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NHKスペシャル 3.11 あの日から2年 ~大川小学校 遺族たちの2年~

2013-03-10 08:32:25 | 災害
NHKスペシャル 3.11 あの日から2年 ~大川小学校 遺族たちの2年~より

2013年3月8日(金)午後10時00分~10時49分

巨大津波によって全校児童108人のうち70人が亡くなり、4人の行方が今もわかっていない、石巻・大川小学校。学校の管理下で唯一、多くの犠牲者を出した“震災最大の悲劇”といわれている。
NHKは、震災半年後に放送したクローズアップ現代「巨大津波が小学校を襲った」の後も、深い悲しみを背負った遺族の日々を見つめ続けてきた。子どもという「希望」を失った家族や地域が、再生への一歩を模索している姿を記録し、この大災害が人々に何をもたらしたのか後世に伝えるべきだと考えたからである。
番組では大川小学校の遺族の2年の月日を見つめる。





NHKスペシャルより

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ドキュメンタリーを見ました。

たくさんの震災関連番組を録画しても、なかなか観る気持ちがわかなくてどんどんたまっていくのですが
3.11を前に視聴しました。

中でもこのドキュメンタリーは、知らなかった側面と苦悩があることを静かに
けれども確実に伝えている内容で、新たな苦しみの原点ともいえるし、対策の必要性や災害に対する今後の指針に
大きな影響を与えるものと言えるでしょう。

10人の教職員が犠牲になる中、その遺族は・・・
『子どもたちを守れなかった』という責任を感じて悲しみを声を上げることも出来ず
『息子が子どもたちを助けられなかったのは事実ですから、その気持ちはどこまでも持っていかなければならないのだと思います。』と4年生の担任だった27歳の佐々木先生のお母さん。


また3番目の子ども(大川小学校6年)みずほちゃんを亡くした父(学校の先生)の苦悩。大川中学校の佐藤先生
『もし自分が大川小学校の教員だったら子どもたちを助けられただろうか?先生だけを責めることはできないと思う』
なので、声を上げることができずにいた。


大川小学校保護者、ひろあきさん、3人の子どもと奥さんを亡くした。
おじいちゃんの幸一郎さんと母親と一緒に暮らしています。
幸一郎さんは、小学校近くに家があったのに孫たちを守れなかった自分を責め続けています。
ひろあきさんは、重機を使って大量の土砂をかき分け、
まだ見つかっていない一番下の息子さんの遺体を自分の手で探しています。
(ショベルカーが欲しいなんて・・・私の書いた文章が恥ずかしくなる)


そんな中、
ひろあきさんはキムチづくりを再開し、子どもたちの名前を付けた商品を生み出す。

佐藤先生は、記者会見に臨む覚悟を決める。

佐藤先生の奥さん
『74人の地域の宝を一瞬にして学校で亡くしたという、このあまりにも重い事実を本当に真正面から教育委員会の先生方には受け止めてもらいたい』

佐藤先生 自分が教師であることをあかし、残された大人たちが自らの責任を果たしていこうと訴えました。
『学校は、おれがやってる職業は、教員は、信頼されるべきだと。黒い波にのまれていった子どもたちの辛さや恐怖を思えば大人が、親が、立場的に辛いんだとかそれを理由にしてはいけないと思いました』

その後、専門家による新たな検証が行われることになった。

この記者会見の中で、遺族から『亡くなった先生を恨んでません』とのコメントがありました。
佐々木先生のお母さんは、ずっと負い目があったので初めてこの言葉を新聞でみた時嬉しかったと涙しました。

この佐々木先生のご両親がいつも持ち歩いているのは、4年生のクラス写真。
畑仕事を続けるお二人の隣の畑に偶然、お互い知らぬまま菜桜ちゃん(佐々木先生のクラスの生徒)のおばあちゃん(阿部さん)が越してきました。阿部さんは、教師の家族の複雑な心の内を知りました。
『家族を亡くしたんだけれどまた違う苦しみもあったんだ、だけど亡くした家族は皆気持ちは一緒なんだと思って』と語る。

阿部さんは、佐々木先生のご両親の育てた葉牡丹を小学校に飾らせてほしいとお願いします。

でも葉牡丹と一緒に小学校へは行きませんでした。

菜桜ちゃんと佐々木先生が繋いだ縁です。菜桜ちゃんのおじいちゃん阿部良助さん手づくりの段が葉牡丹を待っていました。
『偶然繋がってねえ、孫と先生が一緒になってやったようなもんだ。まんず、あっちでみんな仲良くやってるんでねえか』
(辛いドキュメンタリーでしたが、このおじいちゃんの言葉でいくぶん救われましたね)

一週間後、多くの遺族が集まる月命日の前日、ひとけのない学校に佐々木先生のご両親の姿かありました。
立派な棚に飾られた葉牡丹が、子どもたちの記念写真のようだと涙します。

佐藤先生は、遺族として検証を求めてきました。今、教師として防災教育を広めるための活動をしています。

74人の生徒と10人の教職員が亡くなった大川小学校。
大人や親たちの子どもたちへの想いは変わることはありません。

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そうして、このような悲劇の中にも、お互いを思いやる気持ちでつながってきていることを知りました。
だからこそ、この悲劇の検証をしっかりやって、二度と学校で子どもたちが犠牲になることがないように
今後の防災対策に活かしていく、そのことでしかこの悲劇を乗り越え前に向いて行くすべはないのかもしれません。

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