今日のブログは「2014年イオラニチャレンジ回顧録2」なんですがこちらがそのときの前半のできごとです。
この前書いた回顧録1を読んでいて、この前も書いておいた方がいいよな~~・・・。
と思い書いてます。
回顧録1が後半。
回顧録2が前半。
と前後逆になってしまいますがまた改めて通して読んでいただけると、なお臨場感が増すのではないでしょうか?笑
後半となる「回顧録1」はこちらです!
私のフラ人生で初めての挑戦!
チャレンジとは言っているけどやることはコンペティション!
決してゆるくはありません。
PANAとして、クムケアラの弟子として日本からの初挑戦!
私のフラをみせるときでもありました。
ハワイでのコンペティションとなると支度も大変です。
マクアヒネカテゴリーでの出場。
ルールはマクアヒネまではカヒコとアウアナと両方踊らなければならない!
参加人数はグループの場合ダンサー5人まで。
参加希望者がいるか生徒にたずねた。
名乗りを上げたのは5人のダンサーでした。
しかし・・・
はっきり言ってそのときのダンサーでは入賞はできないな・・・と思った。
まだしっかりグラウディングしてステップが踏めているダンサーがいなかったから・・・楽器だっておぼつかない・・・そしてまだ皆の精神力が未熟だったから。
たとえば私的に考えるとステージに上がる時1列目に出られる人、2列目の人ってやっぱり何かが違うんだと思うのね・・・。
それは技術的なことも、精神的なことも含めてね・・・。
立候補のほとんどがその2列目に立つダンサーだったの・・・。
なにかしら問題を抱えている生徒が神様に選りすぐられたって感じだった。
でもね、気を取り直して、みんなのやる気にかけよう、みんなでチャレンジして個々にもっている問題を乗り越えようと思った。
もちろん私も問題を抱えていた。
指導者としてのチャレンジだった。
そのうちの一人が確か・・・1,2か月前に病気を患い出場を断念。
残った4人のダンサーで出場となった。
抜けた分のフォーメーションを変えたりは残された時間でなおさなくてはならない・・・グループはそういうところも大変だ・・・。
グループはとにかくダンサー同士のコミュニケーションとお互いの信頼が不可欠!
いつまでもあの人とはウマが合わないから・・・とか言ってる場合ではないのです!
みんなが変わらなくてはならなかった。
そこが一番のチャレンジ。
クムの日本での指導もたしか・・たった1回だけでした。
その時にフォーメーションも決めてね・・・
あとは本番までひたすら楽器の使い方を教え、チャント、カヘア、ダンスの繰り返し。
ダメ出しの連続。
お互いの根競べ。
曲が決まったらそれに合った衣装やレイも考えます。
イオラニのルールでティリーフのパウを身につけること、楽器を使うこととあるので・・・
カヒコ曲は「‘Apekepeke」
アウアナ曲は「Kalaniana'ole」
カラーはアリイカラーと神聖で無垢な純白と決めた!
たしか・・・アウアナのブラウスがマクアヒネらしくなく・・・あまり肌を露出しない方がいい。とのクムからの助言が・・・確か・・・出発1週間くらい前だったように記憶する・・・。
大急ぎで同色のブラウスを探してギリギリに届いて衣裳変更。
なんでいつもギリギリなの~~~^^;
とにかく間に合ってよかった!
コナに着いてからティリーフ採取。
パウ作り、レイ作り。
本番の数日前のコナのメンバーのレッスンにも参加させてもらい、いきなりクムから皆さんに披露しなさい!と命ぜられハワイの仲間の前でアウアナをダンスした。
クムケアラの作ったテンポの良い楽しい曲。
生徒たちもリラックスして楽しそうにダンスしていた。
この感じのまま本番にいってくれたら案外いいな~~という感じで、私たちの頑張りをクムもたいそう喜んでくれていた。
いろいろハプニングがつきものだけれど・・・
前日の夕方にクムに任せておいた赤いプルメリアの都合がつかないことが発覚!
クムは自分のケイキ達の支度でバタバタ・・・。
ユカリどうするんだよ!今から取りに行けよ!
クムも私もイライラ、イライラ。
何~~~?今さら~~???
どこに~?今から~~・・・早くしないと日が暮れちゃうよ~~~!
ハワイアンホームステッドの基盤を作った「Kalaniana'ole」を讃える曲がアウアナ曲。
ホームステッドを表す花がプルメリア。
衣裳もハワイアンの歴史と繁栄を讃えていることが伝わるようにした。
全部全部がハワイアンへの感謝、フラをさせてもらえている感謝を伝えたいと思っていた。
私たちは大急ぎでオールドエアポートに長い竿をもって行きました。
幸いにプルメリアはたくさんの花をつけていた!
