久しぶりにテレビのお笑い番組を見た。今様に言えばバラエティー番組といったところだろう。こういう種類の画面に真剣に釘付けになるのは数えてみるともう10年ぶりくらいになるのか。だいぶ昔に流行った「ドリフターズ」のコメディーだ。
メンバー5人のうち荒井注さんが抜けて、代わりに志村けんさんが入れ替わった「ドリフの大爆笑」。改めてこうして見ていると、子供ならずともその面白さに引き込まれてしまう。お笑い番組をほとんど見ない私にとっては、まことに不思議な現象だと自分でも思う。
志村けんさんといえば昨年新型コロナウイルスで亡くなられたが、今その志村さんの2番目に出版された本を読んだ。この本を読み出すまでは、私の中では彼は抜群のコメディアンというだけの人で、「志村けん」という人間の普段の彼をまったく知らずにいた。知らなかったというよりもむしろ自分なりに勝手にテレビから受けるイメージそのままに志村さんという人を決めつけていたというのが本音かもしれない。
その彼の書いた「志村流」という本の中に彼の生き方が書かれているので抜粋してみると、
準備こそ全力投球
仕事に限らず何でもそうだけど「おれ、頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけれど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから。
「志村流」志村けん
読んでいてまるで他人事ではないような、あたかも私が言われているような錯覚に陥った。なぜか体にこみあげるものがわいてきた。
彼の冥福を祈らずにはいられなかった。
ここのところ昭和から平成に活躍した芸能人の訃報を聞くことが多くなってきた。
その志村けんさん。彼自身が一番恐れていた「テレビから消えていったら終りだ」という言葉が、人気が原因ではなく、死という形で画面から消えていくのはなんともやりきれない。
惜しまれる人がまた別の世界へ行ってしまったと一年後の今日の命日、あらためて悔やんでいる。
「つれづれ(7)志村けん著 志村流 を読み終えて」