梅雨の晴れ間、里山を歩く。
雨ばかり続いた後のしばしのお日さまはなんとも嬉しくありがたい。山も川も、そして木も花も、なんかイキイキしているようにみえてくる。
そんな中、最近はあまり見かけない花が多くなったことに気づく。近所の公園や花壇でもそのことは感じていたが、こういう広々とした山に来ても姿こそ違え、同じようなことを近頃は思うようになった。日本古来の、あるいは古くに中国などから渡来したような花や木がずいぶん少なくなってきたなと感じる。
この地球上に花というものがまったくなくなったら。そう考えただけで恐ろしいものがある。
花がなくても生きていけるという人がいるようだが、人には言葉もあれば感情もある。美しいものを見、語り、生きていくことに希望と潤いを感じさせてくれる花。五感のはたらきによって、植物から受ける恩恵は大きなはずである。
近年は外来花がたくさんわが国に入ってきている。それをただ単にきれいだからだとか珍しいからとかの理由で自然の山や公園に植えるということは、その先どういうことがおこるか。そのことが今まで育っていた在来植物の生態系を脅かしはしないか。川や沼ではもう外来魚による絶滅の危機にされされそうな魚類もけっこうあるという。そういうことを過去の教訓として、高原や山などでは日本古来の花や木を守り育ててほしい。
外来種がいちがいに悪いということではないけれど、人の手を加えずとも美しく咲くこれらの野の花を守り育てていくことも後世への大切なつとめだと思っている。
そんなことを考えながら、自然の恵みに見惚れている。
もう少し先までこの道を行ってみることにしよう。
「つれづれ(109)里山を歩いて最近の植物に思うこと」