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2023.2 翻訳と日本の近代読書感想2。私は読書感想も、それは読書感想とは呼びませんし呼ばせませんし呼べませんというようなこととしてしか読書感想が書けなかった私だった。

2025-06-03 23:52:40 | お図書紹介篇

2023.2.20

遠因について。

それほど執念がないというか、畑の義理事と義理人情があるのではないか。


2023.2.23

アインシュタインのおっさんが、ユビケガずっとやってるんと、それとは違う我々のそれなりの社会性である科学者やってるんと、どちらが利害があるのかないのか。

ユビケガやってりゃそのアインシュタインというもんでの、当然彼の活力としてだろうが、その脳ミソ、そしてユビケガやってるわけだからその脳ミソならば、違うアインシュタインになることを辞めたわけだが、最も強制力のある部分である国のデイリ違いの社会性としての国のデイリがアインシュタインになかったことが先ずもって存在したことが基本原理のワンコンプである。たぶんアインシュタインはユビケガとしても何かぶったまげる構築が出来た可能性はある。その道を諦めたわけだ。

その道を諦めて、アインシュタインのドリョクショウが人類よりもはやかった。

間違いなくそれはアインシュタイン(人類)が遅かったとも言える部分だが、はやかった。

確かにアインシュタインの名誉だろうし、その枠組み柄の名誉でもあんだっぺが、アインシュタインは必然的に、人類に名誉を与えていくことが先ずもって先立つ。てめぇの権能、能力を、てめぇの権能、能力では絶対的に不可能なことを。

アインシュタインはアインシュタインではアインシュタインならず。人類をもってしてアインシュタインになる。

よう知らんけど。学研の誰でも分かる相対性理論みたいな本を凄まじい真剣さで読んだ私としては。


人類史は野蛮でなければ人類史にならずという部分か、人類史は野蛮であれば人類史になるという部分に関しては、それなりの発展性と発達性なる部分で、枠組み、段階、機能性などとしてどのようにそのようになっているそれらかということはどうしたって皆様方、それらとしてという部分が時空間としてあるもんだ。

野蛮を知恵と言い換えてもいい。

知恵あるものがどちらさんにも。

野蛮なるものがどちらさんにも。

どのような野蛮か。どのような知恵か。

どこが野蛮か。どこが知恵か。

いつが野蛮か。いつが知恵か。


2023.2.27

終盤を読んでいる。

このおっさんらの基本原理が違うからだが、翻訳の枠組みという基本原理だな。

翻訳そのもので、翻訳が先立つ可能性を恐らくは一切念頭にない。翻訳そのものの創造性に気づくわけだし、理解しているわけだが、ソース、種本と言っても差し支えないが、翻訳の本義、本分ではなしに、そして翻訳からのということではなしに、翻訳からの展開物というものを恐らくは紙面の関係か対談時空間の制約かで省いたか、それを欠落させなければこの本そのものの本分を全うできんという類いだな。

翻訳そのものだけでカイリセイの創造がある。

それがどうなるかのドリョクショウはあるにしても、そのカイリセイ、人間性と社会性といってもいいし、人間性と社会性と、人間性と社会性のためととしては、こういうモサモサとは違うモサモサがいるわけであって、唯物だろうが現物だろうが、批判、非難が出来ぬことは基本原理として人類にもないわけでな。それそのものこそもという部分もなもんで厄介というよりは余興発展主義とでもいうか。

ここはもちっと考えよう。


I have a dream.

これを日本語で翻訳するとどうなるか。

社会性としては、私には夢がある。

ちと胆略に過ぎても、愛があるのは夢である。日本語なればだが。

その日本語の効用の白眉は、私はハブが夢である。

機能性かシカトという名の自己犠牲かで違うけれど、概ねパッと日本語の翻訳として考えるとこういう類いである。

ドリーム(アドリーム)そのもので構築可能だが、そこまで私は暇ではい。

ドリームスとの比較論までもいくほど私は暇でもない。

1 have a dream.というシコウセイも展開するほどにもそれほどたったひとつのア ワードに固執していく困難に私は魅力を感じない。

アイハブアドリーム。

発声だと、アイワブアドリームとか。

このようにスマホ画面で打ち込んでも、ノートに書くにしても、逆さまに読むのとまた違うからな。


最近ということでもないけども、二日続けて晩飯悩み、二日続けて辛ラーメンとカレーライスを食べた。

カレーライスはカレーとライスを別に食べることを好むが、カレーがぬるくてご飯を混ぜて食べたら手間がねぇということで二日続けた。

そして食後の喫煙時に、I have a dreamを展開してたら私の性分で、下らねぇこと考えちまって一人でささやかに、そしてひっそり笑った。

なんてこたぁねぇ。数年前にてめぇが考えたことをこうして適用して書いてることを展開していくことをしてなかったので、そのポテンシャルが、私の未発達の脳ミソだと少しここで書くのも躊躇いがちな低能な展開は私独自のものだから、面白いけど面白いこととして考えることでもないもんだから控えよう。意外と私は節度がある。このポテンシャルを考えることが少し出来るようになったという意味では、このそれなりに大変に面白い本はそのような対話編ということが、この本を考えるについて対話編としての意識としての本分からの私をこの読書での、この本との対話編から、私が私へ対話編ということの比率が向上したけれども、なんてこたぁねぇ。I have a dream.を余興言語としての展開に一時浸ったようなもん。

勇気があるね。この二人のおっさんら。この本の関係者。そしてこの本をが流通されている日本は。

この本も。ということだがな。

リョウシキキカンセツとしてその程度の余裕というよりは、リョウシキキカンセツへのドリョクショウになりゃぁ世話ねぇのは、何人も7W1Hだからな。7W1Hそのものすらぁやっ🎵

ちょぅと歌ってた時によくこのフレーズを万能細胞のようによく混ぜてたな。

モスラ好きでもねぇんだが。

ああいうもんに既に親と子、大人と子供のジュキョウへの勇気はあったのは間違いないけどな。興味がないけども、子供心のキンセンカンカクには触れるだろ。

怪獣だとジャミラだな。

ジャミラだけ私は印象派。

カプセル怪獣というのはアイデアだと思う。メガネとな。商品化の問題か知らんけど。

赤メガネってぇのが本筋だろうな。

あっちの。

それになってねぇと不細工だからな。

その不細工よりゃぁそれになってねぇ不細工として。

独断だが、偏見はない。

偏見とも呼べるし、偏見でジジョウショウの輩もいるからどうということもねぇんだが。

英断色を好むにしなかったことも大切な一手でしょ。


2023.3.1

読了。

一緒に読んでた「法と日本語」も負けず劣らず面白くはねぇが面白い本なので、今日からはこちらを読み進める。

対談本のうまいとこは、基本の無理や矛盾が際立つことが先ず薄められることだと思う。その無知や矛先が際立つことを先ず薄められることでもと。


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