりしますね。
とても興味深いお話でした。
ためになります。