大和を歩く

大和憧憬病者が、奈良・大和路をひたすら歩いた日々の追憶

044 法円坂・・・難波津の聖なるラインとぼとぼと

2010-12-08 08:04:41 | 難波
大阪に「大阪城」という《地名》があるとは知らなかった。城の北西「京橋口」から入城しようとして、「中央区大阪城3」という路上標識に気がついた。かつての富士山測候所だって「静岡県富士宮市剣ケ峰」という《住所》があったのだから、日本の国土はすべからく地番が付いているのだろう。従って城も例外でないわけで、調べたら「大阪城」という住所には郵便番号もあった。それにしても、余りに「そのまま」の町名ではないか。 . . . 本文を読む

043 四天王寺・・・混沌は1400年の一夜夢

2010-12-07 10:01:27 | 難波
猛暑の中、四天王寺に出向く。寺のはずなのにどういうわけか鳥居をくぐって「大日本仏法最初四天王寺」という大きな石碑の立つ西門から入る。法隆寺と並ぶ存在として、日本史や美術史では必ず教わる寺院だが、たびかさなる戦火で創建当時につながるものは皆無のようだ。それでも異常な暑さの中をやってきたのだから、300円を納めて昭和の伽藍に入ってみる。発掘調査に基づいて正確に再建されているはずなのだ。 門、五重塔 . . . 本文を読む

042 天王寺・・・王将も窮屈そうに化粧して

2010-12-06 14:15:26 | 難波
大阪の人々にとって「天王寺」とはいかなる街か。私の「大阪暮らし」は13ヶ月に過ぎなかったから、街に抱く大阪人の心情を理解するには不足だった。ただ「東京で言えば《上野》かな?」と想像した程度である。「訛り懐かし停車場」かどうかは知らないが、交通の拠点で公園があり、動物園があって美術館があり、そして露天暮らしが似合う、懐かしいけれども落ちつかない街、という印象である。だから天王寺は、上野によく似てい . . . 本文を読む

041 住吉・・・反り橋を渡れば社殿の船が行く

2010-12-05 09:53:36 | 難波
スミヨシという響きを耳にすると、磯の香の漂い来たるを覚え、海を思い浮かべる。わがDNAには、スミヨシ=スミノエ=ミナト=ウナバラ・・・が環となって連綿と続いているらしい。そしてその環は決まって「神」で結ばれる。全国津々浦々、湊のあるところ、常に住吉の神が鎮座しておられる。津も浦もミナトである。津々浦々とは「住み善し」のことか。こんなことに感懐を覚える私は、泳ぎが不得手なのにもかかわらず、海の民の . . . 本文を読む

040 堺・・・陸と海境に在りて割り切ろう

2010-12-04 07:18:00 | 難波
役所が一番目立つような街は、ろくな行政が行われていないものだが、堺市役所は飛び抜けた高層ビルで、最上階が展望ルームになっている。休日も開放されていて、私のような旅人には格好の施設だ。北に大阪の街、東は大和を隔てる葛城の稜線、南には百舌鳥古墳群、そして西は大阪湾に向かって広い並木道が延びている。地図には「竹内街道」とある。「そうか、ここにたどり着くのか」と、私は市役所ビルのおかげで感動に浸ったので . . . 本文を読む