プルメリアさん、明日のコンペに必要なんです。どうか私たちにお花を下さい!とお願いをして大急ぎで集めました。
とにかく日が暮れたら見えなくなっちゃうから・・・日暮れはもうすぐ。
まずは下に落ちているきれいな花から集める。
量が全然足りないので竿でたたいて上の方の花を落として集める。
4人分のクーペエとレイアーイ。
どれくらいの量があればいいんだろう?
無駄にもしたくない。
一緒についてきてくれたアンティリリアンはとてもおおらかな人。
私たちのアセアセな気持ちを読み取って「大丈夫、大丈夫!もうこの辺にして帰ろう!」
と彼女らしく支えてくれた。
本番当日は私たちのアウアナの衣装が黄色だからと同じ黄色のドレスを着て応援してくれた!
このプルメリアは翌日の本番当日の朝に編むことになった。
今さらアセアセしたり、イライラしたってしょうがない。
とにかく無駄にしないでレイを編もう!
さてと、すべては用意できた!
会場に向かう。忘れ物はないね?大丈夫だね?
ワクワクするね!
しか~~~~し、私にはまだやることが残っていました。
それは!
当日のジャッジインタビュー。
グループで参加の場合は先生がジャッジとインタビューをしなくてはなりません。
超緊張!!!泣
ひとりずつ個室に入り、マンツーマンでジャッジと対面。
2014年のジャッジはそれは厳し~~~い方たちでした。
もちろん顔見知りのクムもいましたけどジャッジとなれば話は別。
え・・・・^^;
私の前に入っていたクムフラが泣いて出てきた・・・。
なんでなんで?どうしたの?何があったの???
通訳の先輩フラシスと中に入る・・・全員に笑顔はない。
シートをみながら私を見る。
まずは自己紹介。
第一声はクムコリン。
「あなたは日本人で英語もハワイ語もわからないのにどうやってフラを学ぶのですか?」
「・・・・。」
ドキドキ、ドキドキ・・・頭パッカ~~~~ン^^;泣
「ハワイ語の辞書です。わからない言葉は全て辞書を使って調べます。クムの話、ハワイの人々の話をよく聞いて学びます。体験も大切にしてます。ハワイの人々も全員がハワイ語がわかるわけではないですよね?そういう時みんな同じように辞書を使って言葉を調べたりして学んでいるんですよね?それと同じだと思います。」
とかなんとかグルグルしながらも答えたんだ・・・。
「辞書は使っているのね・・・」
こんな感じで私のインタビューは始まったのでした。
もう一撃でした。
なんとか最後まで頑張らなきゃ、ほんとにしょっぱなから頭グルグルでした。
この後は・・・クムワンダ。
「このアウアナの曲の人は誰で何をした人なの?知ってるの?」
「はい、本名は云々・・・・・で、ハワイにはとても大切な土地の問題を解決した人で云々・・・・・、ハワイアンホームステッドとは云々・・・・で、・・・・他に云々かんぬん・・・。」
次はクムカエア。
「自分で衣装は決めたの?それともクムに決めてもらったの?」
「自分で決めましたがクムにも相談しました。」
「何を意味してるの?」
「カヒコの衣装はハワイアンの文化としては切ってもきれないカヌーの話で・・・・云々。日本でも神聖な儀式で・・・云々。アウアナのカラーはアリイの色とハワイアンの血の色・・・・云々。」
もう自分で何言ってるのかしら~~~?状態。
でも、質問はまだまだ続きます。
楽器の意味や、伝えたいこと、思いなどなど・・・。
10分くらいのインタビューはやっと終わりました・・・。
くそ~~~、あれも伝えられなかった、これも言えばよかった・・・。
いろいろ思ってももう終了しちゃいました~~~~泣
で・・・ほんとに泣きました。
緊張がほぐれ・・・泣きました。
よくやった!と恭子先輩からのハグ。
強烈な第一打をくらってからの退場するまでよく保ちました。
張りつめた笑顔の無いインタビュー・・・みんな怒っているの???
そんな空気の中のインタビューでした。
これも得点に入ってしまうのでなおさらの緊張でした。
ふ~~~っ・・・。
指導者はどんなことにも対応できないとなりません。強くならないとなりません。
さてさて、気をとりなおして本番へ集中!!
ハワイの仲間たちがティリーフを裂くのを手伝ってくれたり、ヘアメークをやってくれたり!演奏してくれたり!
みんなの協力なしでは到底出場できないものでした。
本当に貴重な経験でした!
クム、関わってくれたみんな心から感謝します。本当にありがとうございました!!
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