yanの気まぐれ山雑記

山行記や山野草について綴っていきたいと思います。

平戸往還「清水川湧水のタブノキ」(長崎県川棚町)

2024年05月18日 | 平戸往還

日時…2024.5.15(水)  天気…晴れ

 

本年の4月10日、川棚の庄屋跡から彼杵宿までの平戸往還歩きを致しましたが、時間の都合で訪問をパスしていました「清水川湧水のタブノキ」(川棚町)に訪問致しました。

  

 

※印の画像は2024.4.10に撮影。

  ❿地点

 

  国道が見えてきました

 

  ⓫国道に出ました。 往還は赤点線のように通っていたようですが、現在は国道や鉄道に遮断されていて又藪になっていたりして、往還は不明でした。 4月10日の歩きでは左折して→印の方へ進みました。

 

本日はJR大村線の川棚駅からの歩きです。

川棚警察署前(国道)を通って、右側の線路を渡るべく踏切を探しながら進むと「数石踏切」(かずいしふみきり)が現れた。右折、線路を横断。地元の方が歩いてこられたので、お尋ねさせて頂く。 場所は住家の横になっていました。

 

  数石踏切 

 

 

 

  清水川湧水のタブノキ (南方角から撮影)

 

  当画像並びに説明文は令和3年4月8日付け川棚町教育委員会様HPに掲載の「タブの古木」を借用致しました。感謝。 説明文に「高さ約15m,幹回り目通り6.2mの古木である。平戸街道ばたに立ち樹下に清冽な井戸水が湧いて、旅人に安息の樹陰を供していた」とこのように書かれていました。

 

 

 

 

 

  往還は北上して⓫の往還に繋がっていたようです。

 

  「江戸時代平戸街道はここから北上 根元に泉も湧いて旅人は憩いの緑陰を供した」と書かれています。

 

 

 

  殿様や行列の随員、一般旅人たちがこの大木の下で喉を潤しながら、一休みしていたのが目に浮かんでまいりましたね。

 

  ⓫の道標 前から

 

  「清水川湧水のタブノキ」を写す。撮影した所からは直接は行けないようでした。よって踏切は国道を右の方に歩くようになっています。

 

  同上から彼杵方面を眺める(国道より) 

 

 街道や往還を歩いていた江戸時代には、自動車、汽車、オートバイ、自転車、エンジン付き船舶等は一切なかったのですから、自分の足が頼りだった訳です。現代の私達は本当に幸せものと思いましたね。

このような時代に主権国家を侵略したり、難民が住んでいる地域を誤爆と云いながら無差別攻撃している国家がありますが、人間のすることとは到底思えませんね。どうか一日も早く解決してほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

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