作家の佐々涼子さんが亡くなった。享年56歳だという。あまりにも急で、あまりにも若すぎで、一瞬新聞の文字を疑ってしまった。
実は私の甥っ子が先日亡くなり、お葬式を済ませた夜に、その佐々涼子さんの「夜明けを待つ」というタイトルのエッセイ集を読んでいた。その日は60ページまで読んだが、その58から60ページの部分が、偶然にもお葬式のテーマであった。まあ、偶然というものはあるのだなと思って、その日は終身した。
翌朝はいつものように起き、新聞に目を通す。すると、なんと前日に読んだ佐々涼子さんが亡くなったと紙面に写真付きで掲載してあるではないか。これはびっくりなどというものではない。言葉では何と言うかなどというものではない。
私は佐々涼子さんのことは何も知らない。もっぱらエッセイは佐藤愛子さんのものが好きで、よく読む。佐藤さんの文章は歯切れがよく、痛快な面も楽しく、そして的を得た中身が共感できるからだ。
それにひきかえ佐々さんのエッセイは今回初めて手にしたが、特に歯切れがよいというわけではなく、決して文章が素晴らしいというほどでもないと思う。ではなんで266ページもあるエッセイ集を読んでいるのか。
彼女のエッセイをプロの作家の文章としてみた場合、鋭い視点で書いているとまでは言いがたい。それよりも、私にはあたたかい視点と言ったらよいのか。いや、言葉を変えれば、やさしいまなざしと言ったらよいのか。佐々さんのエッセイは、私に言わせれば、そんな感じがしてならない。
これからこの人のエッセイをたくさん読んでいきたいなと思った瞬間、彼女の訃報を知った。もっともっと生きて、たくさんのエッセイを読ませてもらいたかった。
「夜明けを待つ」のあとがきの欄から。
彼女は一昨年の11月に悪性脳腫瘍と医師から告知され、余命14ヶ月と言われていたらしい。10万人に1人という、珍しい癌の病いとも記している。
出版社の方や、家族や友人、そして数えきれないすべてのみなさんに心から感謝している。ご自分の余命を知っていたからだろう。
どうかそれぞれの幸せを大切に。
ありがとうございました と結んでいる。
合掌
追伸
「夜明けを待つ」から、一ヶ所だけ抜粋して、転載いたします。
これから私は日本にある難民施設に泊まりがけで取材に出かける。期間は一か月。日本国内には、様々な事情で日本に逃れてきた人がたくさんいる。その人たちの目線でこの国を見てみようと思っている。滞在費を払ったうえで、彼らと同じご飯を食べ、同じ場所で眠るつもりだ。
なぜ取材をするのか。それはきっと私に想像力がなく、人の気持ちもわからないからだ。だからこそ人の中に入り、話に耳を傾ける。彼らと一緒の空気を感じ、その表情を見つめ、そして少しだけ彼らの世界を知る。
(日本経済新聞 2021年12月25日)
「つれづれ(163)佐々涼子さんを偲ぶ」