新しい人と出逢い、別れる。また誰かと出逢い、そして別れていく。この年になると出逢いよりも、はるかに別れの方が多くなる。
これはなにも恋愛のことを言っているのではない。人は生まれ、物心ついた頃からさまざまな人と出逢う。若い頃は私もそうだが、別れよりも出逢いの方が比較にならないほど多かった。学友や職場の仲間や趣味などで出逢う。私も人さまに負けずに、そのことが多かった。ガキ大将の時代もあれば、在学中のさまざまな活動で知り合う場合もあった。そして職場関係での多くの出逢い。そのたびに自分でもうれしいほどの日々であった。
それから時代がとんとんと進み、社会のしくみも変わり、私ももうこの年になってしまった。その間にも多くの出逢いはあったものの、いくつかの別れも心にしみている。事故で6人、自ら絶った命が2人の友人知人を亡くしている。病気の友は十指にあまるほど見送っている。
逢うは別れの始めとは、昔の人はうまいことを言ったものだ。それは、人が生きていくうえでの、ある意味での楽しみとも言えなくはない。逢うことがなければ、別れもまたない。そのほうがいいのかどうか、人にはさまざまな生き方があるからいちがいには断言できないが。
私はそのようなのはイヤだなと思う。
ふとした何かの拍子に、そういうさまざまな別れを思い出すことがある。特にどうってことはないようなことでも、あんなこともあったなあなどと無意識にも振り返ってみるときがある。亡くなってしまって、もう逢えないと思う人ほどその傾向が強いような気がする。あたかも花火の、それも線香花火のような記憶の瞬間である。
もう逢えない人たち。所在のわからない人もいるが、幾人もの旅立っていった人たち。これから先、自分がどう生きようが私の勝手だが、これらの先に逝った人たちに申し訳ないような生き方だけはしたくないと思っている。
「つれづれ(207)線香花火」