恩師 山田 一先生をしのんで研究所通信「最終号」を発行しました
恩師 山田 一先生が9月1日に亡くなられて、10月に偲ぶ会が行われました。
先生が社長をされていたちょっと変わった名称の博士国際協同研究所(DIC研究所)では機関誌(季刊誌)「DIC研究所通信」を発行してきました。
このまま終わらせずに、せめて最終号を出そうというご意見が沢山あり、私が編集を引き受けました。
引き受けた理由:
お付き合いが長かった
沢山迷惑をかけた
これまで校正のお手伝いをしてきた
酒を飲むと山田先生に絡んでいた
DIC研究所通信の読者がどうなっているのかも分からず、連絡のつく皆様に原稿と発行費用のご寄付をお願いしました。
59名の皆様に原稿をお寄せいただき、また69名の皆様に費用の援助をいただきました。
DIC研究所通信最終号の概要:
発行日:12月27日(先生の80歳誕生日から8ヶ月)
体裁:A4,72ページ、カラー版
山田先生の自分史+59件の寄稿原稿+先生の写真集など
下に抜粋を置きます。
pdfでアップする方法を知りませんので、jpgファイルにしてあります。
画像をクリックすると拡大画面でご覧いただけます。
★目次
★本文の一部
★先生の写真の一部
★最終ページ
沢山の皆様からご支援とご協力をいただきました。心よりお礼申し上げます。
山田先生を偲ぶに相応しい、心のこもったそして明るい最終号になったと感じております。
ご関係の皆様にはこの「最終号」を12月26日にくろねこメールで発送致しました。
名簿に不備があり、自分には届かないという方がおられるかもしれません。
この場合、ぜひ山本へご連絡をお願いします。
また購読者ではないけれど欲しい、という方がおられましたらご連絡ください。
部数に余裕がありますのでお送り致します
山田 一先生のご冥福をお祈りしています。
しみじみと、合掌。
yama-yukiのブログの先頭へ→
HPの入口へ
恩師 山田 一先生が9月1日に亡くなられて、10月に偲ぶ会が行われました。
先生が社長をされていたちょっと変わった名称の博士国際協同研究所(DIC研究所)では機関誌(季刊誌)「DIC研究所通信」を発行してきました。
このまま終わらせずに、せめて最終号を出そうというご意見が沢山あり、私が編集を引き受けました。
引き受けた理由:
お付き合いが長かった
沢山迷惑をかけた
これまで校正のお手伝いをしてきた
酒を飲むと山田先生に絡んでいた
DIC研究所通信の読者がどうなっているのかも分からず、連絡のつく皆様に原稿と発行費用のご寄付をお願いしました。
59名の皆様に原稿をお寄せいただき、また69名の皆様に費用の援助をいただきました。
DIC研究所通信最終号の概要:
発行日:12月27日(先生の80歳誕生日から8ヶ月)
体裁:A4,72ページ、カラー版
山田先生の自分史+59件の寄稿原稿+先生の写真集など
下に抜粋を置きます。
pdfでアップする方法を知りませんので、jpgファイルにしてあります。
画像をクリックすると拡大画面でご覧いただけます。
★目次
★本文の一部
★先生の写真の一部
★最終ページ
沢山の皆様からご支援とご協力をいただきました。心よりお礼申し上げます。
山田先生を偲ぶに相応しい、心のこもったそして明るい最終号になったと感じております。
ご関係の皆様にはこの「最終号」を12月26日にくろねこメールで発送致しました。
名簿に不備があり、自分には届かないという方がおられるかもしれません。
この場合、ぜひ山本へご連絡をお願いします。
また購読者ではないけれど欲しい、という方がおられましたらご連絡ください。
部数に余裕がありますのでお送り致します
山田 一先生のご冥福をお祈りしています。
しみじみと、合掌。
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