若い頃から滅多に病院に行く事はほとんどない生活でしたが、
3月の終わりに誤嚥を起こして以来定期的に病院通いをしています。
誤嚥でしたが肺には問題は無くて、逆流性食道炎と高血圧の診断が出てお薬をいただいています。
最初何の病気で病院に行ったのかが分からないような、違う病名で「あれれ?」みたいな結果でした。
現代は高血圧の基準が140くらいのようですが、昔は年齢プラス90くらいの数値じゃなかったかなと思います。
最近の診察状況が昔と随分変わりましたね。診察らしい診察はないのですね。検査とパソコンの患者のデーターで診断が出されるのでしょうか。
今回の医師は若いためか、しっかりと顔を見て説明されますが、最近は医師はほとんど私の顔を見られていないです。
患者の顔を見ずパソコン 画面ばかり見て診察されるのがビックリです。
患者数が昔と違ってかなり多いのでのんびりと診察は出来ないのでしょうかね。
私も診察を受ける時に昔と気持ちは違って来ています。昔はお任せで、言われるままにお薬もいただいていましたが
最近は疑問な事やお薬についても分からなければ質問して、納得した上で診ていただいています。
自分の病気の治療は生き方に直接関係して来ると考えていますので納得したいなと思っています。
例えばガンなどの病気になった場合は、治療は抗がん剤は使いたくないと今は考えています。
ただ自分がそう考えていても家族がどう考えるかで、ここは問題が出て来ますね。
延命治療もそうですね。本人が延命治療を望まなくても家族にしたらそれを「そうですか」と出来ない難しい問題に直面します。
抗がん剤などで苦しみながらほんの少しだけ長生きするより、寿命が少し短くなったとしてもギリギリの最後の時間まで出来るだけ自由に動ける時間を大切にしたいと思うのです。
知人とか親戚とかいろいろな人のガンの生き方を見て来ましたが、抗がん剤治療を受けていないのが一番幸せな時間が過ごせるように感じたのです。
一部の事例だからすべてには当てはまらないと思いますので、その場に直面した本人と家族が考える問題でしょうね。
これは高齢の場合です。若かったら治療を受けると思います。病気の進行度が違いますので、同じ選択は出来ないと思います。
高齢になってからどういう選択をするかは、少しでも長生きを望むのか、少しでも動ける自由な時間を望むのかの選択が生き方に関わって来るように感じます。
病気で動けない時に自分自身がどういう生き方をしたいのか、何を優先させるのかで選択は変わりますね。