とうとう東京5年目・・・論文を書くぞ><(うまくいってないのに、この人生は本番という現実(゜Д゜ )ノ)

中小企業で8年、海外1年弱。初東京。社会人大学院長期履修3年目。やりたいこと探し中、、、いや、まず論文かくべし

新幹線は普通に座れた。

2007年05月03日 18時29分33秒 | 休みの日
16:35発の新大阪→福岡のレールスター。

16:31に乗ったのに座れた。
一人って楽だなあ。

帰省3時間の中で
日誌書いて、転寝して、読書して、ぼおーっとした。

斉藤孝の『座右のゲーテ』の中で
 
 趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによって
 のみ作られる(中略)自分の趣味をちゃんと確立すれば、ほかのものを判定
 する尺度を持ったことになり、ほかのものを過大でなく、正当に評価するよう
 になるだろう

というゲーテの言葉が紹介されており、そのとおりだなあと。

好きとか嫌いとかいう前に、まず本当に価値あるものを知ってたら
世界は大きく広がるんだろう。


基準があってものを言っている人間と、本当に独りよがりで言っている
人間とは、まったく違うものである。

「ものを知らないことは恥ずかしい」とは昔の人がよくいう言葉である。
どの世代にも共有されている“スタンダード”の知識を持っていることこそ
文化の形成の上でも、個々人の人間性向上にも必要なんだろう。


生まれてからずっと、人は世界の影響を受け続けている。
その影響をうまく受け入れていけるか。



基準をもった人間は、価値ある情報を持つからお金を生み出すことも出来る。
たとえば「営業」であても、若いうちは、元気のよさや無知ゆえの無謀さで
強気に頑張れば売れる。

しかし、とことん勉強して得た知識をもとに「この人に会う価値がある」と
クライアントに思われるくらいになれば、本物であるように思う。


私は営業という仕事がとってもうそっぽく感じるところで苦しんでいる。
けど、いい営業と悪い営業がいて、それを選べるのが資本主義だから
選ばれる営業になることがプロというのは何となくわかる。

営業が嫌だから、その境地を目指したいと思わないようしてたけど
自信がつくまでとことん遣ってみることも大切なのかもとも思い始めた。


仕事を認められたい、ほめられたいという気持ちがあるのは
仕事が遊びになっている証拠である。その域に達してこそ楽しい。


より高みに上り、より広い世界を見渡せるようなって
異質なものをどんどん取り込んでいくことこそ人間の喜びなのかもしれない。


高校生のとき、数学教師から
「ぜんぜん違うはずの分野の道を歩んでいくと、頂上はつながっていたりする」
との話があった。私にとって今までで一番印象的で、教師に出会う喜びを知った
時間でもあった。

あと中学時代の体育教師の
「趣味をつくれ」というのも耳に残る。

…仕事を趣味にしてみたけど、停滞気味。仕事のアイデアは遊びにあったりする。
とことんまでのめり込んでみること、それがきっと私には必要。


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